分からないんだよ……
あれから恵瑠と別れて、俺は教皇宮殿の部屋に戻っていた。ベッドに腰掛け重いため息を吐いた。
「はあー……」
胸が重い。鉛を飲み込んだようにっていうのはこういうのを言うんだろうな。気分は沈んで深く暗い穴に落ちていくようだ。
「……はあ」
またため息が出る。原因は当然恵瑠のことだ。
『私は、初めからお前を友だと思ったことなどない』
恵瑠に言われた一言が胸に突き刺さり抜けない。明らかな決別の言葉。
俺の思い上がりだったのか? 友達だと思っていたのは俺だけで、恵瑠はすでに人間と天羽と割り切っているのか?
「…………」
沈黙が重い。この部屋全体が葬式の会場みたいだった。
その時コンコンと扉をノックする音がした。けれど応える余裕がなくて、俺は無視していた。
「主? いますか? 入りますよ?」
扉は簡単に開き外からミルフィアが入ってきた。ミルフィアが破った扉は修復してもらったが鍵の交換まではそういえばまだだったな。
俺はミルフィアに振り向くことなく目線を下げていた。
「主……」
ミルフィアから心配する声が聞こえる。
第三駐屯地でなにが起こったかはミルフィアたちも知っているはずだ。俺はここに到着するなりこの部屋に戻ってしまったが、事の詳細は他の人が報告しているはずだ。
恵瑠が駐屯地を襲撃し、そのまま立ち去ったこと。人類に対する明確な敵対行為。恵瑠はもう完全な敵になってしまった。
おまけに、友人ではないと言われた。
ミルフィアは俺の前でしゃがみ込むと、そっと俺の手を握ってくれた。
「大丈夫ですか?」
俺を見上げ、のぞき込む青い瞳は心配そうに揺れていた。
ミルフィアだって恵瑠が敵になったことに落ち込んでいるはずだ。それを堪えて俺のことを考えてくれているんだ。
それは分かる。分かるけど。
「ミルフィア」
俺はミルフィアの顔から視線を逸らし、弱り切った本音を言った。
「気持ちは嬉しいけど、今は一人にしてくれ」
彼女の優しさは嬉しいし、心配してくれることもありがたいことなんだって分かってる。
でも、ダメなんだ。
「分からないんだよ……」
今にも泣きそうな声で、気持ちは真っ暗だ。
「友達だと思ってた。一緒にいて楽しかった。あいつだって笑っていた。友達だと言ってくれたんだ」
学校にいた頃のあいつの姿なら鮮明に思い出せる。俺の冗談に怒ってた時もあったけど、あいつは最後には笑ってくれたんだ。いつだって、あいつは楽しそうに笑ってた。
「なのに、違うと言われた。お前なんか友じゃないって……! 友達ってなんなんだ? これでもう終わりなのか? ぜんぶ俺の勘違いで、初めから友達じゃなかったのか? それとも、友達ってこんなものなのか? 俺は今までできたことがないからさ、分からないんだよ」
考えれば考えるほど分からなくなる。迷って迷って、不安が大きくなって、その不安を消そうとまた考えるけど、結局迷う。
いつまでも苦悩と不安が消えないんだ。
「主……、でも私は」
俺の言葉にミルフィアの目が悲しそうに細められた。彼女は俺の話を静かに聞いていたが、心配からか、離れようとはしなかった。
「ミルフィア。……一人にしてくれ」
それを、俺は断った。
俺からの再度の頼みにミルフィアも顔を下げ、ゆっくりと立ち上がった。
「失礼します……」
そのままミルフィアは出ていき、扉が閉まる音がバタンと響いた。
「……くそ」
小さくつぶやく。
最低だな。ミルフィアはせっかく心配して来てくれたってのに、それを無理矢理帰すなんて。
でも、今は誰かと一緒にいれる気分じゃない。
俺はベッドに腰掛けたまま、晴れない思いにうなだれていた。
*
神愛からの頼みにミルフィアは退室していった。
「失礼します……」
主である少年に小さく頭を下げ、部屋を出て行く足取りは重い。扉をバタンと閉めた後、反転して扉に背を預けた。
「はあ……」
小さなため息を一つ吐く。
