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天下界の無信仰者(イレギュラー)  作者: 奏 せいや
第1部 慈愛連立編
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聖騎士ヨハネ


 先日の襲撃事件から休校が続く神律(しんりつ)学園は被害の修復を急いでいた。本来なら大勢の生徒で賑わう中庭は建築業者が出入りを繰り返し工事を進めている。

 そこへ聖騎士第二位のヤコブは一人で訪れていた。茶色い髪が歩く度にゆさゆさと揺れる。いつもの甲冑は外し白のコートに長ズボンを穿いている。顔はフードで隠し、同伴(どうはん)してきた部下には門の前に車と一緒に待機(たいき)してもらっている。


 係りの者に待つように言われ一階廊下で待ち続けることしばらく。彼に声が掛けられた。

「いやー、こんな事態にお客さんが来ていると言われ誰かと思いましたが、やはりあなたでしたか」

 ヤコブに向かって一人の男が近寄ってくる。

 声は明るく(ほが)らかだ。クセのある黒い髪をした顔は柔らかな笑みを浮かべ、白の僧衣(そうい)を身に纏っている。


 神愛(かみあ)たちのクラス担任教師、ヨハネだった。

 ヨハネもヤコブと同じ慈愛連立(じあいれんりつ)の信仰者だ。その証に彼の左腕には慈愛連立(じあいれんりつ)を示す白のハートの腕章が取り付けられている。

 ヤコブといえば慈愛連立(じあいれんりつ)だけでなく世界的にも有名な信仰者だ。ここにいるのも名前を伏せてある。そんな相手を前にしてもヨハネはいつもの調子を崩さず、そんな彼にヤコブは声をかけた。


「久しぶりだな」

 それは親しくない兄弟に掛けるような、そんな声だった。

 ヤコブが不機嫌そうな態度で接してくるのを、ヨハネは受け流すように答える。

「そうですね」

 短い、とても短いやり取り。その後沈黙が続く。しばらくしてから口を開いたのはヤコブの方だった。

「状況は」

「おかげさまで見ての通りのご覧の有様ですよ。校舎は崩れ授業の日程は遅れています。ああ、かといって誤解しないでくださいよ? 私たちも暇というわけではなくてですね。遅れた分の授業を取り戻すため資料や課題の作成で大忙しなんですから。授業計画も練り直しです。ああ、忙しい忙しい。無駄話が出来る人が羨ましいですよ」

「相変わらず性根は腐ったままか?」

「さて、どうですかね」


 ヤコブからの鋭い視線に晒されるがヨハネは涼しい顔だ。

「込み入った話でしょう? 場所を変えましょうか」

 そう言いヨハネは歩き出しヤコブも後を付いて行く。

 ヨハネが先頭になって歩いていくが、そこで背後のヤコブにも聞こえるように言葉を吐いた。

「いきなりの襲撃、突然の来訪。めちゃくちゃですね」

 ヤコブは「フン」と鼻を鳴らすだけだった。


 歩いてすぐヨハネは足を止め客室の扉を開ける。

「どうぞ。お茶は出しませんよ、長居はしないのでしょう?」

 中には対面に置かれたソファがあり間にはテーブル、部屋の隅には食器棚があった。

 ヤコブはソファに座りヨハネは窓際で立つ。長居はしないという彼なりのアピールだ。

 二人は入室したがヤコブはすぐに本題を口にはしない。電気が点けていない部屋は薄暗く、どうにも気まずい空気が流れる。

 話す気配のないヤコブに代わって、先に口を開いたのはヨハネだった。ブラインドカーテンの一部に指を掛け隙間(すきま)から外を覗く。視線の先は工事現場だ。


「それにしてもやってくれますねぇ。先日の襲撃してきたあの兵士、見れば教皇軍の特殊部隊じゃないですか。見た時は目を疑いましたよ。昔とは武装(ぶそう)がやや(こと)なっていましたが。しかし任務のためならお構いなしの猪頭は変わっていないようですね」

「懐かしいか?」

「笑えない冗談ですね」

 ヨハネはブラインドカーテンから指を離しヤコブに振り返る。

「それで、いつから(さい)新鋭(しんえい)武装(ぶそう)をした汚れ役部隊の後始末を、伝統(でんとう)ある聖騎士隊がするようになったのです?」

「いいや、ここに来たのは俺個人としてだ」

「それはそれは」


 ヨハネはヤコブの対面にあるソファの後ろに回り背もたれに手を置いた。その後視線を下げる。

「ひどいものだ。あの破壊の爪痕(つめあと)が他者を助けるのを信条とする慈愛連立(じあいれんりつ)の行いなど。おぞましいにもほどがある。彼らには使命感以外の心はないんですかね」

