神愛君。君だけは守ってみせる。今度は、私が
しかし、それから二千年後。
人類史に、新たな天羽の歴史が刻まれる。
「「「「開かれよ!」」」」
人類が彼らの存在を忘れていた頃、神が当たり前にいるこの時代に。
「「「「天界の門!」」」」
無数の軍勢、天の御使いは現れる。曇天に空いた光の穴から、その者たちは町に舞い降りた。
人類は知るのだ、天羽は存在したことを。
天羽は争いを無くすことの必要性を説きながら街を回り、多くの者を自宅へと閉じ込めた。突然のことに人々は戸惑い、警察や軍も出動したが天羽たちの力の前では成す術がなく、反動はすぐさに鎮圧された。町の至る所で起こる銃声、爆発。しかし無数の天羽にそんなものは意味がない。
町は瞬く間に占拠された。この事態に街を捨てた者は聖都エルサレムを目指し、残った者は捕らわれの身となって天羽の支配下に置かれていた。
首都ヴァチカンの陥落。
その様子をミカエルはサン・ジアイ大聖堂の高みから見物していた。会議室の窓から外を眺める。
空を覆う天羽の翼が地上を占めていく。順調な、否、当たり前の進行に驚きこそないものの、だけれども、やはり昂る気持ちに嘘はつけない。
「第二段階は終了。思惑通りか?」
背後から掛けられた声に振り返る。声はガブリエルであり、彼女以外にもここにはラファエルやウリエル、サリエルが座っていた。
「ふん」
ミカエルは上機嫌に鼻を鳴らして自分の席に着く。その後優雅に足を組んだ。
「当然だ」
その表情には自信があった。勝利を確信した顔。なにしろ援軍が到着したのだ、最大の戦力が。問題はそれをどうやって出現させるかであって、その問題を達成すれば目的は果たしたも同然。
「これからはどうするの?」
ラファエルの問いにミカエルは背もたれに体を傾けた。
「まずは戦力を整える必要がある。ここを拠点とし、整い次第聖都エルサレムを落とす。ゴルゴダを完全に掌握するのが当面の目的だ。それまで君たちにはここの守護をお願いするよ。それぞれが結界の四方を」
「分かっている」
そう言ってガブリエルは席を立った。その後に皆もついていき退室していく。ミカエルは席に座ったまま皆の退室を見送るが、最後の一人に声をかけた。
「ウリエル」
彼女の足が止まる。他の皆は出て行った。会議室には二人きりとなる。
「なんだ」
ウリエルは振り返り、その際に長髪がさらりと揺れた。会議室に置かれた長椅子の一番奥の席に座る不敵な笑みにウリエルは隙のない顔で対峙する。
「分かっているはずだ」
見る者を威圧する冷酷な瞳。そんなウリエルに睨まれても動じることなく、ミカエルは不穏な空気を滲ませる。
ミカエルは言った、分かっているはずだ。なにかは決まっている。ウリエルは黙ったままミカエルを見つめていた。
「なぜ神愛を始末しなかった?」
「…………」
天羽長ミカエルの命令を無視し、対象である神愛を助けたこと。明確な裏切り行為だ。空間転移によって生じるひずみは丁寧に隠したつもりだがバレていたらしい。
二人とも見つめ合う。空気は緊張の度合いを高めていき、指一本、動かすだけでも気が抜けない。
そんな中、さきに動いたのはウリエルだった。視線をミカエルから逸らした。
「見間違いか。死んだと思っていた」
「ふふふっ。止めろ止めろ、下手な冗談だ。あれを死んだと間違える君じゃない」
そんな間抜けをするようなら、そもそも審判の天羽とは呼ばれない。わざとなのは明白だ、言い逃れは出来ない。
背信行為の露呈。しかしそれで狼狽えるほどウリエルの精神も弱くはなく、表情を一切動かすことなく立ち続けている。それだけでも並外れた胆力だ。
しかしそれも当然のことかもしれない。目の前に自身の危機を見ながらも、胸にある想いは自分ではない。
「あの子は特別かい?」
「…………」
宮司神愛のことを思っているのだから。
後悔はない。あるはずがない。だから狼狽えない、動じない。覚悟ならあったから。世界を救うと決めた彼女の中で、それはたった一つの矛盾。けれど譲れない、大切な矛盾だ。
