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天下界の無信仰者(イレギュラー)  作者: 奏 せいや
第1部 慈愛連立編
173/428

じゃあね、神愛君


 神愛は意識を失い横になった。最後まで友の名を呼び、信じていたものに裏切られた悲しさの中顔を地面に打ち付けた。

 部屋が炎に包まれていく音だけが虚しく響く。

 恵瑠は左手を下げた。視線の先には神愛が倒れている。それを静かに、じっと見つめていた。

「それじゃ、鍵が揃ったことだしすぐに取りかかろうか。大聖堂にはさきに戻ってるから。その少年消しておいてね」


 背中からミカエルの声が掛けられる。抜かりなく神愛を手に掛けることを命じてきた。

 要は試されている。エノクを倒し、神愛を倒してもまだ本当に味方なのかどうか。元堕天羽(てんは)ではそれも仕方がない。

 ウリエルは神愛を見つめていた。最後まで自分の名を呼び、自分を取り戻そうと必死になっていた少年。

 彼と過ごした、数々の思い出がよみがえってくる。

「…………」


 ウリエルは神愛を見つめたまま、背後のミカエルに言った。

「さきに行っていろ、あとは私がやる」

 その言葉に噛みついたのはサリエルだった。

「おいおい、ふざけてんのか? それでハイ、分かりましたでここを去る馬鹿どこにいるんだよ」

 ウリエルを信用していないのはミカエルだけではない。以前に堕天羽(てんは)として裏切った彼女だ、また裏切るかもしれない。そう思うのは当然でありサリエルの判断は正しい。

 サリエルはウリエルの横を通り過ぎていく。

「こいつは俺が殺してやる、きっちりとな」


 神愛を殺すべく前に出る。何気ない態度だがそこには虫を殺すような余裕と確固たる殺す意志がある。

 そんなサリエルの首もとに、ウリエルは剣を近づけた。

「私がやると言った」

 サリエルの足が止まる。少しだけ振り返りウリエルを睨みつける。

「てめえ……」

 苛立ちが陽炎のように立ち上がる。ここで邪魔をする意味が分からない。殺すなら誰でもいいだろう、なのにどういうことだと視線で問い正す。

「止めろ。サリエル」

「ああ?」


 そこへ声を掛けたのはミカエルだった。まさか自分が止められるとは思っていなかったサリエルから荒れた声が出る。

「いいじゃないか。ここは『彼女を信じよう』。この状況で仕損じるなんてこと、『あるわけがないんだから』」

「……あぁ」

 含みのあるミカエルの言葉に少ししてからサリエルは察したように納得した。自分はなにもしないと両手を上げ、ウリエルは剣を下げた。


「なるほど。ま、天羽(てんは)長さんからそう言われたんじゃ俺が出る番じゃないわなぁ。ここはお仲間を信じることにするわ。じゃ、よろしくな」

 そう言うとサリエルはさっきまでの執着が嘘だったかのように姿を消していった。

「では私も行くぞ」

 サリエルに続いてガブリエル、ラファエルも姿を消していった。

「じゃあ、私も」


 最後の一体であるミカエルも空間転移でサン・ジアイ大聖堂へと飛んでいった。

 ここにはウリエル一人だけ。仲間の天羽(てんは)は誰もいない。燃える部屋に取り残されウリエルは黙って立っていた。

 一歩を踏み出す。神愛との距離が縮まっていく。

 ウリエルは神愛の前で立ち止まった。右手には長剣がある。振り下ろせば意識を失った少年の首一つ、伝説と化すほどのウリエルからしてみれば容易なものだ。簡単に殺せる。

 けれど、ウリエルはすぐにはしなかった。

 のみならず、右手の長剣を消した。


 ウリエルは屈み神愛を抱き上げる。両腕の上には目を瞑った神愛がいる。その横顔を見つめ、初めてウリエルの表情に変化が生まれた。

 執行官のような険しい顔から、捨てられた子犬のような顔になったのだ。それは断じて敵を見る目じゃない。審判の天羽(てんは)、ウリエルが浮かべる表情ではない。

 あるのだ、心が。思い出が。彼女、恵瑠として過ごしてきたすべてが。それがウリエルの胸を圧し潰そうとしている。


 重い。なんと重いのだろう。ウリエルは抱き上げる神愛の重みに崩れそうだった。それは拭い去ることの出来ない大切な宝物だから。

 ウリエルは両手で神愛を持ち上げると羽を広げ、空間転移で場所を移動した。

 転移先は教皇宮殿の外。以前二人で止まった宿の部屋だった。ウリエルはベッドの上に神愛を寝かせる。起きる気配はない。自分が意識を奪った罪悪感にウリエルは顔を強張らせた。

 壁に衝突した時にぶつけたのか額に傷がある。その傷にそっと触れる。自分が作った傷。自分が与えた痛み。それを間近に見て思う。


 変わらない。まるで変わらない。いつもそう。昔も、今も。

「私は……」

 悔しさに声が震える。胸の奥が暴れる。

 今も昔も、守りたい人を傷つけるだけだ。

 ウリエルは手を離し握り締めた。悔しさを握り潰すように、強く強く握り締めた。

「……ん!」


 溢れる思いを堪える。湧き上がる衝動に耐えた。

 平和?

