ごめんなさい……。殺すわ、あなたを
天和の言葉は無関心か、もしくは無責任なものかもしれない。良くも悪くも世界の変化を受け入れている。
しかし、それもそうなのだろう。どれだけ考え悩んだところで現実は変わらない。人は争いを起こし、平和のために力を示す。この構図は変わらないのだから。
ならば問題は心構えだ。その事実を前にして、どう受け取るか。
ラファエルは悲観し、天和は達観していた。
天和の答えに、ラファエルは小さく笑った。
「無我無心らしい言葉ね。そうやって割り切れるのは。少しだけ羨ましいわ……」
内面から苦しみを消す信仰、無我無心。どれだけの悲劇があろうとも心が痛まないというのはそれはそれで幸せだ。なにせ人生に苦難などないのだから。それが理不尽であろうとも彼らなら気にすることなく生きていけるだろう。
苦しむことがない彼らの精神性が少しだけ羨ましく思えた。
「でも」
それでも、自分のやるべきことを曲げるつもりはない。
ラファエルは悲しみの中に決意を宿す。
「私は天羽で、あの方の命を全うするために創られた存在だから」
天羽の存在意義。
自分の役目。
それはすべて天主イヤスの命を果たすこと。そのために自分は生まれてきた。この戦いを終わらせ、地上から争いを無くすために。
だからこそ、
「ごめんなさい……。殺すわ、あなたを」
ラファエルは天和へ告げた。別れの言葉を。
今までの会話は恵瑠の友人だった少女へのせめてもの懺悔だったのかもしれない。罪と苦しみを告白したかったのだ。
けれどそれもお終い。罪は罪、赦されはしない。犠牲への負い目を覚悟で背負い、ラファエルは優しさを捨てる。
「天界の門を開け我らは理想を遂げる。神と秩序によって平和を実現し、永遠の栄光を実現してみせる!」
すべては平和のため。理想のため。
あの方の愛に応えるために。
「そのためにも、この戦いは負けられない!」
ラファエルは叫んだ。八枚の羽が開かれる。この場の大気が震えた。彼女の持つ霊的質量に猛風が起こり木々が揺らめく。羽は微かに光り、ラファエルは左手を天和に向けた!
『栄光へと至る第八の力!』
彼女だけが持つ固有の能力。生命を司るこの力の真髄は生死すらも操ることだ。サリエルの持つ『絶対死の邪眼』は生命は無論、炎や機械、すべての活動を弱らせ死に至らしめる力だが、その分時間が掛かる。
それに比べラファエルの『栄光へと至る第八の力』は活動を止めることは出来ないが、生命ならば瞬時に絶命させられる。
それはまさしくすべての生命を支配し永遠の栄光へと導く力。
終わりだ。天和でなくとも敵わない。
相手が人ならば、彼女は無敵なのだ。
――だが、ここに必定が覆る!
「どうして!? なぜ死な――」
天和は死んでいなかった。能力は発動している、にも関わらず天和は倒れない。
瞬間だった。
天和の姿が消えたかと思うと、ラファエルの正面に突如現れ、彼女の顔を掴み背後の壁に激突させていた!
