心というものは、繋がっているんだ
「これなんかいいじゃないか」
ルシフェルは一つの画面を指さすと、空間に映し出され二人の前に固定された。ルシフェルは両手を使ってズームの仕草をすると画面が広がった。
「あ」
そこに映っていたのは、新郎新婦の晴れ舞台だった。新たな家族の誕生を周囲の人たちが祝っている。笑って投げつけられる花びらを二人は笑顔で受けていた。
「どうだい?」
ルシフェルはウリエルに振り返る。彼女は、見入っていた。
「うわ~……」
内気な子供のように、控えめだけれど興味津々なのが丸わかりな顔だった。ルシフェルが映し出すその映像に目を輝かせ見上げている。その後、彼女は優しく微笑んだ。
「笑ってる……」
まるでその場にいるように。遠目に眺める彼女は憧れるようにつぶやいた。
それは、本当に幸せそうな横顔だった。知らない相手だし、なにより相手は人間だ。天羽ですらない。
なのに、彼女は笑っていた。人の幸せ。他人の幸福。それを見ただけで。
彼女は自分までも幸せになっていた。
なんて清らかで、純真で、優しい心なのだろう。彼女は本当にみなの幸せを願っている。世界よ平和になれと。そして彼女も笑うだろう。人々の笑顔をそっとのぞき見て、よかったと心の底から祝福するに違いない。
それがウリエル。一人野に咲く内気な少女だった。
彼女の笑顔を確認して、ルシフェルは視線を画面に戻した。
「人の笑顔、幸福な暮らし。誰かの苦しみに共感し、手を差し伸べる優しさ」
「?」
ルシフェルの語りに、ウリエルは隣を見上げた。
ルシフェルは見つめ返す。
「それは、見ているだけで胸を満たす。そうは思わないか?」
「……はい」
ウリエルは頷く。ルシフェルの言うとおりだ。こうしているだけで彼女の胸はどこか温かく、満たされているのを感じていた。
ウリエルは胸に手を当て、小さな声で喋る。
「彼らの笑顔を見ると、なぜか安心できるんです。安心? と言っていいのか分からないのですが。見ている私の方まで嬉しい気持ちになれるんです。変ですよね。でも、不思議と安らげるんです」
「分かるよ、私も同じだ」
「天羽長もですか?」
「ああ」
ウリエルの告白にルシフェルも同意する。
人の笑顔は見ているだけで嬉しい気持ちにしてくれる。それがたとえ他人でも。心には共感する機能がある。それが伝えてくれるのだ、人の幸せを。
「心というものは、繋がっているんだ」
言葉がなくても分かる。心とは感じるものだ、だから惹かれる。だから忌避する。相互に影響を与えている。
そして、だからこそ知っている。人の幸せを。人の苦しみを。誰に教えられなくても。
心があれば知っている。痛みを。幸せを。
知っているのなら。
そこまで考えて、ルシフェルの表情が引き締まった。前を見て、精悍な顔つきになる。
「だから、分かり合えないということはない」
「天羽長?」
決断を秘めたような口調にウリエルは小首を傾げる。
ルシフェルを悩ませていた人類との友好。頭打ちとなっていた進展に時には不安も過ぎったが、出来ない理由なんてない。可能性は残ってる。ならそれを諦めず、進むだけだ。
ルシフェルはウリエルを見た。
「ありがとうウリエル。迷いが消えたよ。君と出会えてよかった」
分かり合えないことはない。それに気づかせてくれたウリエルへ、ルシフェルはお礼を述べた。
しかしなにに対してお礼を言われたのか、そもそもなぜお礼を言われたのか分からないウリエルとしては戸惑うばかりだ。
「あの、私はなにも。むしろ手伝ってもらったのは私の方で、お礼をされても困ります」
「いいんだ。君は私を助けてくれたよ」
そんな彼女に微笑みかけ、ルシフェルは出口へと体を向けた。
「時間を取らせて悪かったね。君はもうしばらくここにいるといい。それはそのままにしておくから。それと、君は友人を作ってみたらどうだ? きっと一人で見るよりも楽しくなる」
「え」
「君ほどの天羽が一人きりではもったいない」
ルシフェルはそう言うと歩き出した。洞窟の外を目指し、出口の先にある光へと進んでいく。
洞窟を抜け光に包まれる。眩しい光に片手を翳す。青空には雲と島が浮かび、澄んだ空気が流れていく。
ルシフェルは目をつぶり一度深呼吸した。大きく膨らんだ胸の空気を吐き出し、目を開けた時、彼の顔には精気が満ちていた。
「これから忙しくなるな」
翼が広がる。ルシフェルは羽ばたき、心機一転、自分の部屋へと飛び立つのだった。
ルシフェルが遠見の池でウリエルと別れてから数日後。
会議室には天羽長ルシフェルが座っていた。他にも四大天羽のガブリエル、ラファエル、サリエルもいる。机の上座にルシフェルが座り、右側にガブリエルとラファエル、左側にサリエルがいる。窓からは光が差し込み部屋を満たす。
四大天羽による定例会議。ここでこれまでの成果と今後の方針を確認し合う。最近では進展の無かった定例会議だったが、ルシフェルは今回新たな方針を打ち出した。
「地上での布教活動は継続して行っている。しかし好転の気配はなく、今まで以上の理解を得られていないのが現状だ」
三人は静かに天羽長の言葉を聞いていた。何度も確認してきた現状の認識。
「我らが父、天主イヤス様の使命を全うするのが私たち天羽の役割だ。その意思は人類のことを想ってのこと。私も実現したいと思っている」
人類の恒久的平和。そのため天羽は遣わされた。
「しかし、人類のためを思っての行動でも、彼らにしてみれば押しつけでしかない。私たちを侵略者だと罵る者もいる。否定はしない。そう思うのも至極当然だ」
それが大儀であれ正義であれ、押しつけられれば反発する者も出てくる。平和という束縛を嫌い、危険な自由を求める者もいる。
「だが、分かってほしいのだ。無益な争い、繰り返す過ち。それは、いつかは、どこかで、止めねばならない!」
天羽長ルシフェルの語気に熱が入る。言葉の端々から彼の思いが伝播する。
「争いに苦しみ、犠牲に悲しむ気持ちは彼らにもある。なら分かり合える!」
それは遠見の池で行ったウリエルの会話の中で気づいたことだった。
心は繋がっている。幸せも苦しみも。なら天羽と人間という違いはあれど、分かり合えないなんてことはないと。あの時ルシフェルは気づけたのだ。
分かり合うことを諦めない。どうすれば分かり合えるのかを考え続けること。それは一番困難なことかもしれない。それでも可能性を信じることを。ルシフェルは決意した。
その布石として、あることを用意していた。
「そのためにも、今後は人類との会談を増やし、対話によって理解を得ていく。今までは私自ら地上に下り話を進めてきたが、それだけではどうしても回数に限界がある。これを解消するためには私の代理、補佐となる者が必要だ。それで天羽長補佐官を一人設けることにした」
天羽長からの当然の発表に三人にもわずかに驚きが走る。天羽長補佐官。いったいどのような人物なのか。
「紹介しよう。入ってきてくれ」
三人は振り返り扉を見た。ルシフェルからの指示に従い扉が開いていく。
そこから現れたのは、金髪の青年だった。
「彼が私の補佐を務める、ミカエルだ」




