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応える声

 腹の底から声を張り上げて言葉を発した。ここにはいない者に向けたその命令。虚空に発せられたそれに、本来ならば返ってくる答えはないはずだ。


「はい」


 しかしそれは聞こえた。救済に応える声は福音のようで、俺の前に現れた。


「あなたがそれを望むなら」


 瞬間、爆音が鼓膜を震わせた。さらには地震のような揺れが体育館を襲う。

 そこには大剣を片手で防ぐ、ミルフィアの後ろ姿があった。


「ミルフィア!」


 華奢な体には傷一つなく、それどころか何トンあるかも知れない大剣を悠々と片手で受け止めている。地面は衝撃にへこみ床が割れていた。


「馬鹿な!?」


 ミルフィアの偉業にヨハネが驚愕する。それは俺たちも同じだ。神託物の一撃を受けて無傷なんて、本来ならあり得ない。しかし起きた。なら考えられるのは一つしかない。


 上回っているんだ、ヨハネの神託物を、彼女の神化が。


 圧倒的信仰心。狂気を超えた、神域とさえ言っても過言ではない究極的な信仰。それによって体現する神化。


 ミルフィアが掴んだ大剣を押し返す。それだけで爆発でもしたかのように刀身が弾かれた。


 俺はミルフィアを唖然と見つめるが、ミルフィアは振り返り近づいて来た。優雅な足取りに淀みはなく、この状況でも平静は揺るぎもしない。そのまま俺へと近づくと、その場に片膝をついた。


「我が主の命により、ミルフィア、参上しました」


 平然と、それが当たり前のようにミルフィアは俺へと告げる。


 ミルフィアは跪いている。誇りすら感じているような微笑みも、美しいほどの金髪も、立派な臣下の姿勢も、何一つ変わらないミルフィアがここにいる。


 そんなミルフィアを見下ろして、だけど、俺は、我慢出来なかった。


「どうして、出てきたんだよ」


 ミルフィアの顔が、ゆっくりと上げる。

 自分で命令しておいて矛盾した発言だが、それでも言わずにはいられなかったんだ。


「どうして出てきたんだよ! お前、俺にあれだけひどいこと言われて、俺のこと憎かったんじゃないのか? 殴りたいほど怒ったんじゃないのかよ! なのに、呼ばれただけでまた出てきやがって。そんなんじゃお前、お前……! 本当に奴隷だぞ?」


 俺の言葉を静かに聞いている。その様子に怒りも憎しみも見られない。そんなミルフィアだからこそ、心が痛い。


「分かってんのか!? 奴隷ていうのは最悪の生き方なんだぞ! おまけに、お前が主だと言ってる男は無信仰者だぞ? 信仰してる神もなければ取り柄もない。出来ることなんかなんにもない、そんな奴の奴隷だぞ!?」


 訴える。目の前の少女に向かって、奴隷の意味を教える。


「お前、そんなんでいいのかよ!?」

「はい」


 返事に、絶句した。何故なら、ミルフィアは最高の微笑と共にそう言ったのだ。

 ミルフィアの表情は輝いている。真っすぐな瞳を俺へと向けて。


「我が主。あなたのために生きる。あなたのために死ねる。これほどの幸福がありましょうか」


 それは悲しいほどに真っ直ぐで、憐れなほどに眩しくて、息が苦しくなるほどに純粋だった。


「私にとっての幸福とはあなたへの忠信に他なりません。故にどうか我が主、私に命を。この身が砕け消えようと、私はずっとあなたの奴隷でいたいのです」


 支配されれば自由を求め、隷属されれば平等を訴えるのが人間だろう。しかし彼女は心のある人でありながら奴隷を選ぶ。俺を主と崇め、真摯かつ全霊の誓いを示す。


「そして」


 するとミルフィアは言葉の途中に間を置いて、再び畏まって目線を下げた。


「畏れ多くも古の王、我が主に、ミルフィアから進言申し上げます」


 普段とはどことなく雰囲気の違う言葉に、つい身構えてしまう。


「我が主に、出来ないことなどありません」


 俺ならなんでも出来るとミルフィアは言う。気休めとかではなくて、そうであると確信しているように。


「かつて、この世界には一柱(いちはしら)の神がいました」

「ミルフィア?」


 突然話題が変わる。


「神は一人のために退屈でした。そのため、自分がいる世界とは別の世界を創り、そこに自分と似せた人間を創り住まわせます。そうして神は人々の生活を見て楽しんでいました。ですが、いつしか自分も人となって生きてみたいと思うようになったのです」


 ミルフィアの話し方は作り話を聞かせるというよりも、思い出話を聞かせるようだった。口調は温かかく、懐かしむように頬が緩んでいたのだ。


「神は人である自分が困らぬよう、女性の付き人を創ります。また、何度も人生を繰り返せるよう転生の仕組みである輪廻界を作りました。その後、神は人となって、付き人と共に別世界に下りたのです。そこで人としての生を楽しみ、死んだ後、魂は輪廻界へと昇り、また新たな命として誕生します。そうして神は何度も人としての生を楽しんでいたのです。……ですが」


 しかし、ミルフィアの表情は急に険しくなり敵意すら滲ませる。


「そうしている間、神の留守をいいことに、三人の人間が神の世界を横取りしたのです」

「それって」


 ミルフィアの話す内容はよく分からないが、最後の言葉には心当たりがあった。三人の人間が神の世界にいること。それは天下界の人間ならば常識だ。


 ミルフィアが起き上がる。そして視線を天井へと向けた。けれど見ている先は天井ではなく、天井を突き抜け空より高く、宇宙すら超えたその先――天上界を見ているようだった。


「見ているのでしょう、イヤス、リュクルゴス、シッガールタ。人の身で神を気取る不届き者よ。古の王はいる。貴様らが真に天下を取ることはない!」


 言葉の矛先はここにはいない者へと向けられ、その相手へと痛烈な批判を突き付ける。天上の神に対してあまりに不遜。畏まるどころか、侮蔑すら露わにして言い切った。


「我が主」


 視線が俺に移る。親愛と敬意の情を乗せた瞳が見つめている。


「あなたに前世の記憶はありませんが、私は覚えています。あなたに、出来ないことなどありません」


 そう言うと、ミルフィアは右手を伸ばしていた。


「いえ、あるはずがないのです」

「ミルフィア、俺は」


 ミルフィアの言葉に戸惑う。それでもミルフィアの手は今も近づいてくる。


 俺には分からない。自分が何者なのか。それでも近づいてくるミルフィアの手に合わせて、躊躇いながらも手を伸ばした。

 二人の手が近づく。そして、指は触れ合った。


「何故なら、あなたがこの世界を創ったのですから」


 瞬間、脳裏で何かが爆ぜた。大容量の知識が脳を圧迫し、すぐにどこかえと消えてしまった、何が起こったのか分からない。けれど、己の深奥で、確かに何かに触れたのだ。

 目の前には、ミルフィアがいる。


「我が主、私に命を」


 口にするのはそれだけ。でも、それだけで十分だ。


「ミルフィア」


 力強く彼女の名を呼び、するべきことを告げる。


「ヨハネ先生を止めるぞ」

「はい」


 ミルフィアが頷く。俺も頷く。やるべきことを確認し、達成するために行動する。

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