謁見の間って、まさか!?
「しかし、それではお前も最悪摘発されるぞ」
「おいおい、それはないぜ兄貴」
そんな彼を逆にルシフェルは心配するが、アモンはどこ吹く風と飄々としていた。それでいて、芯のある声で言ってきた。
「あんたについて行く。以前、そう言っただろう?」
人差し指をルシフェルに突きつけながら、いたずらっぽく笑う。
それでも彼にまことの忠信があることは、疑いようのないものだった。
「じゃあ俺はそろそろ行きますわ。なにかあったら呼んでください、いつでも行きますんで」
アモンは踵を返しひらひらと片手を振った。入ってきた扉に向かっていく。
「分かった。アモン」
「ん?」
が、ルシフェルに呼び止められたことで足を止めた。ルシフェルへ振り返る。
そんな彼に、ルシフェルは小さく笑った。
「ありがとうな」
「……へっ」
アモンは歩みを再開し、今度こそ部屋を出ていった。
ルシフェルは再び一人に戻る。しかし雰囲気はどこか晴れ、胸の重さは軽くなっていた。
いつまでも落ち込んではいられない。
ルシフェルは立ち上がった。その目には意思があった。これからあることをするために。決断までの不安を覚悟で補い、ルシフェルは部屋を出た。中央局の入り口を出て正門へと向かう。青空に照らされた白い塀の中で、花々が道の両側で咲き誇っている。
ルシフェルは歩いていくが、そこへ前からミカエルが小走りで近寄ってきた。
「ルシフェル! ちょうどよかった、今様子を伺いに行こうと」
ルシフェルを見つけたことに喜んでいた。ホッとしたようで胸に手を当てている。
ミカエルとは昨日別れたきりだ。ルシフェルのその後はミカエルも知っているはず。
「……大丈夫ですか?」
彼はルシフェルのことを案じた。ホッとした表情は消え陰が差している。誰よりもそばにいるミカエルだからこそ、ルシフェルの心痛を憂いていた。
「大丈夫だ。私はこれから向かうところがある」
「向かうところですか?」
しかしルシフェルはすでに気丈な面もちで立っている。自分が抱いている迷いに納得のいく答えを得るために。
そこへ行くと決めたのだ。
「謁見の間へ行く」
「謁見の間って、まさか!?」
ルシフェルが行かんとしている場所を知ってミカエルがは驚いた。謁見の間へ行くこと、その意味は一つしかない。
ルシフェルもそれが意味することを、重大さを知っている。だからこそ、精悍な表情をいつにも増して引き締めていた。
「天主イヤス様に、抗議してくる」
天羽を生み出した聖なる父、全能の王。
天主イヤスに、直談判しに行くと決めたのだ。
*
天界という次元は上空を切り取ったような世界だ。地面はなくいくつもの島々が雲に混じって青空の中を浮かんでいる。その島々もピラミッド型に分布しており九つの階層に分かれていた。下級天羽の住居は下位の階層にあり、天界の主要な施設ほど上位の階層に存在している。政治の場としては最高権威である天界中央司令局も階層の第二位に位置していた。ほとんどの島々は中央司令局の下を漂い頭上に浮かぶ中央局は威厳を保つ。
しかし、更なる威光を発するのが天界に一つだけあった。その場所へは立ち寄るどころか近づくことすら禁じられ、足を踏み入れるには幾度の審査を経てから天羽長の許可がなくてはならない。
唯一、自らの意志で行けるのは天羽長のルシフェルだけだ。
その場所こそが、第一層、謁見の間。天界にてただ一つ並ぶ島のないピラミッドの頂点だ。全能の王イヤスと対面できるその場所は天界にあってなお聖地として認められていた。
その場所へと、ルシフェルとミカエルは降り立った。
島自体は小さい。石で作られた遺跡が一つ中央に建てられているだけだ。地面には遺跡へと続く石畳が道を作り辺りは芝生が生い茂っている。ルシフェルとミカエルは石畳の上へ着地し翼を消した。天界の第一層にして天上界に最も近い場所。聖なる島に来たことにミカエルは少々興奮気味に辺りを見渡している。
「はじめて来ました。どのような場所だろうと考えたことはありましたが。なんというか、質素なところですね」
「だからこそいい」
ここには人間たちの王室のような豪奢な飾りはない。石作りの遺跡も土台の上に一部屋分の大きさしかない。ありのままだ。ここには飾りというものがない。
しかし、それはないのではなく必要ないからだ。高位の立場にいる人間ほど飾りたがる。なぜなら所詮は人間だからだ。どれだけ位の高い役職に就こうが富を築こうが、人間であることに変わりはない。故に飾ることでしか自分の価値を表現できない。
けれど、ここで出会うのは虚飾など意味を成さない正真正銘の本物だ。飾ることも語ることも今更必要ない。それだけで価値のあるもの。
ここで、天主イヤスと出会うのだ。
ミカエルは表情を固くし目の前の遺跡をじっと見つめている。瞬きするのも失礼に当たるかのように視線を微動だにしていない。それも当然か。憧れなど通り越した至高の存在を前にしているのだから。
ミカエルは緊張した様子だがルシフェルはそうではなかった。ミカエルとは違った緊張感を身に纏っている。まるで今から戦いにでも行くかのように。神を前に抗議しに行くのだからそれくらいの覚悟がいるのだろう。
「ミカエル。お前はここで待っていてくれ。私一人で行く」
「はい。分かりました」
心配そうに見つめるミカエルを背後に残しルシフェルは歩き始めた。
ルシフェルは固い石畳の上を歩いていく。天主イヤスと対面するために。謁見の間を使うこと自体は初めてではないがルシフェルには緊張と危機感が走る。
神に抗議するという前代未聞の行い。どうなるかは分からない。まったくの未知数だ。
けれど、行かねばならない。
人類の未来のためではない。今、地上で苦しんでいる人々を救うために。
ルシフェルは遺跡の階段を登り始めた。石段を踏む。そこで背後から声が掛けられた。
「ルシフェル! きっと大丈夫です、イヤス様なら分かってくれます!」
ルシフェルは振り向いた。ミカエルは固い表情の中、明るくまっすぐな眼差しでルシフェルを見つめていた。その瞳には希望が宿っている。純真なほどのまばゆい光が。
この状況でも彼は諦めていない。ルシフェルは口元を少しだけ緩めて見せた。
その後正面に向き直る。神に異を唱えるという暴挙なのだと自覚はある。だからこそ不安が胸を満たしていく。
けれど、相手は慈愛の神だ。同じ人類を救いたいという望みを共有する存在。通るかどうかはともかく、こちらの願いが理解されないことはない。
ルシフェルは歩みを再開させた。石段を登りきると遺跡の門の前に立つ。分厚い石の扉は自動で両開きに開かれルシフェルの入室を促した。
ルシフェルは改めて表情を引き締める。今後を左右する重大な場面だ。自分の人生の分岐点となるかもしれない地点にルシフェルは立っている。
希望はある。けれど油断はない。
ルシフェルは、遺跡の中へと入っていった。