ウリエルは、神愛を助けたことを後悔していない。
ウリエルの黙秘に嘆息し、ミカエルは片手で頬杖を付いた。
「仕方がない、処分はサリエルにでも頼もうか」
「ミカエル」
その言葉に即座にウリエルは口を挟んだ。
「彼に……」
凄みのある声、戦意を隠しもせずに、彼女は天羽長である彼に反論した。
「彼に、手を出すな」
神愛を殺す、ミカエルはそう言った。それだけは認められない。あってたまるか。ウリエルの胸の内側で激しい炎が渦巻いている。
彼だけは、絶対に守ってみせる。
「おお~、怖い怖い。しかし手を出すなだって? 残念だけど、君が私に命令できる権限など――」
「ミカエル、止めろ」
ミカエルの言葉を遮り脅迫めいた口調で告げる。
これが自分のわがままだと自覚はしている。世界の平和。そのために人類と戦う決意をした。なのに、自分は彼だけは助けようとしている。ひどい矛盾、わがままだって分かってる。
それでも、彼を守りたい。
自分を認めてくれた、初めての人だから。多くの宝物をくれた彼を殺すなんてこと出来ない、死なすなんてこと認められない。
好きだから。彼のことを想うたびに胸が熱くなるこの熱で、わが身が焼かれるのなら構わない。
「ふっ、そうかい。ではこうしよう」
ウリエルの想いの強さが通じたのか、ミカエルは追及を止めた。本来ならすぐにでも処遇を告げられてもおかしくない状況。しかしミカエルの判決は執行猶予、条件を言い渡してきた。
「彼が邪魔しに来なければ、またこの計画を成功させてくれれば、彼を処すのは止めよう。しかし、彼が邪魔しにくれば、失敗するようなら、容赦なく殺す」
その顔は真剣だ。まっすぐなウリエルの視線に応え、見つめ返すのはミカエルの真剣な目。
「どうだ、これ以上ない条件だろ? これが呑めないと言うなら交渉の余地はない」
確かに、ミカエルとしても計画の成就が最優先。それが邪魔され手出しするなと言うのは無理な話だ、ミカエルの言う通りこれ以上ない条件だ。
「分かった、それでいい」
どれだけ神愛が強くても相手が天羽軍となれば敵わない。計画に支障をきたすイレギュラーとして殺されてしまう。だが、要は彼がここに現れなければいいのだ。そして自分がミスをしなければいい。役割を全うし、平和を実現させる。それで彼を救うことが出来る。ウリエルは承諾した。これが彼を守る唯一の方法だった。
「彼は君にとってなんだい、ウリエル」
話はまとまった。しかしミカエルとしてはそう簡単に見過ごしていい話ではない。なぜそこまでこだわるのか、ウリエルがどう考えているのか、それを確かめる必要がある。
「君に頼みがある。手始めに軍の基地をいくつか襲撃してくれるかな」
軍は政府の組織だ、当然神官長派の指揮下であり、その上官たちがこぞって敵に回ったのだから混乱は必至だ。軍だけでなく政府は一時的な麻痺状態に陥っており襲撃自体は容易いことだ。戦力を整える間、 教皇派の意識を局地的な襲撃に向けさせるのは悪くない。
その人選をウリエルにするということは、試されているのだ。本当に天羽として振る舞えるのか、それともまた裏切るのか。
もし、手心を加え半端な仕事をしたのなら今度こそ処罰は免れない。さきほどの約束も反故にされかねない。自分は不審に思われているのだ、これくらいは当然。
「やってくれるね?」
「…………ふん」
険しい表情のままウリエルは踵を返しそのまま部屋を出て行った。答えは言わずとも決まっている。ミカエルの良いようにされるのは癪だが納得している。
(神愛君。君だけは守ってみせる。今度は、私が)
理想と自己の想い。挟まれる矛盾があろうとも、ウリエルの歩みは止まらない。
世界を平和にしてみせる。
人々を笑顔にしてみせる。
そして、愛する人を守ってみせる。
迷うことなんてない。ウリエルは精悍な表情で前を向きながら、最寄の基地を頭に描いていた。