神愛が落ち込んでいる。彼にとって友達とはそれ以上の意味を持つものだと彼女は知っている。ずっと一人で苦しんでいた彼の人生を変えた。それがあの三人だ。それについてミルフィアはとても感謝している。あの三人と友人になってから、神愛の様子は明らかに楽しそうに変わった。差別と偏見に満ちた人生が彼女たちのおかげで救われたのだ、彼にとって友達とは恩人だ。とても大切な人生の宝に他ならない。
それを失った。だけでなく敵対ときている。神愛のショックは計り知れない。
彼が苦しんでいる。大切な人が悲しんでいる。その辛さが分かる。
なのになにも出来ない自分が不甲斐ない。どうすることも出来ないことに、ミルフィアはもう一度ため息を吐いた。
「ミルフィア?」
そこへ声をかけられて顔を上げた。
廊下には加豪と天和が立っていた。天和は無表情だが今声をかけてきた加豪は心配そうにミルフィアを見ている。
「神愛は……?」
そっと傷口に触れるような聞き方に、ミルフィアは小さく顔を横に振った。
「そうよね……」
加豪は俯いた。恵瑠のことは報告で聞いている。それでショックを受けた彼女だが、それ以上に心配したのは神愛のことだった。その心配は当たり、彼は一人塞ぎ込んでいる。
「あいつ、ずっと心配して、頑張ってたからね」
「ええ……」
無謀で向こう見ずな行動ばかりではあったが、それも神愛が恵瑠を本当に心配していたからだ。それだけ強い気持ちでなければ教皇誕生祭に乱入するなど出来ない。
たとえ国家を敵にしてでも、神愛は恵瑠を助けに行ったのだ。
その恵瑠が敵になった。精神的なダメージは助けたいという思いが強かっただけに辛いものだ。
これからどうすればいいのだろう。どうすれば神愛は立ち直れるのだろう。廊下は沈黙し、先の見えない不安にそんな空気が流れ始めていた。
しかし、その重苦しい空気が動いた。
それは誰か。この空気すらブレイクする兆しを見せる、空気を読んで空気を読まない行動を取るようで本当に読めてないだけだと思わせる、要するによく分からない行動をするキテレツ。
それはこの人。
「私にいい考えがあるわ」
薬師天和その人である。
「え?」
「なんでだろ、いい予感がしないんだけど」
「大丈夫、問題ないわ」
天和をミルフィアと加豪が心配そうな目で見つめている。それは神愛に抱く心配とは違った意味で。
天和が言うことは結果的に正しいことが多いのだが、同じくらい不安も大きいのはなぜなのか。
天和は自信でもあるのか近づくと二人を見上げてきた。
「要は宮司君が笑えるようになればいいんでしょう?」
「まあ、今よりはその方がマシだろうけど」
加豪が答える。天和の言っていることは間違ってはいないが。
重要なのはその方法だ、その方法が分からなくてこうして行き詰まっているのに。
それに対して天和が出した答えは、
「なら私たちで笑わせればいいのよ。名付けて」
ババン!
「爆笑、誰が最初に笑わせられるか大会~」
「…………」
「…………」
両者圧倒的沈黙。
「いや、そんな無表情で爆笑、誰が最初に笑わせられるか大会~とか言われても」
「そうですよ天和。いきなりそんなことを言われても出来ませんよ」
間を置いて二人が反論する。当然だ、奇抜な発想にもほどがある。
けれど天和も退かなかった。
「出来る出来ないはやってみないと分からない。初めから出来ないなんて嘘つきの言葉よ。分かんないけど」
「分かんないんですか」
ミルフィアが呆れた風に言う。
「やってみればいいじゃない。それで拾えるものがあるかもしれないし、ダメでもいいじゃない。玉砕覚悟でいけばいいのよ。質問は?」
ミルフィアを無視して天和が確認してくる。それにミルフィアは小さく手を挙げた。
「あの、笑わせると言っても、どうやって?」
「質問はないようね、さっそく実行に移しましょう」
「ちょっと!」
無視された!




