君に分かるのか、人類の歩むその果てが!?
ウリエルは一旦離れ神愛の正面に現れた。距離は三メートルほど。左手には巨大な炎が渦巻き神愛へ放射する。
「フン!」
火炎は神愛を呑み込むほどに大きい。触れたものを一瞬で灰にする攻撃。
それを、神愛は殴りつけた。
「うおおお!」
ウリエルの炎を神化の拳が迎え撃つ。ウリエルの強大な炎が一瞬で吹き飛び、この場で一番の爆風が起こっていた。ゴルゴダ美術館前の広場全体を白煙が覆っていく。
神愛はその場を動かずウリエルを見つめていた。
ウリエルは強い。さすがは伝説の四大天羽。その力は絶大だ。なまじ人間だった頃の恵瑠を知っているだけに衝撃が大きい。
しかし、だからだろうか。
「ハッ……」
神愛は、小さく笑った。
「そう言えば、てめえとこんな風に喧嘩することはなかったよな。てか、加豪くらいか」
「……そうだな」
懐かしい日常を思い出す。まだ数日しか経っていないはずなのにかなり昔のように感じる。
それはウリエルも同じなのだろう。どこか郷愁を思わせる表情だった。
しかし、少しだけ緩んだ雰囲気が引き締まる。
「お前をそこに連れ戻す」
「いいや、世界は変わる」
二人は見つめ合った。神愛の表情も引き締まり、真剣な瞳を向け合った。
まるで鏡のようだ。想いまでもそっくりそのままで、願いは同じなのだから。
「お前を救おうと、俺は必死だった」
神愛は拳を丸める。ここに来るまでにあった多くの出来事、それは替え難いほど大切なもので、神愛の拳を重くする。
「いろいろ馬鹿もやったよ。周りからはスゲー怒られたけどさ」
「加豪さんか」
「へ」
よくわかってらっしゃる。図星に苦笑いを浮かべた。
「君は、初めからめちゃくちゃな人だった」
ウリエルは懐かしそうに、どこか緩やかな声でつぶやいた。
こうして話していると、やはり二人は友達なのだと思い知らされる。いつだって、しようと思えば他愛ない話ができる。意味のない、けれど楽しい時間が始まる。
「そりゃお前もだろうが。俺は覚えてるぞ? お前、俺と初めて会った時殺される~とか言って逃げ出しただろうが」
「覚えてないな」
「んだとてめ――」
「いいや」
「?」
ウリエルの言葉に怒りかかった神愛だが、すぐに否定されクエスチョンマークが顔に出る。
ウリエルは勝ち誇ったように目を伏せていたが、その目を細く開くと、温かく微笑んだ。
「覚えているさ、君といた時間はすべて」
「…………」
その言葉になにも言い返せない。茶化すことが出来ない。それほどまでウリエルの言葉には信愛の情が乗っていた。
「忘れるはずがない。私の幸福を。一番の安らぎを。あの時を、忘れるなんて私には不可能だ」
自分の胸に片手を当てる。ウリエルの語る想い。その時の彼女は笑い、安らぎに包まれていた。けれどその温かい光に陰が落ちる。避けられない現実を思い出したように。
「だけどね、神愛。無理なんだよ。この世界にある悲劇を無くすためには世界そのものを変えなければならない。この世界に必要なのは慈悲じゃない。変革だ」
胸に当てていた手が拳に変わる。強く握り締められたそれは震えていた。
「私は、もう!」
感情が溢れる。今までため込んできた想いを叫ぶ。
「誰も悲しむ姿なんて、見たくないんだ! たとえそれが、私の傲慢でも!」
生まれた時から見続けてきた。人の笑顔と不幸。それに一喜一憂している自分。ただ人々を眺めていただけの日々。
いつからだろう。何故なのだろう。
いつしか、人の悪事しか目に入らなくなったのは。
憎悪は幸福で相殺できない。たとえ人々の笑顔を目にしても、それを嬉しく思っても、憎悪というのは消えることなく残り続ける。そうして積み重なった増悪は彼女の価値観を偏らせていった。
悪を裁くこと。人々の幸福のために、それしか考えられなくなっていた。
憑りつかれたように。
もう、人の悲しむ姿は見たくない。それだけ。本当にそれだけだった。最初から抱いた思いは一つだけ。今も変わらない想いは一つだけ。
みんなが、笑顔でありますように。
