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天下界の無信仰者(イレギュラー)  作者: 奏 せいや
第1部 慈愛連立編
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最後の、審判の時だ


 もう、昔のようには戻れない。

 無邪気に笑い、笑顔で夢を語り、共に笑い合うことは。

 もう、後戻りは出来ない。

 ゴルゴダ共和国の内戦、多くの犠牲。

 たとえこの身が引き裂かれ、心が砕けることになろうとも。

 この身は元より、天羽(てんは)なのだから。



 ウリエルはサン・ジアイ大聖堂へと戻っていた。場所は今は使われていない客室。全体的に白の内装に質素な部屋だ。

 ウリエルは羽を消し部屋の中央で佇んでいた。物静かな部屋に空虚な心が根を張るように居座っていく。

 神愛と、最後の別れをした。天羽(てんは)である自分にできた初めての友達だった。大切な時間だった。

 だけど、それももう終わり。

 これからはもっと大規模な戦争になる。天羽(てんは)と人類の。全人類を巻き込む大戦が行なわれる。

 守りたかったもの。叶えたかったもの。

 世界の平和。

 みなの笑顔。

 それは、この日を以て瓦解する。

「私は……」


 理想と現実の乖離がウリエルの胸を締め上げていく。ウリエルの瞼の奥から再び涙が零れた。

 なぜ、こうも上手くいかないのだろう。理想に向かって走っているはずなのに、いつも手段は逆走している。近づくと信じていながら、気づけば夢から遠ざかるばかり。

 人と楽しく暮らしたいという願いすら、叶わない。

 傷つけて、

 裏切って、


 これが、天羽(てんは)として生まれたにも関わらず、人を愛した代償なのか。

 なんて惨いのだろう。ただ平和を願うだけなのに。ただ皆が笑顔になれればいいと思うだけなのに。

 いつだって。そういつだって。

 自分が立っている場所は、死体の上なんて。

「ん……」

 こぼれそうになる嗚咽を噛み殺す。泣き叫びたいほどの悲しみを押し留める。

 扉がノックされる音が響いた。振り返る。扉が開かれ入室してきたのはガブリエルとラファエルだった。


「辛そうだな」

 開口一番、そう言ったのはガブリエルだった。厳しい口調の中に彼女なりの気遣いが感じられる。

 けれど、そんなものここではなんの役にも立たない。今からすべてが終わるというのに。

「平和の実現。理想の達成。お前の望むもの。どうだ、私たちと袂を分かち、なにか得られたか?」

 それは以前からウリエルを知っている者だからこその問いだった。二千年前の戦場で誰よりも理想と正義感に燃えていた天羽(てんは)であるウリエルを。そして現実に挫折し、正道ではなく異端へ道を変えた彼女を。


 そこに答えを求めた。争うことなく平和を作ること。みなが笑顔になれる世界、それを胸に抱いて、地上で一人、孤独になろうとも歩んでみた。

 でも、最後はこのザマだ。

「私は、なんなのだろうな」

 つぶやきは細く、針を己に刺すような痛みがあった。苦心、悲痛、失意。

 もう、理想に燃えるのも限界だ。

 正義は燃え尽き理想は錆びた。


 あるのは、二千年前から変わらない現実という壁だけだ。

「私に出来ることは、けっきょく、殺すことだけだった。私は……」

 理想へ捧げた努力、費やした思い。けれど見返りはなく、徒労という現実だけが渡される。

「私は、変われなかった。なにも出来なかった。どんなに願っても、言葉にしても、平和な世界なんて出来ない」


 教皇派と神官長派の戦い。仕組まれたものだったとしても、もしかしたら止める方法はあったかもしれない。こんな犠牲を出す前に、もっと早くに終われたかもしれない。

「出来なかったんだッ」

 だけど説得に意味はなく、どれだけ言葉で言っても届かない。最後まで叫んだ恵瑠の願いは、ついぞ教皇派の人間には受け入れられなかった。

 道では少女を助けても母親から疑われ、街の人々に非難された。

 教皇派に捕まえられ、どれだけ説明しても信じてはもらえなかった。


 人間の限界。もしくは平和の困難さか。言葉なんて安い土産みたいなものだ、どんなに送っても人を動かすことなんて出来ない。

 最後まで人を信じて、言葉で伝えて、平和を願って、それだけを叶えたくて。

 最後に殺された。

 それが恵瑠。栗見恵瑠として生きた人の生涯だった。

 平和とは、どうすれば実現できるだろう? どうすれば叶うだろう?

