私は……、なぜ負けたんだ
必ず勝つと決意した。覚悟もしていた。油断もなく全力だった。エリヤを倒すと、兄を越えるとこの日が決まった時から意識を集中させていたというのに。
結果はこのザマ。敗者が迎える白い部屋だ。
自分はいったいなんなのだろう? 悔しさが波のように引いていき、代わりに無力感が押し寄せる。
自分では、勝てないのだろうか? 兄を越えることはできないのだろうか?
エノクは寝返りをうった。
そのときだった。部屋の扉が開く音が聞こえ、カーテンが開かれたのだ。
「ラグエルさん?」
そこにはラグエルの姿があった。固い表情はそのままにエノクの顔を見ている。
「目を覚ましたか。容態を見に来ただけだったのだが。こうして無事を確認できてよかったよ」
「あの、今は何時ですか? 私はどれくらい」
エノクは痛む体を無視して上体を起こした。さすがに寝たきりという無様を見せるわけには
いかない。
「現在は五時前、夕刻だ。君はここに運ばれ三時間ほど眠っていた」
「そうですか」
三時間。それほどまで眠っていたことに落胆を禁じ得ない。これが殺し合いなら目を覚ますこともなかった。
「すみません。ご心配をおかけしました」
「よい。己の全力を出し、懸命に戦った結果だ。責めるものではない」
「ですが」
ラグエルは生真面目だが人の心を気遣う男だ。そのため彼はこう言ってくれるが、エノクの暗澹たる気持ちまでは晴れない。
「……無様でした」
エノクは視線を下げ白い毛布を力なく見つめた。
相手は手を抜いて戦っていた。それは油断でありなにより余裕の裏返しだ。まるで遊び。負ける気などはなからない戯れ。彼にとってこれは戦いですらない。
それに引き替え自分は必死だった。絶対に勝つと気持ちから整え、全力で戦ったのだ。真剣だったのは負けたくなかったから。それは負けるかもしれないという意識があったからだ。相手は、敗北すら考えてもいなかったというのに。
初めから前提が違ったのだ。戦いに向ける意識の段階で次元が違う。
自分だけがむしゃらで。頑張って。まるで馬鹿みたいだ。相手の本気にすら立てないなんて。
「なにが無様なものか。君は勝利以上に素晴らしいものを見せてくれた。試合後も君への喝采が聞こえてきたよ」
そんなエノクにラグエルは笑顔のない励ましを送ってくれた。
「……けれど、負けたんです」
ただ、それでも気は憂鬱だ。どう言い繕うが勝敗は明確。自分は負けた。それも完膚無きまでに。完全な敗北だった。
それというのも、決定的な場面を見てしまったからだ。
メタトロンの攻撃が、弾かれた。
自分が最大の信頼を寄せる神託物の一撃を、エリヤは逸らしてみせた。自分にそれができるか? エリヤの神託物、サンダルフォンを前にして自分は対等に戦えるだろうか?
問うまでもない。毛布を握る手に力が入る。悔しさを握りつぶすように。エノクは沈痛な面もちで目の前の毛布を睨み続けた。
「エリヤに負けたのが、悔しいかね?」
「はい」
即答だった。条件反射に近い感覚で答える。
「兄さ、エリヤは騎士に相応しい男ではありません。であれば、その者を正し、騎士の模範を示さなければなりません。騎士としての正しいあり方。それを証明するためにも勝利しなければならなかった」
騎士としての品位、あり方ならエリヤよりも上だという自負はある。いや、むしろエリヤ以下の騎士など見たことがない。昼間から酒を呑み剣を振るうなど山賊かなにかだ。
「私は……、なぜ負けたんだ」
勝たなければならなかったし、勝てるはずだった。