すべては、人類と我ら天羽の理想のために
ミカエルからはサリエルの横顔が見える。その顔はどことなく寂しそうだった。
「なんていうかな」
それを裏付けるようにサリエルの声は彼に似合わず慎ましい。
「あの方は優しい。優しすぎる。その甘さが変な気を起こさなければいいんだが」
「なるほど」
謁見の間でルシフェルを拘束した時、単に天主に抗議しに行ったことで連行されたと思っていたがこうした意図もあったのかと気づく。サリエルもルシフェルのことを認めつつだからこそ保険を打っておいたのだ。
「まあいい。お前は無駄なことに努力費やしてないでちゃんと仕事するんだな。あと俺と交渉したけりゃあれ持ってこいあれ」
「あれ?」
「チーズケーキだよ」
そう言い残しサリエルは踵を返して離れていった。言いたいことは以上のようだ。しかしまだまだ話し足りないミカエルは慌てて呼び止める。
「ちょっと待ってくださいよサリエルさん! それにチーズケーキってなんですか? 初耳なんですけど! 食べ物ですか? ていうか、この時代にある食べ物なんですか!? サリエルさ~ん!」
慌ててミカエルは聞き返すものの答えてくれる気配はない。ルシフェルと違って優しくない男だ。
(まったく)
そんなこんなで渡り廊下で二人が別れる間際だった。
突如、窓の外から爆音が轟いたのだ。
「何事ですか!?」
「おいおい、なんだ今のは!?」
ミカエルはすぐに窓際により外を見渡した。この事態にさすがのサリエルも足を止める。
最初は事故かなにかと思った。どこかで火事でも起こったのかと、危険だが危機ではない、そんな彼岸を見つめる心境。
だが、そんなミカエルの余裕を第二の爆発音が吹き飛ばした。激しい爆風に窓ガラスが揺れる。もうすぐで割れそうだ。見れば下に浮かんでいる島々から次々と爆発が起こり黒煙を上げている。
中央局にサイレンが鳴り響く。廊下は悲鳴が響き合い職員がパニックになっている。
明らかな異常事態。危機感が全身を刺激してくる。
「いったい、なにが……」
分からなかった。原因不明の連続爆発。正体不明の不安が増加する。嫌な予感が止まらない。
そこへ警報に混じって通信が入った。
「現在各施設にて暴動が発生! 職員は所定の位置についてください。現在各施設にて暴動が発生!」
「暴動!?」
「クソが!」
まさかの言葉に驚愕する。暴動? 予想すらしていなかった。まさかそんなことが起こるなんて。反対にサリエルは忌々しく悪態を吐き捨てる。
そもそもなぜ暴動など起きる? またこうも簡単に進入を許したのか。
それで一致する答えに顔をしかめた。
「そんな……。よりにもよって、ルシフェルが指示を出した時に暴動が起こるなんて」
ルシフェルから出た休日にするという指示。それによって職員は普段よりも格段に減っていた。暴動を起こすならまたとない好機だ。それが重なる偶然に不運を嘆く。
「まだ分かんねえのか間抜け!」
するといきなりサリエルに胸ぐらを掴まれた。窓に激突させられ顔が近づく。
「お前は利用されたんだよ、ルシフェルに! 暴動の手伝いをな!」
「利用された……? 暴動の?」
呆気に取られる。サリエルが言っている意味が一瞬分からなかった。暴動という現状すら理解に苦しむというのに、目の前の彼は今なんと言った?
利用された? 誰に? ルシフェルに? なにを? 暴動を?
ようやく理解が追いついた時、ミカエルはサリエルの胸ぐらを掴み返していた。
「い、いい加減なことを言うな!」
鞄が床に落ちる。
許されることではなかった。認められるわけがない。その発言は自分だけでなく、なによりも彼を侮辱している。
「彼はすべての天羽から選ばれた天羽長だ。そして、私の親友だ! 彼は友人を裏切るようなことはしない! ルシフェルは、そのような者ではない! 今すぐ訂正してください!」
ミカエルは必死に抗議する。包帯と赤い髪を揺らし激怒を露わにする顔へと向かって。必死に、必死に睨みつけた。
同時に、胸の中で叫んでいた。
(そんなことはない。彼が、ルシフェルが裏切るなんて。あり得えない!)
相手に訴えるように。同時に自分にも言い聞かせていた。あのルシフェルが裏切るはずがない。彼を信頼する気持ちが何度も否定の声を上げる。
互いに相手をにらみ合う。すると空中にいくつもの映像が浮かび上がった。巨大な画面に映し出された者、それは。
天羽長、ルシフェルだった。
「全天羽の諸君。私は天羽長、ルシフェルだ。我々は現在、天界の門、通信局、並びに天界の主要施設を制圧した。目的は、地上への侵攻、その即時撤回である」
「馬鹿な……」
ミカエルは手を解いた。サリエルも手を離す。ミカエルはゆっくりと窓際に手を付き外にある映像を見つめた。
そこには、黒のロングコートに身を包んだルシフェルが立っていた。
「…………」
言葉を失った。頭の中が漂白されていく。思考は止まった針のように動かない。
ただ呆然と外に浮かぶ映像を見続けていた。
「我々の要求は、すぐさに地上への武力的干渉の停止である。それが受け入れられない場合、我々は武力を以てこれを制止する」
映像は天界の至るところに投射されていた。この事態に作業する者は手を止め、家にいた天羽は外に出た。街道には天羽が溢れ頭上に浮かぶ映像を見上げていた。
「人々に必要なのは押しつけの平和ではない。手を取り合い、対話と同意によって成り立つ平和でなければならない。我らはそれを理想とし、神の使命のもと弾圧と殺戮を行う者たちへ異を唱える者である」
すべての天羽が、この歴史的瞬間を目撃していた。
「よって。我々は、神と、人に害なす者たちへ反逆する」
その内の一人であるミカエルもまた驚愕の中にいた。目の前の光景が信じられない。
「嘘だ……」
だが、事実だ。
ルシフェルは裏切った。神を。天羽を。自分を。
掴んでいた署名の束が手から離れ床に散らばっていく。足は崩れその場に膝を付いた。
「嘘だ、嘘だ」
信じられなかった。あのルシフェルが、誰よりも信じていた彼が、暴動を起こすなど。
『…………すまないな』
自分を、利用するために騙すなど。
「嘘だぁああああ!」
ミカエルは叫んだ。透き通った青い瞳から涙をこぼし、窓の外に映る彼へと叫ぶ。
泣いた。泣き叫んでいた。溢れる涙を拭うけれど止まらない。
胸が引き裂かれる痛みと共に、彼の名を叫び続けていた。
「なぜだルシフェル! なぜぇええ!?」
その慟哭は、けれど届かない。
外に浮かぶ彼は険しい顔のまま、反逆と己の大儀を語っていた。
「すべては、人類と我ら天羽の理想のために」




