お前を、殺す
戦いは、一時間ほどで終わっていた。兵士たちは駐屯所を後にして撤退を開始した。彼女の周囲は燃える音だけになっている。
ウリエルは地上に降りた。コンクリートの地面の上に立ち、胸に手を当てた。
「はあ……はあ……」
深く、重い息が出る。涙をぐっと耐え、溜め込んだ心労を吐き出すように。傷一つない体に守られながらも、心は鋭利な刃物で切り裂かれたように痛々しい。
ウリエルは今一度駐屯地を見渡した。炎上する建物、天にまで届きそうなほどの黒煙。地上を覆う炎の音。それらはぜんぶ自分がしたことだ。理想のため、平和のために。
そう、仕方がないことだ。ここにある痛みと悲しみは。それを目の当たりにしてしかしなにも出来ない。これは犠牲、救うことは出来ない。
ウリエルは姿勢を正し、現実を受け止めた。
(私にはもう、これしかない)
もう後戻りは出来ない。これだけのことをした、あとは進むしかない。
(そう、これしかないんだ)
一つを諦めて、一つを成す。
(世界から争いを無くすために)
彼女は愛を捨てて理想を選ぶ。
痛みを呑み込んで、進むのだ、これがみんなのためになると信じて。
ウリエルは悲哀の瞳で立ち尽くした。
(神愛君……)
これも彼のためだと自分を納得させて、ウリエルは悲しみに暮れる。
(今の私を見ても)
多くの人々を襲う非情な天羽。そんな身に成り下がろうと、
(君はまだ、友達だと言えるの?)
彼はまだ、思ってくれているだろうか。また、言ってくれるだろうか?
絶望と不安から救ってくれたように。
あの時と同じ言葉を。
「恵瑠?」
その時だった。背後から聞こえた声にすぐさに振り向いた。
「どうして……」
それは聞きたくて、しかし聞きたくない声だった。
そこにいたのは神愛だった。今しがた考えていたその人が目の前に立っていたのだ。
周囲が炎に包まれている中で、二人は対峙していた。
彼の背後には数台の車が見える。乗ってきた他の騎士たちは散開して負傷者や逃げ遅れた人たちの手伝いに向かっていた。数人が車の前に立ち、離れた場所から神愛とウリエルを見守っている。
突然の再会にウリエルは茫然としていた。まさか会えると思わなくて。目を丸くして神愛を見つめるだけ。頭の中は真っ白だ。考えようとしても頭がうまく回らない。
会えたことが嬉しい。
だけど彼を攻撃したことが辛い。
彼はどう思っている? なにをしに来た? 味方として? それとも敵として?
思考は空回りを続け期待と不安が繰り返しやってくる。
そんな彼女に、神愛は言った。
「恵瑠、もう帰ろう」
「……!」
その目に敵意はない。自分を心配してくれて、声は柔らかだ。
彼は、味方として来てくれた。
不安が歓喜に変わった瞬間だった。
普通あるだろうか。攻撃し、炎に包まれて、それでも自分を信じてくれることが。
こんな自分をなお、友人として扱ってくれることが。
ウリエルは、再び感謝した。泣きたいほどに。
「お前が自分からこんなことするはずがない。なにか事情があったんだろ? ミルフィアや加豪も天和も待ってる。他の連中はいろいろ言ってくるかもしれないが心配すんな、俺がなんとかしてやる!」
彼女を引き戻そうと必死に説得してくれる。
「だから、一緒に帰ろう。な? まだやり直せるって!」
嬉しい。彼が真剣に言葉をかけてくれるたび、子供のように喜びたくなる。
だけど、だからこそ悲しかった。
「……なにも分かっていないんだな」
「恵瑠?」
「やり直せる……? やり直せる!?」
嬉しいと思えば思うほど、悲しい。
『あの子は特別かい?』
『彼が邪魔しに来なければ、彼を処すのは止めよう。しかし、彼が邪魔しにくれば、容赦なく殺す』
神愛が自分に会いに来れば、彼は殺されてしまう。ただでさえ強力な天羽が無数の大軍となって押し寄せる。誰にも止められないし倒せない。
彼をそれから守るには方法は一つだけ。
彼を自分から遠ざける。もう、二度と戦場に現れないように。
胸が張り裂けそうだ。
涙が出そうになる。
悲しみに喉が詰まる。
だけど、言うのだ。
想いに反して、厳しくも優しい嘘を――
「お前など、初めから友だと思ったことなどない」
「!?」
ウリエルの言葉に神愛の顔が歪んだ。ひどい落胆と怒りが見える。
「なんで……なんでだよ!? お前、それ本気で言ってるのか!?」
「目障りだ」
それが分かった上で、容赦なく言葉を重ねていく。
「お前など邪魔なだけだ。もう私の前に来るな。もし来れば」
偽りを今だけは真に変えて、神愛に殺意を送る。
「お前を、殺す」
そしてウリエルは飛び立った。それだけを言い残して。ここから一刻も早く立ち去りたかった。
そんな彼女の背中を彼が呼び止めた。
「待てよ! 待てって恵瑠!」
必死に、混乱した思考の中でなおそれだけを訴える。
「なんでそんなこと言うんだよ! 説明しろって!」
分からない。分からない。気持ちとはかけ離れた現実に感情は行き場を失い暴れた。
「なんで、なんでだよぉおおおおお!」
信じていたものに裏切られ、神愛は空に向かって吠えた。もう、点にしか見えない彼女に向かって。
けれど。
「う……」
その声は、ちゃんと彼女にも届いていた。
心が痛くて張り裂けそうだった。もうなにがなんだか分からなくなりそうで、感情が暴れ回っている。
それは口を衝いて、涙となって瞳からあふれ出た。
泣いた、泣いてしまった。ついに。
これが本音だ。どんなに決意で武装しようと、どんなに覚悟で身を固めようと。
辛いんだ、体が燃えるほど。
これで、もう神愛とは会えない。二度と。自分に会いに来てくれることはないだろう。
唯一の友達を切り捨てた。それが彼を救うためだったとしても、これほどの悲しみなんてない。初めての友人だったのに。感謝していたのに。
それが、こんな別れになるなんて。
「あああぁあ! うわああああ!」
言いたいのはそんな言葉じゃなかった。もっと言いたい言葉があった。
なのにそれは許されないから。
彼女は本当の気持ちを押し隠し、誰もいない空で一人泣いていた。