無信仰者(イレギュラー)
青空に恵まれ校門の前では新入生を歓迎するように両側の木々が花をつけている。多くの人たちだって今日という日のために頑張ってきたはずでこの日を待ちわびていたことだろう。
だが、そんな中で俺だけは違った。気分は憂鬱で、けれど逃げられない現実を直視するようにパンフレットに目を落とす。
――天下界。それは三柱の神による信仰が根付く世界。神理と呼ばれる神の法則が三つあり、人は生まれながらその内の一つを信仰し生きていく。故にここには仲間外れというものはなく、必ずや自分と同じ信仰で結ばれる仲間がいる。神が創った神理を信仰することが天下界に生きる者にとって目的であり幸せ――
「――で、あるから自身の信仰に精進しましょう、か」
嫌になってそこから読むのを止める。書いてある内容は以前読んだ教科書と同じだ。どこもかしこも信仰を精進しましょうとかそんなんばっかり。
見飽きたわ。
「ハン」
俺は忌々しさと共にパンフレットを破いてその場に投げ捨てた。
「知るかんなもん、自分の生き方くらい自分で決めさせろよ」
まったく余計なお世話だ。だっていうのにそれから逃げることも出来ない。
顔を上げる。そこにはこれから入学する神律学園の校舎がある。全寮制の学校で基本的に信仰別にクラス分けがされている学校だ。
そして、今日はその入学式だ。
「ここが今度の学校か……」
俺、宮司神愛が通う新しい学校。入学式なんて本当は楽しいことなんだろうけれど俺からすれば刑務所行きと変わらない。面倒くさそうに黒髪を掻く。
高等学校にあたる神律学園の正門前に立ち、視線の向こうにはレンガで塗装された道。その奥にはコンクリート製の白い校舎が立っている。続く道の両側にはトンネルのように桜が咲いていた。春の陽気に桃色の校門、ザ、入学式って感じ。
しかしここには俺以外だれもいない。それにはある事情があるのだが、ようは入学式はもう始まっており俺はこの時間に来る決まりだったのだ。
新しい学校を今一度見上げる。正直に言うと気分は最悪だ。
「どうしよ、ほんとに帰ろうかな」
「あ、あのッ」
そんな時だった。背後から声を掛けられた。誰だろう、女の子の声だ。
しかし姿が見当たらない。
顔を右に左に動かすがやはり見当たらない。気のせいだったか?
「あの、こっちですこっち! 正面の下!」
視線を下げる。するとずいぶん背の低い女の子がそこにいた。小学生にも見える幼児体型で、白色の髪をツインテールにしてまとめている。二つの髪束は大きな耳のように垂れていた。
「どうしたんだ? なにか用か?」
可愛らしい瞳は愛嬌があるがなんだか不安そうな表情だ。
「そ、その、もしかして、君も遅刻さん組ですか?」
「あ、えっとー」
「よかった~。実はボクもなんですよぉ」
「違う、勝手に遅刻にすんな」
こちとら死ぬほど憂鬱な中ちゃんと予定通りやって来たんだぞ。
「え、そうだったんですか?」
そう言うと白色の女の子は「うーん」と考え出し、思い付いたのか両手をポンと叩く。
「じゃあ、教室が分からないとかですか? それならお手伝いしますよ!」
「はい?」
いや、そうでもないんだけどな。
気持ちは嬉しいが俺は初めからこの時間に来る決まりだったんだよ。それを誤解したのか女の子は照れた笑みに変わっている。
「いや、そんなんじゃないから。別にいいって」
「遠慮しなくても大丈夫ですよ」
「遠慮じゃねえって」
「ボクに任せてください、必ず役に立ってみせますから」
「聞けよ!」
「いや~、せっかく来たのに分からないなんて。ププ、君もおっちょこちょいさんですね~」
「ああッ!?」
なんだこいつ! なんかムカつくんだけど!?
そんな感じで俺は反論するが、彼女は笑顔で言ってきた。
「でも大丈夫です! お手伝いするのがボクの信仰ですから!」
「信仰?」
瞬間、表情が固まった。
神律学園では制服と共に腕章を付けるのが義務になっている。そこには己の信仰を示す印が付くのだ。
パンフにもあったが神理とは三人いる神がそれぞれ作った法則で三つの種類がある。そのうちの一つ、彼女の腕章には白のハートが刺繍されていた。
(こいつ、慈愛連立か)
神理の一つ、慈愛連立。それは人を助けることで苦しみを無くす信仰だ。慈愛連立は困っている人を見かければ助ける神理。だから彼らは人を助けるし、それが分かっているからたいていの人は助けられる。
慈愛連立の彼女は人助けができるのが嬉しそうにはしゃいでいた。
「ですから遠慮しなくて大丈夫ですよ。ボク、頑張りますから! えっと、あなたのお名前はなんですか? あ、信仰が分かればクラスも分かりますよね!」
少女はにこにこと頬を持ち上げ俺の腕章を覗いてくる。
直後「え」と小さな声を零して、表情から笑みが退いていった。
それを見るのが辛い……。
俺も自分の腕章を見つめてみる。
そこには、何も描かれていなかった。生まれた時から信仰を持つ天下界の人々に無地というのはあり得ない。
しかし、違うんだ。天下界にはたった一人の例外がいる。
少女が恐る恐る俺を見てくる。表情は驚いているのか怖がっているのか、小さな口は震えていた。
「もしかして、宮司、神愛……?」
聞かれるが答えない。気まずくて目も合わせられない。
そうしていると女の子は大声を出して逃げ出していった。
「あ、あの、ごめんなさいぃい!」
「おい! 待てよ!」
「襲われるぅううう!」
「襲わねえよ!」
「殺されるぅううう!」
「殺さねえよ、おい!」
呼び止めようとするのだが彼女は猛ダッシュで校舎へと行ってしまった。伸ばした手が虚しい。正門前には俺だけが取り残される。
「……ちっ!」
胸がざわつく。
「まったく、知ってたよ」
愚痴を地面に叩き付け、俺はその場を立ち去った。
その途中、脳裏に浮かんだ言葉があった。
――無信仰者。
「……くそ!」
忌々しさに舌打ちする。
そう、俺は天下界で唯一の、無信仰者なんだ。