 笑顔?

 くだらない。

 目の前の現実を見ろ。自分はなにをした? 大切な人を守るためだった。あのままならサリエルか、そうでなくても誰かが殺していた。


 こうするしかなかった。思い出を切り離し、感情を殺し、天羽(てんは)に徹するしかあの場はどうすることも出来なかった。使命に自我を預け、なにも考えないようにしていた。

 だけど、救うためだったとしても、けっきょく自分がしたのは傷つけることだけだ。

 滑稽だった。笑みすら浮かびそうになる。馬鹿は死んでも治らないらしい。これでは二千年前と同じ。理想のために、真逆の道を突き進んでいた自分と。

 自分は愚か者だ。理想を叶える手段も、大切な者を守る方法も、傷つけることでしか達成できない。これで平和なんて笑わせる。


 自分はただの、人殺しだ。殺すことしか出来ない。

 だから心を閉じた。迷わないように。傷つけることになっても殺されるよりはマシだと。そう思って思考を凍らせた。

 だけど、そんな自分に声が届いてくるのだ。

 彼の叫びが。

「神愛君……」

 何度も、何度も。閉ざした心の扉を叩くように。何度だって諦めず、最後まで呼び続けていた。傷つけることしか出来ないこんな自分に。いつまでも。


 それを聞くのが辛くて、それを無視するのが心苦しくて、ウリエルは終わらせるために出力を上げて神愛を倒した。そうしなければ崩れそうだった。せっかく抑え込んでいた感情が爆発しそうだった。心のままに、言いそうだった。

 今だって。

(会えてよかった!)

 もう、会えないかと思った。

(また会えた!)


 自分は死んだ。殺された。最高の瞬間は直後に終わり、もう会えないはずだった。

 だけど、こうして出会えている。それはある筈のない再会だ、死んだにも関わらず自分はこうして出会えている。高望みを超えた願いが、こうして。

 たとえ敵に変わっていても。

 もう前のように戻れなくても。

 こうして会えた。それがとても嬉しいのに。

 なのに、どうして。


 笑顔ではなく、涙が溢れるのか。

 ウリエルは顔を神愛に近づけた。垂れる自身の髪を耳に掛けさらに顔を近づけていく。少しずつ、少しずつ。二人の距離が縮まり、なくなっていく。

 そして、ウリエルは唇を彼に重ねた。


 それは、そっとした、触れるか触れないか。そんな口付けだった。けれども彼女の胸を満たした。この奇跡のような一瞬をずっと過ごしていたい。胸が溶けだしそうなほど、嬉しくて、幸せで。

 けれど、すぐに反動として悲しみがやってくる。こんな時間はもう来ない。これで最後だ。

 もう、自分と彼は違う。天羽(てんは)と人間。敵と味方。楽しかった学園生活の頃には戻れない。

 それを思うと、涙が頬を零れ落ちていった。彼女の悲しみを慰めるように、ゆっくりと頬を撫でていく。


 ウリエルはそっと唇を離した。短い時間。だけど、これは彼女にとって最後の思い出、報酬だった。もう前のようにはなれない自分への、我がままなご褒美。彼女しか知らない宝物。

「じゃあね、神愛君」

 ウリエルは切ない目で神愛を見た。涙が残った瞳で見つめ、彼女は翼を広げる。

「さようなら」


 次の瞬間、部屋にウリエルの姿は消えていた。ここにはベッドに横になる神愛一人だけ。物音しない空間で神愛は眠り続ける。

 そんな中、空間を漂う白い羽があった。それはゆらゆらと落ちていき、神愛の額に降りた。ちょうど傷のある部分。それで神愛は目を覚ました。額の痛みに顔を引きつらせ、痛みが走る額に手を当てた。

「これは……?」

 純白の羽を掴み目の前に持ってくる。

「羽……」


 美しい羽だった。柔らかくて、優しそうな羽。

 神愛はぼんやりとその羽を見つめ続ける。

 そして、涙が頬を通っていった。 


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