ふ、ふざけんなよウリエルゥウウウウウウ!
「ゲッ!?」
サリエルの声に恵瑠が振り向く。そこに立つ元同僚にあからさまに嫌な顔を浮かべていた。
まさかの再会にサリエルは驚愕するが、まずは平静を装い近づいていく。
「おいおいおい、会うなりゲッとはご挨拶じゃねえか。何年ぶりだ? こうして会うのはよぁ。まずはお久しぶりですサリエルさんじゃねえのか?」
「死んでください」
「あああ!?」
だが恵瑠から返ってきた言葉に声が荒れる。数年ぶりに会ってその第二声が死んでくださいだ、彼が怒らないわけがない。
反対に恵瑠はすこぶる嫌な表情だ。会いたくなかった人物との再会にあれほど楽しそうだったテンションが激落ちしている。三日連続でカレーを出されたような顔をしている。
「え~、サリエルなんなんですか? ボクもう帰っていいですよね?」
見上げる目が死んでいる。本当に彼は苦手なようだ。
「いいわけねえだろ、なんだてめえは。喧嘩売ってんのか? ああ?」
「うわ、昔のまんまだ」
呆れたように恵瑠が驚く。それにサリエルは鼻で笑った。
「てめえは変わったがイラつかせるのは変わらねえな」
突然の出会いに驚いていたサリエルだった少しずつ思い出していく。こいつとは昔からの因縁がある、それを清算しなくてはならない。借りは利息が膨らんではち切れんばかりだ、そのせいでこの二千年、サリエルは苦汁をなめ続けられた。いつもいつも、理不尽な状況にプライドはズタズタだ。
それもすべてこいつのせい。目の前の女のせいなのだ。積年の恨みが静かに燃え上がていく。
「まさかこうしてお前と会うとはなぁ。分からねえもんだ。てめえにはいろいろ言いたいことがあったんだよイカレウリエル、頭がふざけてんのは今も同じか?」
サリエルは前屈みになり恵瑠に顔を近づける。それを恵瑠は嫌そうに顔を背けた。
「ちょっとあんた、こんな小さな子をいじめるつもり? 恥ずかしいわねぇ」
店員は見た(目の前で)!
正面で繰り広げられる司法庁長官が少女を脅すという現場に店員まで呆れ顔だ。思わぬ援護に恵瑠も強気になる。
「そうだそうだ!」
「うるせえ黙ってろ!」
余計な外野に牽制を放ちサリエルは再び恵瑠を見下ろす。苛立つ、腹が立つ。思えば昔もそうだった。悪いのはこいつなのになぜか割を食うのは自分だけ。おかしい、理不尽だ。そんな目ばかりに遭ってきた。
ここに店員がいなければ直視しているところだ。
「なにをしているサリエル」
そこに新たな声が加わった。廊下を見れば、そこにいたのはガブリエルだった。冷たく鋭い視線が自分に向けられている。
「ガブリエル! サリエルが~、サリエルが~」
急いで恵瑠がガブリエルの背後に隠れる。それを気にする様子もなくガブリエルはサリエルを見つめた。
「んだよガブリエル、古い友人とお話してただけじゃねえか。それがどうかしたのか?」
バツが悪そうに頭を掻きながらサリエルは姿勢を正した。邪魔が次々と現れる。しかも今度はガブリエルだ、一番厄介な邪魔が現れた。
「それだけならば退け。自身の立場を考えろ。そうふら付いていると示しがつかんぞ」
「そうだそうだ!」
「このぉ……」
虎の威を借りた鼠のように恵瑠が威勢のいい声を上げる。
どうする? ようやく出会えた宿敵がこうして目の前にいる。本当ならば八つ裂きだ。
だが状況が悪い。それにこんな場所で、こんな出会い方で決着をつけるのか? それだけじゃない。
(今のこいつじゃねえ)
栗見恵瑠とは仮の姿。本当の彼女はこんなガキじゃない。今のウリエルを倒しても意味がない。
時じゃない。決着をつけるのはまだだ。
彼女を天羽に戻す。その時こそが、本当の決着の時。
「ちっ、分かったよ。お前の言う通りだ、それに無駄話してるほど俺も暇じゃない。ほれ、さっさと行けよ。俺の気が変わらないうちにな」
「逃げろ~~! サリエルに殺される~!」
「殺さねえよ! おい、なに物騒なこと言いながら走ってんだてめえ!」
慌てて廊下まで走り恵瑠の背中に怒鳴りつける。しかし恵瑠は廊下の角を曲がった後だった。
「ったく、ふざけたやつだ」
「そう熱くなるな」
欲求不満の不完全燃焼に怒りが燃えきれない。それをわき目にガブリエルは澄んだ顔で立っていた。
「お前とあいつの邂逅だ、思うところがあるのも分かるがな」
「だったらほっといてくれりゃよかったのによ」
「そうもいかんだろう」
ガブリエルが含み笑う。つかみどころのない彼女にサリエルは「ったく」と小さく呟きレジへと近づいていった。
「おい、財布持ってきたからさっきのやつくれよ」
とりあえず今回のことは流そう。時期ではないのだ、いずれ時は満ちる。青い果実など固いだけだ、食うにしてもタイミングがある。そう自身を宥めた。それに好物のチーズケーキもある、それを食べて落ち着けばいいじゃねえか。サリエルは店員に注文した。
「ないよ」
「ああ?」
だが、店員のおばさんは至って普通の顔でないと言ったのだ。
「チーズケーキはさっきの子が買っていったよ。あれが最後の一個さ」
「な……」
思い出す、そういえばチーズケーキは最後の一個だった。それをよりにもよって、財布を取って戻ってくるという短時間に、よりにもよってウリエルに先を越されたというのか?
