ここは死に愛されし処刑場。黒と月光に彩られた世界に抱かれ罪人よ裁かれるがいい。
「あ、ああ……」
勝てない、勝てるわけがない。そもそも相手が超越者という時点で背後を取られ、加えて無価値な炎を出されれば死の視線は完全に機能しなくなる。
サリエルでは、相性が悪すぎる。
熱に次第に体力は限界に差し迫り、なにより勝機が見当たらない。大鎌も邪眼も封じられ、攻撃する手段がない。
ウリエルは無価値な炎をサリエルに放った。青白い炎の放射がサリエルに迫る。触れるものすべてを消滅させるため炎や熱すら掻き消す無価値な炎は灼熱の世界にあって極寒だった。死など生温い完全なる消失。
それをなんとかサリエルは回避した。無価値な炎はさきほどまでサリエルが立っていた地面に直撃する。炎は広がると巨大なクレーターを作っていき、まるで一部だけ解けた氷のようだった。
一撃必殺のウリエルの攻撃を躱したサリエルだったが灼熱の世界は健在。躱すことの出来ない熱という名の広域攻撃、それをいいことにウリエルの連撃が攻める。
回避先を予期していたウリエルが両手に持った長剣を振り下ろす。勢いをつけた大質量の衝撃にサリエルは吹き飛ばされるが、空間転移で後方に先回りしたウリエルが再び一閃。サリエルは宙へと飛ばされた。それを追いかけウリエルが上昇する。長剣を頭上高くに振り被り、落下する直前のサリエルに振り下ろす!
「ぐううう!」
なんとか大鎌の柄でガードするものの地面へと急降下、だが、ウリエルがそれを抜き去った。
一足早くに地面に着地し、落ちてくるサリエルへ、最後となる剣撃を打ち付けた!
「があああああ!」
その衝撃、サリエルは濁流に飲み込まれたかのように成す術もなく吹き飛ばされていた。棒で叩かれたボールのように飛んでいったサリエルは建物を貫通し、いくつもの外壁を破壊してその次の建物に突入した。しかしそれでも勢いは止まらず、ようやく三回目の建物の壁にめり込んで停止した。
「ガ、グ、ウゥ……」
三階の壁に腕や足、体全体が完全に埋もれていた。体は指先すらピクリとも動かず街並みを俯瞰する。全身は痛みを危険信号として頭に送ってくるがすでに容量がいっぱいだ、どこがどれだけ痛いのかももう判別がつかない。ただ痛い、痺れる、それしか分からない。
事実、サリエルが負っている怪我はひどいものだ。全身の七〇%は火傷を負い左腕はあらぬ方向に曲がっている。天羽の肉体が人とは違うといえど重傷だ、誰が見てもドクターストップ。セコンドがいれば即座にタオルを投げ込む。
戦うどころか立つことすら困難な大怪我だ。にも関わらず、今も肌はじわりと焼かれ火傷の深度を増している。
相手は伝説の天羽、神の炎。空間すら自分の炎で塗り替える怪物だ。おまけに自分の武器も邪眼も通じない。
この、あまりにも勝ち目のない戦いに――
「クッ、クク……」
サリエルは、笑った。
それは異常としか呼べないものだった。ここまで大差を見せつけられて、なぜ笑えるか?
しかし、それでもサリエルは確かに笑っていた。激痛の中、愉快でならないと。痛みすら上回る愉悦に笑いが止まらない。
滑稽だ、愚鈍に過ぎる。その子供じみた傲慢がおかしくて堪らない。
「は、はは、ハハハッ……」
思い出す、やつがなんと言ったのか。
「お前は負ける?」
振り返る、やつがなにを言ったのか。
「私に勝てない?」
そうだ、ウリエルは言った。お前は負けると。私に勝てないと。この空間に居座る王の如き遥か高みから、まるで格下に言わんばかりの傲慢な態度で。
言われたのだ。
彼のプライドを、彼の誇りを汚したのだ!
