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天下界の無信仰者(イレギュラー)  作者: 奏 せいや
第1章 無信仰者は祈らない
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保健室・ヨハネ先生

「この時期になりますとね、私はまだ自分が新米だった頃を思い出しますよ。皆さんと同じ、教師としての一年生です。ですがいやー、あまりいい思い出とは呼べませんねえ」

「あんたも喧嘩したのか?」

「喧嘩といいますか、失敗ですね」


 ヨハネは当時の自分を思い出しているのか、残念そうに消沈し、もしくは困ったように眉を下げている。


「私が教師として働いてまだ日が浅い頃でした。初めは副担任、ということで職務をこなしていたのですが、廊下を歩いているとですね? 頬を押さえて座っている男の子がいたんですよ。どうやら喧嘩でもしたのか殴られたようでして」


 ヨハネの話にいつしか惹かれ俺は体を正面に向けていた。信仰者の事情なんてそうそう聞けることじゃない。


 しかし、聴いてみればこの話。無信仰の俺でも察しが付くぜ。


 ヨハネの腕章を見れば分かるがこの男は慈愛連立だ。そして慈愛連立は人助けを掲げている神理。だから相手がたとえ赤の他人でも助けにいく人がほとんどだ。そのため慈愛連立には社交的であったり優しかったりする人が多い。まあ、さすがに無信仰者なんて究極の異端助ける奴はいないが。

 ヨハネも慈愛連立の信仰者だから、ここで男子生徒を助けるのは不思議じゃない。


「彼が傷ついていましたから。私は慈愛連立の教えに従い手を差し伸べたわけですよ」

「やっぱりか」

「優しいでしょ私? えらいでしょ私?」

「押し付けがましく言うなよ」

「人助けっていうのは立派な行いだと思うんですよ」

「はいはい、分かったから」

「立派でしょ私?」

「次いけよ!」


 なんだこいつ!?


「ですが、彼は琢磨追求の子だったんですよ」

「ん?」


 それがなにか問題なのか? 分からず小首を傾げる。


「私は善意で接しただけなのに、彼は怒りの形相を露わにしてですよ? 『琢磨追求の者に情けなど不要! 僕のことを馬鹿にしているんですか先生!』と拒絶されたんですよ~」

「あー……」


 なるほど。納得すると同時に同情する。


 琢磨追求という神理は己を鍛える神理だ。そのため自分に厳しい、また他人にも厳しい人が多い。また強さを求める神理だからか他者から助けられる、というのは嬉しいというよりも恥、見下されていると感じるんだろう。


「そんな気はなかったとはいえ、これも神理の違いですからねえ。仕方がないと受け入れ謝ったんですよ私。助けようとしただけなのに」


 ヨハネはこれ見よがしに肩を落とす。神理の違いから生まれる食い違い。仕方がないのは仕方がないが、とはいえ不幸だ。だが話は終わらなかった。


「そしたら後日、彼の母親が職員室にやって来てですよ? 『ヨハネという教師はどこですか!? 私の息子を甘やかさないでください、軟弱者になったらどうするんですか!?』と怒鳴って来たわけですよ。もうねえ、私、心中でえ~と思いながらも平謝りしたわけですよ。その後先輩教師であり担当の先生にその件を相談したんですがね、彼は無我無心の信仰者だったんです。まだ若輩で経験の浅い私に向かって、『何事も経験だ。俺に頼るな』って、無表情で! 無関心に! そう言うんですよぉ~?」

「まー、そうなるわな」


 泣き面に蜂とはこういうことを言うんだろうな。てか、あんたも運悪いな。


 無我無心は心を無にすることを目指す神理だ。感情も表に出さないし、何事にも平常心を保とうとする。そうやって苦しいと感じる心を消そうとするためか、奴らは他人の痛みにも希薄になりがちだ。大人しくて消極的、というのが無我無心の典型的な人物像だろう。


 連続して災難を経験したヨハネとしてはいろいろ思うところがあるようで、身体が前に傾いている。


「そりゃ経験は大事ですしごもっともだと思いますよ。ですがね? 教師という役職の身、指導する者が指導しないなんて怠慢の正当化ですよね!? あなたもそう思いますでしょう宮司さん!?」

「ま、まあ」

「ですよねえええ!」


 すると急に手を握ってきた。ちょ、お前なに握ってんだ!


「やはり宮司さんは素晴らしい人だ。私の痛みに、きっとあなたは理解を示して下さると信じていましたよ。私かわいそうでしょ? もうあの時は途方に暮れて涙ちょちょ切れましたよ~」

「は、ははは……」


 ちょっと待て、なんで俺が慰める形になってんだ? お前が教師だろうが。

 するとヨハネはいきなり泣き顔から笑顔へと変わった。


「やはり、あなたは怒っているよりも、笑っている時の方が素敵ですよ?」

「!?」


 ヨハネはニッコリと笑いそう言った。慌てて手を振り解く。


「別にッ!」

「おやおや、照れてしまいましたか。ですが私はそう思いますよ」


 しまった。ヨハネは俺から笑顔を引きずり出すためにわざと自分の失敗談を話したんだ。愛想笑いとはいえ笑顔を見られたこと。それが無性に悔しいというか、恥ずかしい。あーくそ!

