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天下界の無信仰者(イレギュラー)  作者: 奏 せいや
第1部 慈愛連立編
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未来に希望を抱いていた心は、されど沈み。

 それは最初に天羽殺害を起こした国だった。そこには天羽の迎合を反対する一派があり、その者等が起こした犯行だった。存在自体は天羽側も認識していたがここまでする派閥ではなかった。しかし、最近の天羽の好調を受け武力による排除を行ってきたのだ。それにより再び悲劇は繰り返された。

 自分たちの運命を、人生を、第三者に委ねたくない。そうした気概は理解できる。

 しかし、望んだのは平和だったはずだ。罪のない者が亡くなることなど、望んでなどいなかったはずなのに。

 なのに――


「なぜだ!?」


 会議室でルシフェルは大声で叫んでいた。座っている椅子が軋む。ここにはルシフェルとミカエルの二人きりであり、他の四大天羽もすぐに来る予定だ。


「なぜ……」


 大声から打って変わり、ルシフェルから弱気な声が漏れる。胸の中で憤りと落胆が忙しなく交代してはルシフェルを苛んでいる。

 変われると信じていた。

 よくなると思っていた。

 犠牲を受け入れ、苦難を乗り越えて、わかり合えるはずだった。

 しかし現実は理想を、人間は夢を裏切った。

 悔しい思いが胸を満たす。落胆はルシフェルの希望を打ち砕いた。それほど大きな期待だった。

 どうすればいいのか分からない。

 ルシフェルは、自分の道を見失いかけていた。机に両肘を立て、手の甲に額を乗せる。ルシフェルはうなだれた。

 そんな彼を背後から立って見ているミカエルは我慢出来ずにいた。


「ひどい」


 言葉が漏れた。言わずにはいられなかったのだ。普段は温厚な彼でも、今回ばかりは。

 目の前で落ち込んでいる彼がどれだけ人類の平和のために尽力したか。仲間を殺害されたことに胸を痛める天羽の説得という汚れ役。もっとも困難な役を引き受けて。一番辛いことを成し遂げた。誰より、自分が傷ついていたはずなのに。それを堪えて、みなを説得していた彼を、彼の平和にかける情熱を、私欲でしか考えられない人間は裏切ったのだ。


「すみませんが、私の立場からも言わせてください」


 ミカエルの声は、怒りに震えていた。


「天羽長。これは、明確な裏切り行為です! 私は、今回のことは許せません!」


 ミカエルから熱の籠もった声が飛ぶ。当然だ、こんなことをされて許せるものか。殺害された天羽がなにをしたという。なんの罪があった。なぜ殺されなければならない。

 なぜ、平和の祈りが、こうも嫌われなければならない。


「ミカエル」


 ルシフェルが半身だけを向ける。その表情は憔悴している。よほど今回のことがショックだったのだろう。そんな彼を真っ直ぐと見つめ、なおミカエルは主張する。


「ルシフェル。迷うことなどありません。一度は許した、しかしニ度目はない。前回はともかく、今回は天羽殺害を処罰する法があります! これを適用すれば――」

「そうじゃない」


 ミカエルは熱弁するが、ルシフェルの寂れた声が中断させた。


「そうじゃないんだ……」

「ルシフェル……」


 ルシフェルの顔は下を向いている。天羽の中で誰よりも美しい横顔が、この時ばかりは沈んだ太陽のように陰が差していた。


「分かり合えると、思っていたんだ」


 未来に希望を抱いていた心は、されど沈み。


「心を持つもの同士、痛みも、悲しみも」


 期待は溶けて、涙に変わる。


「なのになぜ、罪のない者を手にかけた……!」


 ルシフェルは、泣いていた。彼の涙をミカエルは初めて見た。

 いつも気丈で、聡明で、明るい彼が。


「それが、私は、悲しくて仕方がない。辛くてしかたがないんだ」

「ルシフェル……!」


 泣いていたのだ、涙を一つ、頬に這わせて。

 ミカエルは泣きそうだった。両手を握り力を入れてグッと我慢した。それでも気を抜けば泣きそ出しそうだ。

 あれほど頑張ってきた彼が、憧れの者が、失意に泣いている。それがあまりにも悲しくて、悔しくて。この気持ちを言葉では表現できない。それほどまでにミカエルは激情していた。

 ルシフェルは一滴の涙をこぼすと、そのまま話しかけてきた。


「なあミカエル。私たちがしていることは、けっきょくは差し出がましい正義でしかないのだろうか……」

「それは」


 彼から出た言葉。それは弱音だった。初めて聞いた、彼の弱音など。

 天羽の行い。それは天上の神イヤスの命であり、人類の平和という理想だ。そのために天羽は創られた。彼らは神の使命を全うすることに名誉を感じているし、意義あるものだと思っている。

