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天下界の無信仰者(イレギュラー)  作者: 奏 せいや
第1部 慈愛連立編
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一人ではない

 赤と黒が混じり合う空を無数の白が飛行していた。白衣の上から身につけた甲冑と純白の羽を広げ、大軍は万魔殿を目指している。隊列に終わりは見えない。その様は夜空に浮かぶ星屑の大川のようだ、この禍々しい黒い世界にあって唯一神聖な輝きを放っている。

 先頭の集団がわずかに目を細めた。万魔殿が見えてきたのだ。初めて見る者は攻め落とす対象に戦意を高ぶらせ、二度目の者は緊張を高めていた。


「展開!」


 先導している部隊長の言葉に先頭は二手に分かれる。万魔殿を囲み反対側で合流した。三百メートルほど距離を開け展開を終える。

 地上から伸びる螺旋階段に支えられるように立つ漆黒の城、万魔殿。その周囲を天羽が覆い尽くしていた。ある者は正面から見つめ、ある者は見下ろし、ある者は見上げる。その誰しもが敵の居城を敵意の眼差しで見つめていた。

 決戦の地へ来たのだ、この争いを終わらせるために。

 敵に動きはない。天羽は事前の打ち合わせ通りに動いていく。前列の天羽は三体一組になり、三角形になるように浮遊した。その中央へ三体分の力を凝縮していく。空間には光の球が渦を巻いて大きくなっていき発射の準備を整えた。

 降伏の勧告はいらない。宣戦布告もいらない。いるのは開戦の号砲だ。

 周囲から百を越える光弾が万魔殿を狙っている。それらを一斉に放った。砲弾と呼ぶに相応しい攻撃が万魔殿に近づいていく。

 だが、それらすべては透明なベールに阻まれた。全弾消失する。その後、地の底から響くような声が聞こえてきた。

 万魔殿の城から蜂の巣を突ついたように堕天羽の集団が出てくる。光弾を再生成するが間に合わない。先頭同士が衝突した。

 戦いが始まった。天羽と堕天羽たちによる激しい白兵戦が行われる。万魔殿の結界は内側から外に出ることが出来る逆止弁のような構図になっており、結界内では魔弾を放つ者が列を成し一方的に放射している。天羽たちは唯一の入り口である螺旋階段へと殺到するが、そこは細い一本道となっており数が制限される。そこを地上の防衛部隊と上空の結界内から集中的に砲撃していった。

 数は天羽軍の方が多い。だが地の利は堕天羽軍の方が数段上回っていた。

 数は多いが突破は困難。そのためこの戦いすぐには終わらない。誰しもが必死に戦っていた。自分の役目を全うするため命を懸けていた。

 戦いが始まってから五日が経った。戦闘は休止を挟みながらまだ続いている。今も外では激闘が繰り広げられていた。

 長く続く戦いに、ついに結界にも限界が出始める。どのような道具でも使い続けていけば磨耗するように結界の衝撃吸収が甘くなっていた。

 ルシファーは自分の席で報告だけを聞いている。敵の数が多い。どこまで結界が持ちこたえられるか、ルシファーは無言のまま虚空を睨みつける。


「ルシフェル様!」


 勢いよく扉を開いた兵士が言った。


「アモン様が!」


 次の言葉にルシフェルは立ち上がった。目が大きく見開く。

 兵士に案内されルシフェルは万魔殿を歩いた。城の廊下には治療室に収まりきらないけが人が横になっている。ルシフェルは治療室へと入った。ここには特に重傷の患者が集まっている。今も急患の天羽が担架で運ばれてくる。怪我にうめく声が部屋中で聞こえてきた。

 その一番奥、白い布で遮られたスペースへと案内される。カーテンをめくり中に入ると、そこには一台のベッドを医師の天羽と兵士が囲っていた。

 そして、ベッドに上に寝る者の顔には白い布で隠されていた。

 みな、辛苦の面持ちで見下ろしている。

 ルシフェルは白い布に手を近づける。指先は震えていた。胸の鼓動が痛いくらいに高鳴っている。

 ルシフェルの手が布を取った。

 そこには、アモンの顔があった。きれいな顔だ、眠っているみたいに穏やかだった。けれど首から下を覆うシーツの下までは分からない。


「…………」


 ルシフェルはそっと彼の肩に手を置き揺すってみた。反応はない。力を少し加えて揺すってみても反応はなかった。

 ルシフェルは両肩をつかみ揺すった。けれど目覚める気配はない。ルシフェルは激しくアモンの体を揺すっていた。ベッドが振動にガタガタと音を立てる。

 だけど、起きないのだ。

 揺すっても、揺すっても、どれだけ揺すっても。

 彼は、死んでいた。ご丁寧に蘇生不可の術まで施され、完全に命を絶たれていた。

 ルシフェルは彼の頭を抱き抱え、自分の胸に押し当てた。強く、強く、押し潰れるほどに力を入れて彼を抱きしめた。

 瞳からは、静かに涙がこぼれていた。


「すみません」


 医師である天羽が言った。


「何も言うな」


 ルシフェルはアモンの遺体を優しくベッドに戻した。シーツを少しだけずらし、そこから見えるアモンの羽を一枚いただいた。彼らしい大きな羽だった。ルシフェルは顔を下げると首飾りを外し、そこにアモンの羽を近づけた。首飾りには他にも白い羽が括り付けられていた。そこにアモンの羽が加わる。ルシフェルは再び首飾りを自身に巻いていった。