「こんな安っぽい攻撃で……この俺が、てめえなんかにぃい!」
激昂する、しないわけがない。
その傲慢、どれほど浅はかか思い知らさねばならない。
「勝てないなんて、あのクサレ天羽は口にしやがったのかぁァアアアア!」
彼の怒号がこの場に轟く。完全に停止していた四肢は動きを復活し、彼は埋もれた壁からはい出した。
「ならば見せてやる、お前の死を」
サリエルが地に立った。しかしその立ち姿、それは天羽のものではない。殺気をマントのように翻し、世界すら震え上がるほどの極大の憤怒が溢れ出す。
それは死神。充満する死の気配を携えて、男は鎮魂歌を口にする。
「汝よ、休める時だ。傷ついた魂は休息し、新たな門出に備えよう」
瞬間、大気が静止した。
「ん?」
この異変にいち早くウリエルが反応する。八枚の羽を広げ宙から見下ろす動きが止まった。これからなにが起こるのか、それは予感だが確信する危機感が警鐘を鳴らす。
まずい、まずい、これはまずい。迫ろうとしている、この身すら死に追いやる絶対的な猛威が。
死神の足音が聞こえるのだ。歌声も、抱擁も、すべてが死に繋がる最悪の存在が。
「私は汝を抱擁し、その疲れと飢えを拭い去ろう。汝のすべてを祝福し、汝に最愛の歌を贈ろう」
サリエルが言葉を紡ぐ度、この場を覆っていく不吉な空気。恐怖が肌に突き刺さる。真っ当な人間ならこの場に近づこうとは思わない。事故現場や墓所、大勢の人間が亡くなった場所に人が寄りつかないように、この場はその究極である呪いの地に変貌していく。
「恐れるな、死とは旅立ちなのだから」
その準備は整った。
見るがいい、そして思い知れ。これこそが死の極地。両目に宿った呪いなどという受動的なものでなく、己の意思で扱う力。
七大天羽サリエルの、真の能力なのだ。
「絶対死の邪眼」
瞬間、空は昼から『夜へと変じた』。
「なに?」
日夜の変化にウリエルも驚く。曇天の空なため分かりづらいが、この場は一瞬で夜になったのだ。
それだけではない。
そのあまりの巨大さにウリエルは見上げたまま固まっていた。
空を覆う暗雲を押し退けて、月が顔を出したのだ。でかい、空が月によって蓋をされたよう。そもそもあり得ない、月がここまで接近するなど。
さらに月に変化が生じる。
わずかに振るえたかと思うと、真ん中に線が走り、瞳が開いたのだ。
「なんだと」
これは月であると同時にサリエルが保有する第三の眼、真の邪眼。
二人の直上に浮かぶ巨大な一つ目が地上を覗き込む。
その不気味さ、異様さ。身の毛がよだつ禍々しさだ。
これこそがサリエルの奥の手であり絶対の力。『絶対死の邪眼』。能力は死の視線の上位互換。体力を奪い取るのも死に追いやるのは無論、これは『あらゆるものを殺す』。
それは無機物だろうが寿命を削るということ。あれほど燃え盛っていた炎が、熱が、急速に冷めていく。まるで首でも締め上げられていくかのように、急速に勢いを無くしていくのだ。
さらにこの視線は千里眼も備えている。屋内に逃げ込もうがすり抜けて対象を呪殺する。加えて効果は死の視線と重複する。二つの邪眼で見れば効果は二倍。
三十秒で相手を殺せるのだ。
逃げ場はない、視界そのものとなった空間がサリエルの武器となって罪人を追い詰める。
ここは死に愛されし処刑場。黒と月光に彩られた世界に抱かれ罪人よ裁かれるがいい。
刑罰は当然、死、あるのみ!
「ぐうううう!」
今までの比ではない体力の減衰にウリエルは地上に降り、さらに片膝を付いていた。あらゆる効果が二倍であるため体力の減衰も半端ではない。しかも街を覆っていた炎も熱も今は地面に少し残る程度だ、炎の柱はすべて掻き消えた。表情は歪み肉体と精神、両面からの攻撃に苦痛を強いられる。
そんな彼女の姿を見て、サリエルは大笑していた。
「クックックッ。アーッハッハッハッハ! どうしたウリエル、苦しそうじゃねえか。さっきまでの威勢はどうしよなあ?」
笑い声を上げるのは新たなここの主。死に愛されし、そして死に呪われた天羽ただ一人。
月とは古来より魔力を司るとされてきた。夜によって満ち欠けを繰り返し、海の満潮すら左右する神秘的な存在に人は不思議な力を感じていた。
その月を管理するのもサリエルの役割だ。月の出現と魔力を自在に操り、サリエルの怪我はみるみると回復していく。数秒も経たぬうちに火傷も左腕も元に戻っていた。
「ああ、いいねえ~。お前が浮かべるそんなツラをずっと想像してたんだ」
想像の中だけで我慢してきた絵面が目の前にある。直に見るウリエルの姿に愉悦が止まらない。快感に全身が痺れる。幸福の蜜に浸かっているようだ。
「だがなあウリエル、お楽しみはこれからだぜ。とは言ってもすぐに終わっちまうんだがよぉ。まあいいさ、それくらい流してやる。てめえに預けた利息に比べれば微々たるもんだ。気にしないで死んでくれや」
全身から漲る快感はそのままに戦意が迸る。月の魔力で強化された肉体と新たな邪眼を引きつれて、宿敵ウリエルに刃を向けた。
サリエルは月夜と死を司る死の天羽。逃さない。命を刈り取る死神の空間、見逃すはずがない。