「お前こそひどい言い草だ、お前の古巣(ふるす)だぞ」

「だからですよ」


 ヨハネを顔を上げる。さきほどから自分を見つめる男に向かい背筋(せすじ)を正した。

「ここにあなたが来た理由は分かります。ですので初めに言っておきましょう」

 正面を向け、ヨハネは毅然(きぜん)とした態度で言い切った。

「お断りします。お引き取りを」

「そう言われて俺が退くと思うか?」

 だがヤコブも退かない。重い腰は上がることなく鋭い表情のまま見つめてくる。

 そこにいるのは教師だ。しかしヤコブの目はそうは言っていない。真剣な眼差しで、目の前の男にかつての異名(いみょう)を告げる。


「教皇軍デバッカー部隊所属、聖騎士第三位、ヨハネ・ブルスト」

「元ですよ」

 仰々しい言い方にヨハネは苦笑して答える。今では教師のヨハネだがそんな風に呼ばれていた時もあった。

「知っているはずだ、『兄さん』。私はもう戦わない。戦意というのが完全にへし折れていましてね」

天羽(てんは)襲来(しゅうらい)だ、お前も聖騎士なら知っているはずだ」

 ヨハネの目がヤコブに向かう。けれどすぐに下を向いてしまった。

「神官長派が動き出している。かつての惨劇(さんげき)を現代で再び行うつもりだ」


 気まずい空気がさらに重苦しくなっていく。言葉は短くともヤコブの気配には()を言わせない圧力があった。

 しかし、ヨハネは俯いたまま。その姿勢には陰が差し弱々しい立ち姿だった。

「それでも、私は……」

 声にも寂しさが混じる。

腑抜(ふぬ)けたな」


 そんなヨハネを叱咤(しった)するようにヤコブは厳しい口調で言ってくる。

「かつては第三位として活躍したお前が、今ではそのザマか」

 兄からの挑発にヨハネはいつもの笑顔を作った。

「ええ、その通りですよ。このザマです。ですがね、私はこれでいいと思っているのですよ。子供たちの学び舎を躊躇いもなく戦場に変える彼らを見て確信しています。私は今の方がいいと。戦いなどという虚しい行いをするくらいなら、ここで、子供たちの成長を導いてあげる方がよほど素晴らしい」