 これで離れることはない。仲間はずっと共にいる。加わった羽一枚分の重みが彼にはとても心強く感じられた。

 首飾りを付け終わり、ルシフェルは下げていた顔を上げた。

 その表情は、怒りの形相で歪んでいた。友を失った悲しみが怒りと憎しみに変わっていくののが分かる。押さえられぬ憤怒の念がルシフェルを突き動かした。


「駄目ですルシフェル様!」


 カーテンを勢いよく開け出て行くルシフェルに一人が慌てて声をかけた。


「あなたを外に出すのがやつらの狙い。もしあなたに――」

「もしなどない!」


 ルシフェルの大声が治療室を振るわし背後の部下を黙らせた。

「全軍を下がらせろ」


「え?」


 続けざまに言われる命令に唖然とした声が返ってくる。


「完了次第、私が出る」


 それだけを言い残しルシフェルは治療室から出て行った。



 そして、今に至る。

 王宮広場の椅子にルシファーは一人で座っていた。ここは暗闇に包まれ窓から指す赤い光が床を照らし出している。時折、敵の砲弾によって部屋が揺れた。ルシファーは足を広げて座っており、前屈みになった体を両肘で支えている。片手は懐かしむように首飾りの羽たちを一枚ずつ撫でていき、彼らの存在を確かめていた。

 けれど、彼の心中は穏やかではない。

 ルシフェルの胸中は地獄の釜だ。怒りを炎とし憎しみを煮立たせ、ふたを開ければ呪いの怨嗟が湧き出てくる。瞳は戦意に見開かれ、優しい手つきとは反対に表情は激しい怒りに満ち満ちていた。


「ルシフェル様」


 そこで扉が開かれた。一人の部下が真剣な顔で伝えてくる。

 始まりの時だ。


「全軍、城への避難が完了しました」


 ルシフェルは立ち上がった。階段をゆっくりと降りていく。足取りは静かだ、優雅ですらある。

 ルシファーは扉を通り、部下には目もくれず出て行った。そんな彼に部下は頭を下げ見送った。

 ルシファーは城のバルコニーへと出る。半円形の広々とした場所だ。見上げれば結界越しに大勢の天羽が翼を広げている。その数、数千はいるだろうか。最初の頃の数十万という大軍を思えばかなり減っているが、それでもまだ数千。それがルシファーの相手だ。

 ルシファーは翼を広げた。勢いよく現れる八枚の翼は輝くほどの純白だ、堕天羽となってもその優美さは損なわれていない。

 バルコニーの床を飛び立ち、結界を突き破り天羽軍の矢面に立った。


「ルシファー? ルシファーだ!」


 彼の姿を見つけた天羽の一体が声を上げる。堕天羽軍の首領が一人で出てきたのだ。みなが一斉に叫び、ほぼ同時に黙り込んだ。

 ルシファーは上空二百メートルをゆっくりと浮遊しながら前へと進んでいく。彼の接近に天羽たちは後ずさり、その代わり彼の背後へと回り込んでいく。


「会いたかったぞ、裏切り者」


 ルシファーの頭上から声が掛けられる。見れば天羽の部隊長が降下してきていた。ルシファーと同じ高度で立ち止まる。


「一人で出てくるとは、驕ったな、ルシファー」

「一人ではない」

「?」


 男の言葉を即座に否定する。ルシファーは首飾りを握った。大きさの違う白い羽たちを。

 それらは、全員が亡くなった者たちの羽だ。十を越える親しい者たちの死。それらが誇らしく彼の胸元を飾っている。


「仲間たちならばここにいるッ」


 ルシファーは睨みつけながら言った。


「ふん、詭弁を」


 部隊長は鼻を鳴らした。目の前にいるのは敵の親玉だ、この天界紛争を巻き起こし要らぬ犠牲をまねいた張本人。侮蔑が視線からも読み取れた。


「ルシファー。かつて天羽の長だった者よ。お前は強い。でなければ天羽長は務まらん。しかし、お前は我らが天主を侮辱し、我らを裏切った! 貴様は罰を受けねばならず、その術が我々にはある!」


 部隊長の言葉の後彼の部下が背後に集まって来た。皆が翼を広げ宙を浮いている。


「この戦いでお前を倒し、天界紛争を終わらせる!」


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