「ふ、ふざけんなよウリエルゥウウウウウウ!」
サリエルは天井に向かって吠えた。青い果実? 知ったことか、乱暴にむしり取って食い潰したい気分だった。
*
チーズケーキの一件によりサリエルの私怨にウリエルが火を点けたのは事実だが、両者の因縁はもっと深く長いものだ。それは二千年前にも遡る。
天界紛争。ミカエル率いる天羽軍と、反逆者ルシファーによる堕天羽たちとの戦いだった。元は同じ天羽が思想の相違によって殺し合う。それは悲しくも壮絶な戦いだった。
かつて栄華を誇った人の都はしかし崩れ落ちていた。人々で賑わった城下街には誰もおらず、栄えある建築物は倒壊している。澄んだ青空とは反対に地上では土色の建物が亡骸として横になっていた。
ブロック状に散らばった建物の瓦礫。それを踏みつける足があった。さらに切迫した発声と激しい剣戟の音。
ここには人はいない。いるのは羽を持つ者たち。純白のワンピースを身に纏い、兜で顔を隠し、盾と剣を携えた天羽たちが天地の境なく争う戦場だった。
どちらも己の信じる正義のために剣を振り、敵となった仲間を倒す。信念のぶつけ合い、その度に命が飛び散っていく。
後に天界紛争と呼ばれるこの争いは、総数では圧倒している天羽軍が優勢だった。そもそも堕天羽軍はもとは天羽軍、その三分の一だ。要は二倍の戦力差。不利なのは言うまでもない。
しかしこの戦場に置いて勢いは堕天羽軍に傾いていた。天羽軍はみるみると数を減らしていき劣勢に追い込まれていく。
天羽軍の窮地。そこへ、駆け付ける翼があった。
「あれは!?」
それに一体の天羽が気づいた。遥か上空、青空を切る白い一点に目を奪われる。次々と他の者たちも気付き、連鎖的に歓喜と緊張が湧き上がった。天羽軍は歓迎の声を。堕天羽軍は不安の声を。
傾いていた士気が変わっていく。登場するだけで味方を鼓舞し敵を怖気づかせる魔力がその天羽にはあったのだ。
それは誰か。その名を、敵が叫んだ。
「『四大天羽』のサリエルだ!」
天羽軍劣勢の戦場に現れた、それは八枚の羽を持つ赤髪の天羽だった。
「悪いな同族諸君、俺の役目は知ってんだろ。お前ら悪がき共を叩く鞭だ。とりわけ俺の鞭は強烈だがな」
サリエルは宙に浮遊する。白のロングコートの端が揺らめき、裏地の黒が見える。風になびく髪は血のように赤く、両目は包帯が巻かれ隠されているものの口元は笑っていた。
だがなにより目を引くのは、彼が肩に担いでいる大鎌だ。全体が黒く、細い柄をしたそれは小枝を伸ばしたように形がやや歪になっている。その刃によって断たれた堕天羽は数多い。彼は裁きの者であると同時に処刑人。その姿は天羽と呼ぶには相応しくない。
白い死神。それこそが、天羽を裁く天羽として生まれたサリエルに相応しい呼び名だろう。
サリエルはゆっくりと地上に降り立った。軽く上がる大気に頭の後ろで結ばれた包帯の端が長髪のように揺らめいた。
数ある天羽の中でも最上位の称号である四大天羽を冠するサリエル。その実力は天界紛争でも遺憾なく発揮されていた。耳に入ってくる彼の伝聞に優勢のはずの堕天羽たちから余裕が消えていく。
そこへ、堕天羽たちを掻き分けて、奥から新たな堕天羽が現れた。
全身がプレートアーマーに包まれた天羽だった。身長は一八五センチほど。騎士として細身ながらもしっかりした体格なのが鎧越しでも伝わってくる。二枚の翼は折り畳み、メタル色の鎧は日の光を受け鈍く輝いている。顔を隠す兜からは赤い光がライトのように二つ灯っていた。
「久しいな、サリエル」
精悍な声が響く。そこに隙はなく、戦場に身を置く者の覚悟が宿った声だった。
「アザゼル……、お前も裏切ったかよ」
彼の名はアザゼル。堕天羽軍として活躍する強力な天羽の一体だ。この戦場が堕天羽優勢だったのも彼の奮闘だ。強さだけならば間違いなく上位に入る。
だが敵だ。サリエルは侮蔑を含めて言ってやる。