 そんな俺とは反対に、ヨハネは笑顔のまま声は穏やかだった。


「誰しも、笑っている時が一番です。宮司さん。それはあなたもだと私は思っています。そして、それが許されない、ということはあってはならない。私はあなたにも笑って過ごして欲しいですし、それが出来ると思っています」


 それから数秒の間を置いて、ヨハネは聞いてきた。


「教室の皆とは、馴染めないですか?」

「……フン」


 ヨハネからの問いに俺は答えない。退学を回避するには別々の信仰者を三人集めないといけない。そのことを言っているんだろうが、そんなの答えるまでもない。そんな態度にヨハネは困ったように苦笑した。その後、真剣な面持ちに変わる。


「宮司さん。確かにあなたは無信仰者かもしれない。そして周りは信仰者ばかりです。ですが私は思うのです。そんなあなたでも笑って過ごして欲しいと。実は、あなたを特別進学クラスに編入したのは私の提案でしてね。一つの信仰に縛られるのではなく、多くの人と知り合えるこのクラスなら、あるいは変われると思ったのです。自分一人だと決めつけず、友人ができれば人生が今とは違って見えるでしょう。私はそう、強く思います。今回の一件、諦めず、頑張ってみませんか?」


 ヨハネは祈るように願いを口にする。会ってまだ間もない男だがヨハネが本心でそう言っていることはなんとなくだが分かった。


 だが、俺は知っている。


 誰もが恐れていること。嫌な物を見る目を向け、神を信仰しない不届き者だと中傷してくる。

 記憶を探れば、反吐が出る思い出ばかりだ。


「あんたが、俺の何を知ってる?」


 胸の中で沈殿していた怨念が、ゆっくりと顔を上げてくる。


「……いえ、私には思いも付きません」

「なら勝手言うなよ」


 自分でも分かるほど、俺の言葉は冷たい針のようだった。


「仲良くなる?」


 怒気が上昇していく。苛立ちが弾けた。


「俺を敵視しているのは周りの連中だろうが! 仲良くなるだあ? なりたいんなら変わるのはあいつらの方だ。俺を怖がって内心では馬鹿にしてやがる、そんな奴らと仲良くなんてしてられるか!」


 怒りのあまり声が荒げる。内容は決めつけだが、俺を咎める資格なんて誰にもない。

 それを聞いて、ヨハネは寂しそうに顔を暗くした。


「すみません。どうやら私が急ぎ過ぎてしまったようです。押し付けがましく、申し訳ありません」

「……ん」


 それで、俺も怒鳴るのを止めた。収まらない怒りはあったが、この男が優しさで俺を心配してくれたのは分かるんだ。ただ、納得出来なかっただけで……。


 沈黙ができた。途端に空気が重くなる。丸椅子がギシリと軋み、顔を下げる。ふとミルフィアに視線を向けてみても彼女は不動のまま動く気配を見せない。


 気まずい空気だ。そう思っていると恐る恐るといった様子でヨハネから声が聞こえてきた。


「宮司さん。大きなお世話だというのは重々承知しています。ですが私は慈愛連立の信者です。困っている人を見かけたら助けてあげるのが私の信仰なのです。どうか最後にもう一度だけ、おせっかいをさせてはいただけませんか?」


 俺はゆっくりと顔を上げる。視線の先ではヨハネが真っ直ぐ俺を見つめていた。


「答えは求めません。宮司さんは黙って聞いているだけで結構ですし、聞き入れなくても大丈夫です。ただ、私は伝えておくことだけはしておきたいのです。私に信仰を行なえる機会を与えてはもらえませんか?」


 彼からのお願い。人助けをするのは自分なのに。本来ならば立場は逆なのに。

 おかしなやつだと思う。お人好しにもほどがあるってもんだ。

 ただ、そこまでして頼むのを、拒もうとはさすがに思わなかった。


「……ああ、好きにしなよ。ただ俺の気持ちは変わらないぜ?」

「はい、ありがとうございます」


 返事にヨハネはパッと表情が明るくなる。まるで自分が救われたような反応がなんだかおかしくて、ついフッと笑ってしまった。


「それでですね、宮司さん。さきほど神理の違いによる私の失敗談をお話したわけなんですが、信仰者にはそれぞれ付き合い方みたいなのがありましてね。こうすれば仲良くなれる、とは一概に言えないのです。それは信仰者でも、無信仰者でも同じことです」


 それは話を聞いていたから分かる。強いて言えば同じ神理を信仰している者同士なら仲良くなれるんだろうが。だが、それだけに無信仰者の俺じゃ誰かと仲良くなるのは難しいって意味でもある。


 だが、ここでヨハネは意外な言葉を口にした。


「ですが、そんな三つの信仰者の誰とでも付き合え、かつ、あなたにも出来る、一つの思想があります」

「思想?」

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