「ガッ――――」
天和の片手に押し付けられラファエルの体は壁にめり込んでいる。
一瞬の出来事。対処など出来るはずがない。十メートルは離れていたにも関わらず気づいた時には手遅れで、ラファエルはそのまま意識を失っていた。開いていた羽は力を失い彼女の腕も力なく垂れる。
天和は片手でラファエルを掴んでいた。自身よりも背が高く、さらに羽の重量を考えれば八〇キロ近くもあるであろうラファエルを軽々壁に打ち付ける。
ラファエルは倒れた。勝者である緑色の髪の少女は赤い瞳を冷ややかに向け、小さくつぶやいた。
「長い」
話が長い。そんなどうでもいい理由だけを言い残し、天和はラファエルから手を離した。天和の手から解放されその場に倒れる。起きる気配はない。完全に意識を失っていた。
それはあり得ない出来事だった。この事態を誰が予想できただろう。四大天羽の彼女が敗北するなど。
いや、なにより天和が勝利することを。
天和は勝った。四大の天羽であり超越者に勝ったのだ。それが意味すること。しかしそのことを告げるのはここにはいない。ここに立っているのは天和だけなのだから。
天和は振り返り二階部分から小さく跳んだ。地上に降りると支点の中心に立つ。
そこで、つま先で地面を蹴った。
瞬間、アスファルトの地面は崩壊した。轟音を立て地割れが走り、紋様は地面と共にバラバラに砕け消えてなくなった。
結界の支点の一つが消える。その成功を、しかし天和は無表情に受け止めるだけだった。そこに高揚も達成感もない。ラファエルに勝利した歓喜もない。
天和は一人地上に立つ。静寂な空気で勝者は佇むだけだった。
その時、どこからともなく声が届いてきた。
「困りますよ天和殿~、こういう勝手をされては~」
それは陽気な女の子の声だった。天和の背後からであり、空間が波紋のように揺れるとそこから一人の女の子がとび出した。
身長は天和より少し高い。年も天和より上くらいであり、一七か一八だろうか。緑色の装束に身を包み、白の帯を腰に巻いている。同様の緑色の布で口元を隠しており、青色の髪を串でまとめていた。丸みのある瞳は快活で無垢を思わせる。
彼女の登場に天和が振り向いた。
「五十鈴、いたんだ」
「そりゃいますとも」
彼女とは顔見知りらしく天和は突然現れた彼女に平然と話しかける。
対して五十鈴と呼ばれた彼女は何食わぬ顔で応えると、ビシ、ビシっとポーズをきめ出した。
「無我無心の上忍くノ一五十鈴、常に天和殿の護衛としてお傍に控えているでござる。にんにん」
最後には両手を合わせ印を結び目を瞑っていた。どことなく満足気である。
ここは戦場だ。にも関わらずポーズを取っている辺りずいぶんと緊張感に欠けた忍だが、しかし空間から出てきたというその事実。それだけで彼女が超越者なのは確実だ。上忍というのがエリートを指す言葉なのは容易に想像がつくがどうやらその通りの実力者らしい。
そんな五十鈴にも普段通りに天和は聞いていた。
「護衛っていうならなんでさっき助けてくれなかったの?」
「いや、護衛というのはあくまで建て前であって、本当は監視が任務でござる。ていうか、天和殿より強い人いるんですか?」
五十鈴の言う通り、ラファエルを瞬時に倒せる天和に護衛は必要ないだろう。であれば目的は監視しかない。
「そう言うなら護衛なんて止めてサボっちゃえばいいのに」
「そういうわけにはいかぬでござるよ~。天和殿のことでなにかあれば拙者が半蔵殿から叱られてしまうでござる。お叱りは嫌でござるぅ~」
そう言いながら五十鈴は頭を突き出すと両目から涙を流した。どういう理屈か涙は瞳と繋がっており振り子のように左右に揺れていた。器用なものである。
「ふーん」
しかし天和、これをスルー。
「いや、ふーんではござらぬよ。いきなり四大天羽を倒してしまって、天和殿のことが露呈したらどうするでござるか」
「それよりも、こうして天界の門が半分開いてるわけだけど、毘沙門天はなにしてんの?」
「いえ、別段なにも?」
天和は真剣な雰囲気で聞いていたのだが、五十鈴はあっけらかんに言う。天和がじと目で見つめるも両肩を下ろすだけだった。
「するわけないではござらぬか~。もともと無我無心は世界がどうなろうと知ったことじゃない、っていう人間の出来損ないの方が役職上になっていくんですから。毘沙門天殿はそれに比べて責任感が強いので全般の指示を任されていますが、役職自体はそんなに高くないですからねあの人」
天界の門という人類全体に関わる問題だが、それを把握しておきながら無我無心は静観を決め込んでいるようだった。無我無心の性質上、強くなればなるほど感情や関心が希薄になるのだから当然なのかもしれないが、それにしても悠長すぎる。