決別
「いい加減にしろよ、嘘つきが!」
それが引き金だった。願いを裏切られた反動が、どうしようもなく、弾けたんだ。
「…………嘘?」
俺の言葉に、ミルフィアの笑顔が一瞬で凍りつく。心外だったのだろう。表情は驚愕し唖然としている。
「俺のためならなんだってする? 嘘じゃねえか。お前が、一度だって俺の願いを叶えてくれたことがあるか!」
俺には昔から欲しいものがあった。願いはそれだけだった。難しい願いでもなんでもない。
「わ、私は!」
ミルフィアが慌てて口を動かす。俺を見上げる瞳が動揺している。
「主のためなら、なんだっていたします! 嘘ではありません!」
必死にミルフィアが訴えてくる。俺のためならなんでもすると。
でも、そうじゃないだろう? 俺がそんなのを望んだことが一度でもあるか?
俺は、友達になりたいって思ってんだよ!
なのに、なんでお前が分かってくれないんだよ!?
「今までも、主のために頑張ってきました。そこに偽りなど――」
「うるせぇえええ!」
「…………」
沈黙ができた。痛いほどの沈黙が。
ミルフィアの言葉を、遮った。自制なんて出来なかった。俺の怒鳴り声は校舎の窓を震わせるほど大きくて。俺はなんとか怒気が抜けたけど、そんな俺に、
ミルフィアは、明らかに怯えていた。
もっと笑って欲しいと、幸せになって欲しいと願っていた女性が、俺を見て固まっているんだ。
なんだ、なんだよこれ……。
途端に、瞳の奥が熱くなった。気づけばもう駄目で、止めようと思っても涙が零れ落ちてきた。
だけど、言わずにはいられなかったんだ。
「なんで、お前はいつもそうなんだよぉ!?」
悲しくて、辛くて、怖がられると分かっているのに、叫ばずにはいられなかったんだ。
「俺が、こんッ、こんなに……、こんなにも心配してるのに、なんでぇえ!」
ミルフィアとは、どうしても友達になれない。
奴隷という生き方から、救うことが出来ない。
こいつはきっと、これからも傷ついていくんだ。俺のために。
その事実に、悲痛なまでの現実に、涙が止まらない。
「どうしてだ、なんで奴隷になろうとする!?」
ずっと願ってきた。けれど、ミルフィアはいつまでも俺の思いには応えてくれない。
「お前には俺が奴隷を望むような酷いやつに見えるのか? 怖いのか? 俺が無信仰者だからかよ!?」
「それは違います!」
「じゃあなんでだよ!?」
俺は涙と共に声を飛ばし、ミルフィアは必死に否定した。理由は少しの時間を空けてから告げられた。
「主が、王だからです」
「ッ!」
また意味不明な言葉かよ。
言いたいことを言い終え、熱い息が零れる。涙を拭き取る。それで考えた。どうすればミルフィアを救えるのか。
そしてたどり着いた答えに、俺はミルフィアに聞いてみた。
「お前は、どうあっても奴隷を止めないのか?」
「……はい」
返事は一言。その一言にミルフィアの決意を感じる。
「そうか。なら……」
それで決断する。ミルフィアに奴隷になって欲しくないから。
「別れた方がいい。二度と俺に姿を見せるな」
それは、決別だった。
「え……?」
どのようにしてもミルフィアとは友達になれない。奴隷としてこのまま生きるなら、いっそ会わない方がいい。そう決めたんだ。
「消えろって言ったんだ」
「そ、それは……」
震えた声が聞こえる。見れば、俺を見上げるミルフィアの瞳から、大粒の涙が流れていた。
「何が、お気に召さなかったのですか!?」
輝く水滴が頬から落ちる。ミルフィアの悲痛な訴えがこの場に響く。
「あなたに尽くします。あなたに忠誠を誓います。ですので、どうかそれだけは。それ以外でしたら、私はなんでも、なんでもします!」
泣き声は震えて、零れ落ちる涙が地面に染みを作っていく。
「今の、だけは撤回して下さい。お願いします……!」
心痛な表情で、ミルフィアは俺を見つめていた。溢れる涙の数だけ心が裂かれているようで、哀訴の言葉は痛々しい。
だけど。
「……命令だ」
初めて、ミルフィアに『命令』した。
「もう、二度と俺の前に出て来るな」
生涯で初めての命令。それは、二人の別れだった。
痛みが全身を支配する。悲しみが心を染めていく。悲痛が涙となって零れそうになる。でも駄目だ、ここで泣いたら。ミルフィアに見られたら。
泣くな、泣くな、泣くなッ! 絶対に泣くな!
「絶対に、俺の前に現れるんじゃない!」
気持ちを隠して、ミルフィアに告げた。
見ればミルフィアが唖然としている。泣き顔を晒し、生き甲斐を失くし、絶望しているはずの少女。しかし俺の答えを聞いたミルフィアはゆっくりと、微笑んだ。
泣きながら。
「……はい。我が主……、あなたが……、それを望むなら……」
初めての命令にミルフィアは声を震わし、泣きながら笑う。俯きその後、姿が薄くなっていく。空間に溶けていくようにミルフィアは姿を消していった。
たった一人、この場に残される。無人の静けさにミルフィアが消えたことを実感した。
「……くっ」
相手のためを思っているのに、実を結ばない。虚しさが胸をさざめく。遣る瀬無い憤りをどこにぶつければいい?
「くっそおおおおおおお!」
ため込んだ感情と涙を、地面を蹴って吐き出した。
そんなに嫌なら、反対すりゃいいだろうが!
消えろと言ったが、本音では断って欲しかった。泣くほど嫌なら嫌だと言って欲しかった。
けれども、ミルフィアは命令を優先して消えてしまった。所詮、二人の関係は友ではなく、主従なのだと言うように。
握り込んだ拳をほどく。周りには誰もいない。散った桜の上で佇み、思い知らされる寂しさを感じていた。
涙が、頬を零れ落ちていく。




