行きなさい神愛! あなたの大事なものを取り戻すために!
一目散に逃げ出す二人に怒声を浴びせ渡り廊下の壁を蹴る。二人はすぐに校舎に入り消えてしまった。
「ったく」
強くもねえのに粋がってるのはどっちだよ。
「神愛君……」
まだむしゃくしゃする俺を恵瑠が見上げてくる。その後俯いてしまった。カマキリの死骸を大事そうに両手に乗せ、表情はしょんぼりとしていた。
それをなんとかしたくて、こいつの頭をポンポンと二回叩いてやる。
「気にすんな。お前は正しいことをしたんだ。胸を張ればいい。だろ?」
元気つけようと思い付いたことを言ってみる。恵瑠は頷いてくれたが、それでも悲しそうなままだった。
「うん。でも、分からなくなる時があるんですよね。本当にこれでいいのかな? って。不安になるんです。正しいことをしても、それで問題が起こっちゃうかもしれないし。今だって喧嘩になりかけましたし」
恵瑠はカマキリを見つめたままそう言った。
恵瑠がしたことは間違ってない。悪いことをしたのはあいつらの方だ。でも、それを注意したらすべて丸く収まるわけじゃない。新しい問題が起きて、誰かが傷つくかもしれない。今回の場合じゃ俺だったかもしれないし、もしかしたら自分だったかもしれない。そのことに恵瑠は迷っていたというか、落ち込んでいた。
難しいよな。
間違ってるって分かってるんだけど、正しいことをしたらもっと被害が出る。そういう状況っていうのはよくある。被害覚悟で実行するか、これ以上の被害を出さないために放置するか。こういう場合って、たいてい後者になっちまうんだよな。だからいじめっていうのはなくならないんだと思う。
「正しいことをするって、けっこう難しいことだと思うぜ。世の中間違ったやつばかりだからさ。それを正そうとするお前を敵視してくる奴だってそりゃいるさ」
「…………」
俺は明るく言うが恵瑠からは暗い空気が漂う。現実と理想の摩擦、か。単純じゃないのは俺にも分かる。
「でもな、正しい行いをすることを躊躇ったら、お前まで間違ったやつらになっちまうぞ。そんなの嫌だろ?」
「嫌です!」
恵瑠は俺を見上げていきおいよく答えてくれた。それで俺も「うん」と頷いてやった。
「だから迷うことなんてないさ。お前はそのままでいい。不安なんて吹き飛ばせ。安心しろ。お前が正しいことして、それで今みたいにトラブったらさ」
俺は恵瑠の前でしゃがみ、彼女を見上げた。辛そうな顔をしている恵瑠に向かって、俺は言ってやったんだ。
「俺が前に立ってやる。ん?」
気さくに、そう言ってやったんだ。
恵瑠は少しだけ驚いたような顔をしたけれど、最後には笑ってくれた。
「…………うん!」
俺は立ち上がる。恵瑠はすでにいつもの調子に戻っていて元気だった。やっぱりこいつはこうじゃないとな。恵瑠が元気じゃないとこっちまで調子が狂う。
「それじゃあこの子のお墓を作りましょう! 神愛君も手伝って手伝って」
「おい、俺もやるのか?」
「当然ですよ! 当たり前じゃないですか! ほら、行きますよ~」
恵瑠は花壇に向かって走り出してしまった。元気になってくれたのは嬉しいが、さっきまで落ち込んでたのに切り替えはえーよ。
やれやれ。でもまあ、いっか。
「ったく。分かった分かった、付き合うよ。俺のやきそばパン、ひと口くらい供えてやるか」
パンを片手に、俺は恵瑠をおいかけ歩き出した。
昼休憩時に起こった、何気ない日常のひと場面。
その日は、よく晴れた日だった。
*
「う……」
痛む体を無視して俺は立ち上がった。
そうだ、まだ終わっちゃいない。なにも終わっちゃいねえよ!
「どけ……」
天羽たちを睨み上げる。視界には数えるのも嫌になるほどの天羽が大挙している。次から次へと数を増やし倒してもきりがない。数の暴力で制圧してくる。
なら諦めるか? もう駄目だと。
目の前に壁が立ちはだかったら。
困難を目にしたら。
もう無理ですって投げ出すのか?