彼女はそれだけを思い続けていたのだから。
「じゃあ、なんで」
そんな彼女に、神愛が聞いた。
「お前はそんなに悲しそうなんだ?」
「!?」
ウリエルの体がビクッと震えた。
神愛は心配していた。ウリエルの言う理想、想い、願い。それを否定しようとは思わない。
けれど、彼女が願いを語る時、彼女は笑っていない。むしろ逆、辛そうだった。
悲しそうに、夢を語るのだ。
「悲しむお前を、誰が救ってやるんだ?」
そんなのはおかしい。誰だって自分の願いが叶えば喜ぶはず。それなのに悲しむなんて。
間違っている。神愛は言った。
「恵瑠、お前のやろうとしていることは間違っている。お前たちが平和と言ってしようとしていることは、しょせん管理体制を整えるための支配じゃねえか。それを無理やり平和だと自分に言い聞かせてるだけだ。お前だって分かってるはずだぜ恵瑠。こんなのは間違ってるって。そんな世界で、どうやって俺たちは笑えばいいんだ?」
誰かにあれこれ指示されて、自分のやりたいことも願いも持てず、なにを楽しみにすればいい。なにより、
「どうやって、お前と一緒に笑えばいいんだよ!?」
その先に、彼女と一緒にいられる日々があるのか。
「私が」
神愛の叫びに、ウリエルは顔を逸らした。
「君と笑い合うことは、もうない」
神愛の視線から逃げる。君の願いには応えられないと。
「そうか、分かったよ」
ウリエルの答えを知って神愛も決める。
「お前は絶対に止める」
彼女がしようとしている世界の変革、その未来に自分と彼女が共にいる時間がないのなら。
そんなの願い下げだ。そんな未来はいらない。だから止める。神愛は決意を新たにする。
「私もだ」
それはウリエルも同じ。誰に否定されようと退く気はない。理想を実現せんと昂る炎は胸に渦巻いている。
「君には分からない。人類が行なってきた愚行と、これからも起こる争いが。そこにあった多くの悲しみと苦しみはいつ報われる? いつになったら、人は誰しもが笑える世界になるんだ! このままじゃ、人類はいつまで経っても報われない」
平和のため。それを誰よりも願う天羽が、神愛に問い質す。
「君に分かるのか、人類の歩むその果てが!?」
多くの悲しみと苦しみを見届けてきたウリエルが、激情を表した。
二千年の想いが、この場の空気を震わしていく。
それを、
「知らねえよ!」
神愛は、否定した。
「知るかんなもん! 世界? 人類? みんなお手て繋いで平和を作りましょうだぁ? 知らねえよ。知るわけねえだろ。俺にとってこの世界がどれだけクソだと思ってるやがる。蔑視と罵倒、罵詈雑言。そんなもんクソ食らえだろうが。そんな中で、お前たちは俺の宝物なんだ。俺にとって大切なもんなんてそれだけだ!」
ウリエルの目が丸くなった。
神愛は叫ぶ。むしろ吠える。彼女の想いすら上回らんほどに、神愛も激情をぶつけていった。
世界の底辺で生きてきた男が、想いを叫ぶ。
その思いは二千年と比べれば程遠く、歴史もない浅いものだ。
けれど、人の想いに月日なんて関係ない。一目で異性に恋をすることもある。
全世界から向けられる憎悪を浴びて生きてきた。胸にあるのはいつも怒りと悔しさだけで、それ以外のものなんて存在しなかった。
そんな自分の人生に現れた、友達という神より希少な存在。
神愛は神を信じない。信仰しない。世界すら憎んでる。
だが、
しかし、
だとしても。
友達という恩人だけは、なにがあっても諦めない。
「俺にとっての世界っていうのはな、お前たちと笑い合ってた、あの『場所』なんだ!」
それが宮司神愛という、無信仰者のすべてだった。
「ふ、ふふ……。はははは……」
神愛の言葉を黙って聞いていたウリエルだったが、突然笑い出した。躊躇いがちの、どこか呆れた笑い声だったが、それは楽しそうだった。
初めて見たかもしれない。こうして彼女が笑うところは。
ウリエルは神愛を見つめる。
「相変わらずだな、君は」
「ハッ」
ウリエルの雰囲気に合わせて神愛も気負いなく笑う。まるで戦場とは思えない自然なやり取りだった。