 なにを信じればいいのか、もう分からない。


 けれど分かることはある。これまでの人生だ。

 それに、意味なんてなかった。恵瑠の生に、意味などなかったのだ。それを知った。自分の願いなど子供の夢でしかなく、現実は甘くないと。願えば叶うほどそんな容易いものじゃない。

 痛感する、舐めるなと。平和とは、求めれば手に入るような陳腐なものじゃない。苦しみ、悲しみ、悩み、そうしたものを積み上げ完成する積み木の城こそが平和なのだと。

 彼女の願いは、初めから無理だったのだ。

「私のわがままも、ここで終わりだ」


 夢から醒める。どんな理想もどんな幻想も、現実の前には水泡となって消える。それほどまで脆い。現実に打ちのめされた彼女は失意の中へと沈んでいく。

「ウリエル……。それでいいの?」

 ラファエルから心配する声が掛けられる。本当ならおかしな質問だ。でも、彼女の気持ちを思えばそう聞いてしまう。今までの想いや行動を終わらせてしまっていいのかと。

「ほかにどうしろと? もう一度裏切って、お前たちの敵になれと? それで平和になるのか?」

「それは……」


 ウリエルからの返答にラファエルは表情を暗くして俯いた。返す言葉もない。気持ちを汲んであげたくても現実の前には空虚でしかない。

「諦め、当然か」

 ガブリエルがつぶやく。

「諦め……、そうだな。私は諦めたのかもしれない。理想はしょせん、……理想だ。誰も傷つかない平和なんて、無理だった」

「…………」


 ウリエルの言葉をラファエルは黙って聞いていた。彼女が言うと今の言葉は痛々しい。あまりにも。誰よりも理想に燃えていた彼女だからこそ、なおのこと。あれほど平和を望んでいた彼女がそれを口にすることに。

 ラファエルは悲痛な思いを胸に抱きながら、そっと口を開いた。

「争いと、悲鳴。血と涙の雨が大地に降り注ぐ。けれど、そんな雨もいつかは晴れるわ。それを見て笑顔になる人がいる。いつの日か。そのいつかのために、私たちは今雨を降らすのよ」

 それがラファエルの精一杯の言葉だった。雨降って地固まる。虫の良い話だろう。でも、ウリエルの胸を宥めるための、これが精一杯。これから先、天羽(てんは)と人類の戦いでさらに多くの犠牲が出る。


 けれど、その血が、その犠牲が、真の平和を確固たるものにする。その血を最後の犠牲にして、その後未来永劫の栄光を掴もう。争いのない、誰も苦しまない世界の実現を。

 そのための戦い。そこに意味はあるのだと、そう伝えた。

 ラファエルの言葉を聞いてどう思ったか。要らぬ慰めだと怒られるか。

 ウリエルはしかし、優しい声で答えてくれた。

「お前は優しいな、ラファエル」

「……ううん」


 ラファエルは顔を横に振る。自分はなにも解決していない。ただ言葉で誤魔化しただけ。

「ウリエル。これは革命だ。時代を変える。優しいだけでは世界は変わらない」

 ラファエルの言葉の後にガブリエルが言い寄る。ラファエルが慰めたのなら次は励ましだ。やる気を促し世界の変革、それを成すため心に火を点ける。

「ありがとう、ガブリエル」

「礼には及ばんさ」


 二人からの言葉を受けてウリエルは彼女らを見つめた。

「ガブリエル。ラファエル」

 その目は真っ直ぐとしていた。今まで歩んできた旅路、そこにあった苦悩と挫折を踏み締めて言う。

「私は、世界を平和にしたかった。誰も苦しまない世界にしたかった。でも、それは無理な夢だった」

 悲観。失意。ウリエルの語る言葉は諦めに染まっている。

「けれど」

 しかし、その声に今一度決意が宿る。


「私は、どうしても叶えたい。この世界を平和にしたい。誰も泣かない世界に!」

 それは不可能な夢、無理な理想だ。だけど、それでも叶えたい。どうしても実現させたい。

 なら、手段を変えるしかない。その道が、たとえ夢と逆行していても。友との別れになろうとも。

 ウリエルは、恵瑠は、新たな一歩を踏み出した。

「行くわ、私」


 嘆きと悲しみ、穢れた地上。

 救済という名の破壊。

 新時代の再建。多くの犠牲を糧にして――

 その先へ。

「たとえ殺戮の天羽(てんは)と呼ばれても構わない。称賛もいらない。感謝などされなくていい。恨まれて結構」


 そう、願うだけでは駄目だ。

 祈るだけでは駄目だ。

 行動しろ、進むのだ。

 理想に向かって。

 夢に向かって。

 体を引き裂き、心を砕いて。

 進め。

 掴め。


「それで、この世界を平和にしてみせる」

 その先にある、光を目指して。

「最後の、審判の時だ」

 ウリエルは部屋を出て行った。その後に続きガブリエル、ラファエルも扉を通っていく。

 廊下の先、目指すのは屋上だ。そこで己の使命を果たす。

 ウリエルの瞳は使命と理想に、静かに燃えていた。



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