てめえの理想を否定するつもりはねえけどよ、今は邪魔だ
ウリエルはエノクの攻撃をすべて防ぎ切り炎の壁を消した。距離が離れているエノクにお返しとばかりに左手を向ける。
それは必滅の審判。あらゆるものを消滅させる最強の攻撃。
「無価値なる炎」
ウリエルが放つ無価値なる炎。それを周囲に展開した。まるで津波のように周りを蹂躙していく。
「おやおや」
「ふん」
「ちょっとー!」
「ふざけんじゃねえぞウリエルてめえ!」
ウリエルの攻撃に仲間たちからも非難の声が投げられる。これは敵味方関係なく触れたら消滅する攻撃だ。周りにいる天羽もお構いなしに破滅の概念は広がっていく。
それは物理法則を越えた概念であるがゆえに燃焼に酸素など必要なく、あらゆるものを燃やし尽くすように消滅させる。
青い炎が、まるで油の上を走るように空間を燃やしていく。それにより一瞬にしてここ一帯に漂っていた雲が消失。完全なる晴天となっていた。ウリエルが攻撃を止め無価値なる炎が消えると、そこは気圧差から激しい気流が発生していた。分子まで消失させる無価値なる炎の焼け跡はすなわち真空、その範囲が広ければ空気の激流が至る所で起きていた。
四人の天羽はなんとか逃げ切り、エノクも空間転移で間一髪間合いの外へと出ていた。もし発動があと少しでも遅れていれば飲み込まれていた。
危なかった。その事実に思考がわずかに停滞する。エノクは乱れた精神を整えるべき意識を集中させた。だが、無理して体を酷使してきた代償がここにきて襲いかかってきた。
「ぬっ」
神託物の破壊。それだけでもかなりの弱体化となった。それが続けて二度目。しかもこれはエノクの知らない事実ではあるが、メタトロンは神愛の弱体化の属性を受けていた。それもデュエット・モード時のものだ。その凄まじい暴力染みた弱体化は神託物を通してエノクまで及んでいる。無事なはずがなかったのだ。
異変が起こってからは早かった。全身で痙攣が起こり体の内側から激痛がこみ上げてくる。高熱に冒された時のような倦怠感が襲いかかってくる。
「もう少し……あと少しでいい……!」
緩む手に力を入れ直し剣を握りしめる。この戦いは負けるわけにはいかないのだ。自分だけの問題ではない。人類すべての未来が掛かっている。
負けられないのだ、六十年前、彼と交わした約束があるからーー。
エノクの決意。しかしそれを打ち崩すべく天羽たちが攻め立てる。
「ここは落ちて」
ラファエルの矢が迫る。それぞれがいくつもの曲線を描きながらエノクを追いつめる。エノクは見咎め剣を振るう。だが体が重い。ついには打ち損じが出てしまった。
「く!」
迎撃は諦め空間転移で回避する。姿を現したエノクを追いかけ弓矢の軌道があり得ない方向転換を見せる。それらを二度目の攻撃で撃破した。
そこへ追撃を仕掛けるのはサリエルだった。不調により空間の固定化を維持できなくなったことによりサリエルはエノクの正面に現れ、サングラスを外した。
「てめえの理想を否定するつもりはねえけどよ、今は邪魔だ」
見つめてくる赤い瞳。邪眼の呪いがエノクの動きを縛る。その隙にサリエルはエノクを蹴り飛ばした。
「ぐぅッ!」
衝撃に宙を走る。その軌道上にはミカエルが待ち受けていた。
「君との別れは残念だけど」
ミカエルの剣が下ろされる。エノクは吹き飛ばされる中それを見つけ剣を構えた。それによってミカエルの攻撃は防ぐが剣が弾かれエノクは体勢を崩されてしまう。
「さらばだ、エノク」
振るわれるいくつもの剣。瞬時に行われたそれをなんとか防ぎきるも最後の一撃に吹き飛ばされる。
エノクは能力を使い衝撃を殺した。ラファエル、サリエル、ミカエルと続く連携。それを踏みとどまる。
だがエノクの頭上、そこに陰が現れる。見上げれば巨大な炎の球体を掲げたウリエルが羽を広げていた。
「落ちろ」
ウリエルが見下ろす冷たい瞳。反対に燃え上がる巨炎。ウリエルは炎の玉をエノクに向け放射した。
「があ!」
全身を飲み込んでもなおあまりある直径。エノクは空から地面へと落とされていく。全身を覆う炎と熱に意識が蒸発しそうになる。
炎の放出は終わり、エノクはそのまま教皇宮殿に突っ込んでいった。壁を破壊し中へと入っていく。
エノクが入ったのは会議室のような広い部屋であり、机やイスをなぎ倒しながら転倒していった。エノクはうつ伏せに倒れ霞のかかる意識の中顔を持ち上げる。
そこには空間転移によってミカエルが立っていた。さらには続いてガブリエル、ウリエルが現れる。ラファエルとサリエルはエノクが入った穴から飛んで入ってきた。
天羽が五体並ぶ。それぞれが強大な力を持つ者たち。現代に蘇った御使いが。
彼らこそ地上に残った上位の天羽たち。
その彼らたちが人間であるエノクに告げるのだ。
天羽長ミカエルが。
「世界は私たちが変える」
ガブリエルが。
「元より、この事態は自分たちで平和を実現できなかったお前たち人類の落ち度でもあるがな」
ラファエルが。
「ごめんなさい。でも、不本意でも平和は平和よ」
サリエルが。
「俺はどうでもいいがな」
ただ一人、ウリエルだけが無言のまま見つめている。
「ここにいる我々は、全員が天主イヤス様から使命を受けている。それを果たすために」
ミカエルが前に出る。腰にかけた剣を引き抜きエノクに近寄る。
「邪魔する者には、死んでもらおう」
ミカエルは立ち止まり剣を振り上げた。足下にはエノクの頭がある。このまま剣を振り下ろせばエノクの死だ。それは新たな時代への犠牲。彼の死が持つ意味は大きい。教皇エノクが死んだと分かれば戦う気力を失う者は多いだろう。エノクはみなの希望だ。
それが摘み取られようとしている。それをウリエルは黙ったまま見つめていた。決定打となる火炎を放ち、厳しい表情をしていた彼女の顔がこの時険しさを消し、物悲しい目になっていた。
このままでいいのか。
これでいいのか。
本当に?
人類と天羽の戦いはすでに始まった。止まらない。皆が笑顔で過ごせる世界。そんなもの今からでは遅すぎる。どちらかが勝ち、決着が付かなければこの戦いは終わらない。
ウリエルは、黙ったまま見つめていた。
そうしている内にミカエルが動いた。かろうじて見上げているエノクの目を見つめながら、彼の持つ刀身が光を返した。
「さようなら」
短くつぶやき、新たな時代の礎となるべくエノクへ剣を振り下ろす。
その時だった。
「恵瑠ー!」
「!?」
聞こえてきた声にウリエルの両肩が震えた。
壊れた扉を蹴飛ばして、彼は現れた。
それは宮司神愛だった。自分が人間であった頃の繋がりが、彼女の迷いを大きくしていく。




