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天下界の無信仰者(イレギュラー)  作者: 奏 せいや
第1部 慈愛連立編
373/420

兄さんにしか救えない人、か

 人は高望みの夢を抱くとき、周りからの嘲笑に断念する時がある。自覚があるからだ、自分では無理なのではと。その事実を客観的に指摘されれば恥ずかしく、自己嫌悪にまで陥ってしまう。

 話す素振りに陰はないが、当時の彼もそういう気持ちだったはずだ。 


「その時だったんです。たまたま通りかかったエリヤさんが私たちの前に現れたんです」

「兄さんが」


 話題に出てくる兄の名前についつぶやいてしまう。


「いきなり登場した現役の聖騎士にみんなが緊張していました。そんな中、あの人はいきなり試験管の頭を殴りつけたんです」

(なんて人だ……)


 エノクはまぶたを閉じ目を覆いたくなった。人から身内の不祥事を聞かされるのは何度もあるが慣れることはない。

 エリヤはいつも無茶苦茶だが、同時に彼らしいと納得してしまうのは悲しいような安心するような、変な気持ちだった。


「みんな唖然としてました」


 エノクにも周囲の反応が容易に想像できた。


「でも、そんな周囲を気にすることなくあの人は言ったんです。人の夢を否定する試験官がいるかって」

「…………」


 その言葉を聞いたとき、エノクの表情が真顔になった。


「そのあと、私の前に立ちました。私を見下ろして、怒ったまま言ったんです。お前もお前で納得してるんじゃねえ。夢を追うのに必要なのは力じゃない、諦めないガッツだろう、って」

「…………」

「その一言に、私は救われたんです。敵から守ってくれたとか、お金を支援してくれたとか、そんなんじゃない。あの人は、私の心を救ってくれたんです」


 エリヤの武勇伝を語る彼の顔は満足げだった。心を救われたという言葉に嘘はなく、晴れやかな表情だ。


「それだけ言うと、あの人は去っていきました。嵐みたいな人でしたよ」


 ははは、と彼は笑っていた。


「ほんと、めちゃくちゃな人でした。あとから聞きましたけど、そのせいで始末書を書かされたみたいですし。でも、あの人は止めないんですよね。自分が正しいと思ったことを曲げない。そうやって、あの人にしか救えない人を救ってきたんです」

「エリヤにしか、救えない人?」

「はい!」


 目を輝かせ彼は答えた。


「私もあんな風になれたらいいですけど、さすがに無理そうなので。私のできる範囲で頑張ろうと思っています」

「ああ、それでいい」


 話では入隊するのに苦労があったみたいだが現にこうして聖騎士隊に入ることができている。諦めない彼の意思があればきっとよき騎士になる。エノクは確信した。


「それに、エリヤみたいな人が二人もいたらこの国は終わりだよ」


 エノクの冗談に騎士の彼も笑った。

 が、その後で時計に目をやると慌ててコーヒーを一気飲みし始めた。


「すみません、私は戻らないといけないのでこれで。コーヒーごちそうさまでした」

「構わないさ。頑張ってな」


 彼は元気良く返事してから小走りでラウンジから消えていった。

 エノクはテーブルに残りコーヒーを口に運ぶ。


「兄さんにしか救えない人、か」


 その言葉がエノクの胸からいつまでも消えなかった。不思議と説得力があり胸に納まるのだ。

 親に捨てられた自分はエリヤに救われた。当時財政難だったゴルゴダ共和国では軍備が優先され孤児まで受け入れる余裕はなかった。世間でも問題視されてはいたがそのため誰もエノクを救えなかったのだ。

 恨もうとは思わない。人を救うためには力がいる。資金力もその一つだ。

 だが、エリヤは違った。あの人の人助けには損得勘定がない。他の人がしないことをあの人は平然としてしまう。

 そんなエリヤだからこそ、エノクは救われた。憧れたのだ。

 誰も救えず、自身ですら駄目だと思った自分を救ってくれた騎士。この恩を形にしようと思った。

 それがエノクの原点。さきほどの練習で浮かび上がってきた迷いを思い出す。なぜエリヤは強いのか、この苛立ちはなんなのか。

 その答えなんて、実はとっくに思いついていた。

 認めたくなかったんだ、騎士を目指した以上、エリヤを騎士だと認めたくなかっただけ。

 けれど、あの人の優しさを誰よりも知っている。

 あの人は不真面目で信仰心も低い。はっきり言って不良だ。

 でも、その根底にあるのは優しさなんだ。

 あの人は優しい。とても大きな優しさがある。

 なのに、なぜ自分は遠ざけてしまったんだろう。

 エノクの視界が途端にぼやけた。

 自分はなにをしているんだろう。

 悔しさに涙が溢れる。

 彼に、認められたい。

 最初の思いが蘇る。

 最高の騎士? 騎士の理想? そんな言葉なんていらない。

 偉大なる兄、エリヤの隣に立ちたい。

 他ならぬ、彼に褒められたい。

 騎士の規範から、もしくはプライドからか遠ざけていた気持ちをようやく受け入れた。

 けっきょくのところ、自分はエリヤが好きなのだろう。その気持ちが空回りしてしまったが、心の底では彼を尊敬している。

 だから、今度は彼の役に立ちたい。お前を弟にしてよかったと、そう思われたい。

 胸から迷いが消えていた。エノクは袖で乱暴に涙を拭く。

 行こう。エノクは立ち上がる。

 涙が泣きやんだ頃。空を見上げれば雨は止んでいた。


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