信念
渡り廊下には俺と加豪の二人きり。天気はいいが人がいないのでここは静かだ。渡り廊下の屋根の下、日陰の中で俺たちは向かい合い、最初に口を開いたのは加豪だった。
「話は分かった。でもどうして私を誘おうと思ったの?」
「難しい質問だな」
改めて考えると悩むところだ。明確な理由があったわけじゃない。ただ、
「ぶっちゃけお前とは喧嘩した。お互い初対面の印象は最悪だろう。だけどその後で謝っただろ? きっとそれでだ。一切話もしたことない相手よりお前の方が誘いやすいと思ったんだよ」
理由なんてきっとそれくらい。口にして思ったがそれだけの仲でしかないんだよな、それで誘う俺もどうかしてる。
「そう」
告白に加豪は小さく頷いた。そうして俺を真っ直ぐ見つめる。
「なら答えを返すけど」
口調は冷たい。腕を組む姿勢にも親しみは感じない。
「答えはノーよ」
「ああ、だと思ったよ」
俺は両手を上げてから落とした。態度からして分かる。お前が素直に受けてくれないことは。
「納得したなら帰るわよ?」
「いや、しないね」
「は?」
加豪の眉間に皺が寄る。静かに見てくるだけの視線が険しくなった。
「どうして? 以前のことで私にも非があったのは認める。でも、あんたを認めたわけじゃないわよ、勘違いしないで」
「分かってる。でも頼む。お前が嫌いなのは俺だけだろ? ミルフィアはそうじゃないはずだ。お前は俺のことが嫌いだろうさ、無信仰者だからな。誰からも無視されて時には石を投げられて、親からだって見捨てられた。はっきり言って辛かったさ。だけどミルフィアだけは傍にいてくれたんだ。それでめちゃくちゃ救われた。なのにミルフィアには友達がいない。こんなにもいい奴なのにだ。だから頼む、俺のためじゃない。ミルフィアのために付き合うだけでいいから付き合ってくれ!」
頭を下げて、俺は加豪に頼み込んだ。誠意とミルフィアへの思いを念じるように伝える。
「それは本気?」
顔を上げる。そこにいる加豪の顔は精悍としていて、鋭い視線は俺の真意を問うているようだった。
「どういう意味だよ?」
俺の問いに加豪はすぐに答えない。沈黙がしばらく流れ、それでようやく口が開いた。
「私はね、今までの人生において信仰に従い自分を鍛えてきた。そこには辛いことも苦しいことあったけど、それでも耐えてきた。辛かったけど、嫌だとは思わなかっわ。それらが今の私を作っているから」
加豪の告白。言葉は聞いているだけでは分からないが、その裏では想像以上の努力をしてきたんだろう。
「言ったわよね、誰からも無視されて石を投げられたって。ならそれを糧にして自分を強くすればよかったのよ。なのに辛いと嘆くだけで何もしなかった」
それはあくまでも琢磨追求ならの話だ。けれど、それもまた事実には違いない。
己を強くすることで苦痛を無くす神理。加豪はそれの信仰者だ、弱音は許されない。
「信仰のない者は弱い。信じるべきものがないからすぐに諦める。あんたがその子をどれだけ大事に思ってるのか知らないけれど、無信仰者のあんたじゃ私を動かすのは無理よ」
強者が弱者に抱く傲慢のような、しかし加豪が言うとそれが嫌味にならない。それだけに加豪の言い方には迷いがなかった。自信があるんだろう、自分を信じる心の強さに。
「どうせすぐに諦める。無信仰者なんてそんなものよ」
まるで鋼の女だ。
加豪は腕を組んだまま目を瞑る。弱い俺なんて取るに足らないと言わんばかりに。
「なるほど、お前の主張はよく分かった。琢磨追求のお前らしい意見だ。でもな、勘違いしてるぜ」
そんなこいつに、俺は言ってやる。
「この想いだけは誰にも負けない!」
加豪の目が開く。その瞳に真っ直ぐと、刺し貫くほどの視線を送り返してやる。
「無信仰者は弱い? すぐに諦める? ハッ! なら試してみるか? 俺が本気だってことを認めればミルフィアの誕生会に参加してくれるんだな?」
「出来るならね」
「言ったな?」
「だったら?」
そう言って加豪は踵を返し廊下へ歩き出した。まっすぐな背中は今も確信に満ちている。
けれど俺は追いかけ、加豪の肩を掴んだ。
「頼む」
「放して」
加豪の足が止まる。それで半身だけを俺に向け、鋭い視線を向けてきた。
「言っておくけど、琢磨追求は鉄拳制裁なんて日常茶飯事よ。慈愛連立なら暴力とか騒ぐだろうけど、琢磨追求なら殴るくらい当たり前なの。今すぐ放して」
「断る」
「本当に殴るわよ?」
「やれよ」
加豪の視線を真っ向から受け止める。負けてたまるかと視線をぶつけ合った。
「そう」
すると加豪の表情から力が抜け、次の瞬間、カッと見開いた。
「そこまで馬鹿とは思わなかったわッ」
肩を掴んだ手を外される。そして飛んできたのは右ストレート。拳骨が視界を覆う。
「がっ!」
頬に拳がめり込む。衝撃に体が揺れ、痛みと共に視界が揺れた。足が崩れ地面に腰をつく。
「あんたが強引なんだから、悪く思わないでね」
そう言い残し、加豪は再び背を向け歩き出した。
が、
「おい、なに手ぇ抜いてんだ……?」
俺は立ち上がり、加豪の肩を掴んだ。
「お前に突き飛ばされた時の方が強かったぜ?」
頬の痛みを無視して不敵に笑う。そんな俺を加豪が不機嫌そうに睨んだ。
「あんたねえ、本気で殴られないと分からないの? 下手すれば死ぬわよ? それでも諦めないって? なにも信じていないんだからさっさと諦めればいいでしょう」
「しないね」
「どうして?」
俺の手を振り解き加豪が距離を取る。その表情には眉間に皺が寄っていた。意外なのだろう、加豪の価値観では無信仰者がここまでする道理がない。
「どうしてそこまでするの?」
加豪からの質問に、俺は答える。
「ミルフィアのためだからだ!」
ここにはいない彼女のことを想う。そして今までしてくれた感謝を思い出す。
「俺はミルフィアの誕生会を開くと決めた。そのためなら恥も痛みも受け入れてやるさ。誰に殴られようと俺は諦めねえ!」
それだけで、俺の意志は鋼すら超えていく。痛みなんて痛くない!
「無信仰者でも『信念』ならあるんだよ!」
あいつにもっと笑って欲しいと決めた時から、この信念が折れることはない。
「てめえにだって俺は止められねえぞ、加豪」
宣戦布告するように、俺は指を突き付けた。
「…………」
加豪の表情は変わらない。仮面のような顔のまま俺を見つめるだけだ。
だが、鉄のような顔の口元が、少しだけ持ち上がったのだ。
加豪が微笑んでいる。目もどこか優しい。そして視線を俺から切ると青空に向けた。
「琢磨追求は己を鍛え強くする神理。なのに、信仰を持たないあんたは人のために強くなると言うわけ」
加豪は肩を竦め、その後俺を見た。
「分かったわ。その誕生会、私も参加する」
「マジか!?」
「マジよ」
どこか呆れたように、けれどフッと笑って、加豪はそう言ってくれた。