「ふざけろ」
するわけねえだろ。なにがあろうと俺は進む。
そう決めた。
約束した。
あいつと!
「俺はここを通らなくちゃならないんだ」
俺は構えた。大軍の天羽たちに頭上も周囲も包囲されて。それでも戦う気概を見せる。諦めてたまるか、最後まで!
「そこ退けてめえらぁあ!」
俺は目の前の天羽たちに突撃していった。
*
そう言って、神愛は突撃していった。叫ぶ。想いの限りを込めて。この先にいる人物を思いながら。けれどもそれは無謀でしかなく、さきほどの繰り返しにしかならない。
気合だけでは、想いだけでは、この優劣は覆せない。
しかし、ここにそれは現れた。
彼を愛する者が。
「人よ、誠実に生きなさい」
突如現れた女性の声。しかし神愛には聞き覚えがあった。
「我々は成功するために生まれてきたのではない。誠実であるために生まれてきたのだ。あなたは、あなたであればいい」
この声を、この言葉を知っている。
忘れるはずがない。思い出さないはずがない。
それは、涙を零した言葉なのだから。
「神託物招来!」
詠唱は言い終わり、同時に姿を現した。
戦場に母の愛を響かせて。
「愛を以て手を伸ばす者!」
神愛の目の前に白衣を着た女性が着地する。神託物を背後に浮かべ、白い長髪が靡いた。
その後ろ姿に、神愛はたまらず叫ぶ。
「母さん!?」
アグネス・ボヤジュ。聖騎士級の信仰者の登場によりこの場の状況は一変していた。『愛を以て手を伸ばす者』の効果は天羽たちにも有効であり、それによって天羽たちは戦意喪失。なんとか気合を出そうとしているものの武器を構えられない。
広域に及ぶ精神操作。それによりあれほど苦戦していた天羽たちが止まっている。
そんなことよりも神愛は突然現れた母親に目が釘付けになっている。このタイミングでまさか会うとは思わず、正直驚いているのだ。
「どうして母さんがここに? 父さんは?」
「神愛君! 僕ならここにいるよ!」
父親の宮司義純は背後にいた。ショルダーバックを抱え走ってきたのか、息を切らせ神愛の隣で立ち止まる。
「なんで!? どうしてここにいるんだよ?」
ここは戦場。人類と天羽の決戦の地だ。そこに両親がいる違和感。まったくの予想外。そもそも、こんなことがあり得るのか?
神愛の疑問に、父が優しく答えた。
「神愛君がピンチだと聞きつけてね。そしたらお母さんがこうしてはいられないって駆けつけたのさ」
「母さんが?」
驚きながら母へ視線を戻す。そこには修道女の姿を羽で覆った神託物と、その効果で敵を押さえつけているのか、必死に念じている母の姿があった。
戦っている、懸命に。それも自分を助けるために。
母の姿に神愛は胸が熱くなる。
いつも疎まれてばかりだった。目が合うなり罵声を言われ、拒絶されてきた。
そんな人が、自分のために戦ってくれている。駆け付けて来てくれた。
そのことに、神愛はまたも涙が出そうだった。
アグネスは神託物の効果で天羽たちの心を必死に押さえつけながら神愛へと振り向いた。
「行きなさい神愛! あなたの大事なものを取り戻すために!」
「母さん」
真剣な眼差しが神愛を見つめる。これだけの数の天羽を押さえるだけで精一杯なのだろう。額にはすでに汗が浮かんでいる。美しい顔は苦しそうに眉間にシワを寄せ、それでも懸命に神愛を見つめる。訴える。
自分の息子へ、全霊をかけて伝えるのだ。
「必ず! あなたにならそれが出来るわ!」
息子を信じていなかった母親が、息子を信じ、そう言ったのだ。
神愛の瞳には、うっすらと涙が溜まっていた。
神愛は二人を見つめた。両親の姿を見ながら思う。いろいろあった。家族という関係ではあったが、暗く辛い時間が多かった。
でも、今は違う。家族の絆は今に続き駆け付けてくれた。信じる心が絆を生み未来を切り開く。
いつか、笑える未来に向かって。
神愛は両親を見ながら、思ったことが口に出ていた。
「ありがとう……。母さん、父さん」