 しかし、人類から頼まれたわけではないのだ。自分たちがそう思って行動しているだけで、独善と言われてしまえばその通りだ。押しつけの平和を跳ね返されても本来文句も言えない。

 だが、それでも、叶えたい願いがある。

 誰しもが笑顔で暮らし、平和に過ごす時間を永遠のものにして、人類に黄金の時代を。

 笑っている顔に胸が温かくなる。その純粋な願いを果たしたい。


「勝手な、理想でしかないのか……?」

「そんなことはない!」


 その時だった。ルシフェルの弱音を叩くミカエルの大声に顔を上げた。

 ミカエルの表情には気迫があった。見つめられるだけで押されているかのような熱量を感じる。瞳は大きく見開かれ口は気炎を吐く。


「平和を願う想いが、間違っているはずがない!」


 叫んだ、思いの限り。胸の底から叫びたがっている。悲しんでいる彼に、そんなことはないと。片手を胸に当て、ミカエルは必死な思いを伝える。


「約束したじゃないかルシフェル」


 ミカエルは一歩ルシフェルに近づいた。


「ともに、人類の平和を作ろうと。私はまだ覚えてる。その時の決意も、情熱も。その想いは輝いていた、間違っているはずがない!」

「ミカエル……」


 普段あまり主張しない、それこそ口を荒げることなどまずしないミカエルの姿にルシフェルも瞠目していた。素直に驚いたのだ、彼が、こうも自分の気持ちを押してくることに。


「はあ、はあ」


 慣れないことをしたミカエルは肩を大きく動かし呼吸をしていた。大声を出し疲れたか、それでも止まらない思いはミカエルを突き動かし続ける。


「私は、これだけは言える」


 いったん息を落ち着ける。下がっていた目線を再びルシフェルに当てた。残りの思いのすべて、最後の言葉に詰め込んだ。

 これまで二人で頑張ってきた理想。

 これからの未来に期待を寄せた願い。

 その、すべての思いを。

 次の言葉に。


「あの時の約束は、間違いなどではないと!」


 人類の平和をともに実現させようと、まだ補佐官に任命されて浅い日に二人は約束した。

 あの時の二人は笑っていた、明るい未来に輝いていた。困難も苦境も努力でなんとかなると思っていた。

 その願いが、裏切られるとも知らずに。

 その、時だった。


「ルシフェル」


 男性の声に、ルシフェルは飛び上がる勢いで顔を上げた。それはミカエルも同じ。驚愕に全身が震えた。

 聞こえてきた声に。

 それは、声だけでこの世界を押しつぶすほどの存在感だった。あまりにも格が違い過ぎて自身と比べる気にもならない。誰が自分の背と山の高さを競り合おうとするか。これはそれよりもなお格段に違う。

 なぜならば。

 その者は至高の神、聖なる父にして全能の王。

 その名を、


「イヤス様」


 天上神、イヤス。後に三柱の神と呼ばれるうちの一人であった。

 イヤスの声がこの部屋に響く。姿はない。声だけだ。にも関わらず充満する神気、それは本体の髪の毛一本ほどの片鱗すらないというのに。

 それでも、ミカエルを強ばらせるには十分だった。ミカエルは急いで床に片足をつけ頭を垂れる。反対にルシフェルは立ち上がった。


(これが、イヤス様の気配!?)


 言葉が出なかった。あまりの違いに圧倒され体が動かない。次元を越えて届けられた思念、声だけでこの場の空間が歪曲しそうだ。いや、時間軸にすら影響を与えこの場の時間は止まっているのかもしれない。いわば、イヤスの声は二人にだけ伝えられていた。

 そのデタラメ、次元すら薄い膜のように突破する存在にミカエルは尊敬と同時に畏怖を覚えていた。

 違いすぎる、あまりにも。すべてが違っていた。

 その中で、気丈さを崩さないのはさすがルシフェルだった。


「お久しぶりです、イヤス様」


 瞑目しルシフェルは会釈する。ミカエルは緊張に体がしびれるほどだというのに彼は自然体だ。姿勢を正し身構えてはいるが動揺はない。それだけで彼の特別さが伺える。この声を前にして、平常を保てるのは四大天羽、その中でも彼と一人いるかいないかだろう。

 イヤスの疑似降臨にミカエルは無言のまま固まっていると、イヤスからの声が聞こえてきた。


「今回の天羽殺害の件は、胸に穴を空けるほど痛ましく、悲しい出来事だ」


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