「それは罪滅ぼしか?」


 ヤコブの目は変わらない。眼光はヨハネを掴んで放さないでいる。

「かつてのお前は信仰心の塊だった。任務以外目に入らず、強固(きょうこ)な信仰心ゆえに疑うこともなく、任務を全うできる男だった」

 ヨハネの過去。それを知っている者は少ない。本人ですら記憶の底に封印している。

 この学園で誰が思うだろう。かつてのヨハネが、学園を躊躇いもなく襲撃できるあの兵士たちと同じ、特殊部隊に所属していたなど。


 しかも、そこでのヨハネは聖騎士第三位というエリートだ。

 そこで、彼はいったいなにをしてきたのか。それを知る者はこの学園にはいない。

「彼らを見て昔の自分でも思い出したか? 実績が罪悪感に変わり、今の行いに贖罪(しょくざい)を求めていると?」

「……分かりません。そうかもしれないし、もともと向いていたのかもしれない。確かなのはこの職を気に入っているということです」

「……お前が教職(きょうしょく)とはな、変わるものだ」

「まったくですね」


 ヤコブの言葉にヨハネは「ははは」と弱々しく笑う。乾いた笑い声が部屋に消えると、この場は沈黙となった。

 無言の間、ただ時間だけが過ぎていく。胸の内に宿る泥のような思いが沈殿(ちんでん)するのを待つように、なにかが変わるのを時間に任せる。

 そんなヨハネに、ヤコブは声をかけた。

「『あれは』、それほど辛かったか?」

 鋭い口調は変わらない。


 けれど。次の言葉を言う時、ヤコブの意気(いき)がわずかに下がった。

「『魔術大戦(まじゅつたいせん)』は」

 魔術大戦(まじゅつたいせん)。ヤコブがそう言った時、ヨハネが握るソファの背もたれがぎしりと(きし)んだ。

「信仰者と魔術師による最後の戦争。被害は出たものの、結果は我々の圧勝だった。だが、あれは正義だ。やつらは滅ぼさねばならん悪だった」

「いいえ、それは違います」


 力のないヨハネだったが、はっきりと否定した。

「正義? 悪? 意味のない線引きだ、まったく以て」

 ヨハネはソファから手を放すと壁に背もたれた。今のヨハネにはまるで枯れ木のような寂しさを感じさせる。

「私は、かつての私を許せない。そのあまりの愚鈍(ぐどん)さに首を締めたくなりますよ」

 俯いた顔。輝きを失った瞳。忘れられない後悔にヨハネの思考は鬱屈(うっくつ)した思いへと埋まっていく。


「人を守るために戦う? 誰と? 敵とはなんだ? 簡単なはずなのに。なぜ私は、あんな当たり前のことに気付けなかったのか」

 ヨハネは思い出している、以前の自分が()した行いを。

 他人はそれを偉業(いぎょう)(たた)えるだろう。

 強大な信仰心、崇高(すうこう)なる行動。この時代では最大の名誉だ。己の信仰に(じゅん)じる。その輝きと誇り。

 他人は彼に憧れるだろう、尊敬(そんけい)の念を抱くだろう。同じ信仰者としてそれは当たり前のこと。


 けれど。

「私の敵。それは、人でしかなかったというのに」

 正義の概念(がいねん)などしょせんは価値観の押し付けだ。側面から見た印象を脚色(きゃくしょく)()(だい)見繕(みつくろ)い、化粧とドレスアップできれいに見せているだけ。

 素顔を、誰も見ようとしない。

 正義の仮面に隠された、その本質とはなんなのか。


「気づいてしまったんですよ。今まで敵だと思っていた、人とすら思っていなかった彼らが。悪だと誰もが言い、事実、信仰者を滅ぼさんとした彼らが」

 それをヨハネは見てしまった。仮面を取り外し、そこにあるもう一つの顔を見てしまった。今まで信じてきたものとは別の顔。

 その衝撃は、ヨハネの信仰に亀裂を入れた。

「我が子を守るために、(かば)って死んだのですよ」

 もう一つの顔は、信じていたものとあまりにもかけ離れていた。

 理想の仮面。

 現実の素顔。


 それを目撃した時の、過去の記憶が当時の感情とともに蘇る。ヨハネは片手を額に当てた。

「あの時の顔が忘れられない。そして、目の前で親を亡くし泣きわめく子供の声が耳から離れないんですよ。今でも」

 今も記憶の中で燃え続ける戦場の業火。そこに木霊(こだま)する多くの悲鳴。

 名誉はない。

 誇りはない。

 残ったのは後悔だけだ。


「同じじゃないですか。我々と。誰かを愛し、そして守ろうとする。同じ人間なんですよ。それを敵と断じ、滅ぼす虚しさ」

 ヨハネの意気(いき)消沈(しょうちん)としていた。

「兄さん、私はもう戦えない」

「…………」

 ヨハネの言葉は痛切(つうせつ)だった。大き過ぎる悲しみと後悔に押し潰されそうなのを必死に耐えて立っている。


 ヨハネはもう、戦える状態ではなかった。

 しかし。

「馬鹿者が!」

 ヤコブは怒鳴った。まるで落雷を思わせる怒号(どごう)で。

 ヤコブは前に出た体を落ち着かせ椅子に座り直す。

「お前の気持ちは理解しているつもりだ。しかしだ、お前には参加してもらう。このままではお前はなに一つ守れなくなるぞ。ここの生徒も」


 ヤコブは言った。弱り切ったヨハネを、それでも厳しい瞳で見つめる。

「お前はなにもせず、その時が来るのを待つのか? その時になって戦っていれば未然に防げていたかもしれないと後悔するのか? なぜ知りながら戦わなかったと糾弾(きゅうだん)する生徒に頭を下げるのか?」

 ヤコブの言葉にヨハネは答えない。黙ったまま聞き入れる。

「ヨハネ。お前に、なにもしないことなど出来ない。それを、なによりお前が許せないはずだ」

 このままでは天羽(てんは)襲来(しゅうらい)し地上を襲い始める。そうなれば当然ここの生徒も襲われる。それを知りながらなにもしないのは見捨てるのと同じだ。


 そんなことをこの男が許せるか。いいや許せない。ヨハネはそんな男ではない。むしろそんな男ではないからこそこうして苦しんでいるのだ。

「守るためだ、戦え」

 そう言うとヤコブは立ち上がった。そのまま歩き扉を開ける。

「門の前で待っている」

 そう言い残しヤコブは去っていった。扉は閉められ客室にはヨハネが取り残される。

 ヨハネは壁に背をもたれたまま顔を上に向けていた。どんよりした空気が流れ気分は暗い。

 そのままじっとしていると、ヨハネはゆっくり息を吸い、そのまま深く吐き出した。

「……皮肉なものだ。守るために、誰かを傷つけるなど……」


 気分は憂鬱(ゆううつ)だ、自ら自分の墓を掘るような。

 けれどヨハネは壁から離れた。そして扉へと歩き出す。

 どの道、立ち止まっているわけにはいかない。危機が迫っている。

 ヨハネは扉を開けた。その瞳は足元ではなく、正面を向いていた。


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