進みなさい、あなたの信仰に
俺たちはペトロから逃げ切り街中を走っていた。
「教皇宮殿ってあれでいいんだよな?」
「はい」
俺は目的地を見上げた。ここにいればいつだって視界に映る巨大な建物。それは白い塔のように高く見失うことはない。
「まさかこんな形で恵瑠の手がかりを得るなんてな。どこの青い鳥だよ」
「主の母親は聖騎士の指定を受けたことがあるようでしたから。内部の事情にも精通していたのかもしれません。その二十九階というのが重要人を隔離するのに使われるフロアみたいですね」
俺たちは走って行くが教皇宮殿に近づくにつれ警備が厳しくなっていく。いたるところに騎士の姿が見える。また教皇宮殿に進む道にはぜんぶ検問が敷かれていた。車や通行人がチェックを受けている。
「主?」
「このまま行く!」
俺たちは検問のゲートに突っ込んだ。
「そこの君たち止まりなさい!」
「おい、あれはイレギュラーだぞ!?」
俺は右手に黄金のオーラを纏い検問所ごと吹き飛ばした。そのまま教皇宮殿へと走って行く。
「検問突破されました! そちらに向かっています!」
俺たちは一直線に教皇宮殿を目指していく。
そして、正面へと到着した。
ここからでは教皇宮殿の全容は見えない。そもそも敷地が広いというのもあるがなによりその高さだ。さきの方は霞んで見える。正面入り口は扇状に広がった階段になっていた。その両端には何十人もの騎士が並んでいる。中央には不思議な形の盾を持った茶色い髪の騎士が立っていた。その戦意と威厳のある顔つきからペトロと同じ聖騎士だと分かる。
だが、それ以上に驚いたのが。
「ついに来ましたか」
茶色い髪の騎士の隣に立つ男が言う。
「宮司さん」
「ヨハネ先生!? そんな」
それは、クラス担任のヨハネ先生だった。
「まさか、ヨハネ先生もなのか?」
ヨハネ先生は慈愛連立の信仰者だ。ゴルゴダ共和国に協力するのは分かる。
でも、そんな。あまりのことに戸惑ってしまう。
ヨハネ先生は優しい人だ。尊敬だってしてる。
なにせ、俺に黄金律を教えてくれた人なんだから。
今の俺にこれだけの友人がいるのはヨハネ先生のおかげだと言っていい。恩人なんだ。それが、敵として立ち塞がるってのか?
「…………」
階段の上に立つヨハネ先生に言葉を失う。
「主、どうしますか?」
俺は見上げるが、隣からミルフィアが聞いてくる。
「……仕方がねえ、強行する」
でも、俺は決断した。
この先に恵瑠がいる。捕らわれ、苦しんでいるはずなんだ。もしかしたら手遅れになるかもしれない。
そんなのは、絶対に駄目だ。
「悪いが先生、あんたを倒してでも俺はそこを通らなきゃならないんだ。素直に退いてくれないか?」
無理だと分かっていた。こんなことを言ってもどうにもならないと。でも、気持ちに嘘は吐けない。本当なら戦いたくない。そう思ってしまう。
ヨハネ先生は寂しそうな笑みを浮かべていた。雰囲気は冷めていて、気持ちは俺と同じだと分かる。
戦いたくないんだ、先生も。
「その前に一つ聞かせてください。宮司さん、どうしてあなたはここを通ろうとするのですか?」
「そこに、恵瑠がいるからだ」
落ち着いた声だった。先生も、俺も。
「恵瑠が連れ去られそこに捕まってる。だから俺は助けに来たんだ!」
熱が籠った。理由を答える時、恵瑠を助けに来たことに気持ちが熱くなる。必死になる。平静でいるなんて出来ない。
ヨハネ先生にとっても恵瑠は大切な生徒のはずだ。
でも、ヨハネ先生は落ち着いていた。
「人助け、ですか。ですがそれでは矛盾している。言い方は酷ですが、栗見さん一人を見捨てればあなたはご自身と友人の身を守れるはずです。一人を助けようというあなたの行いで、あなたは自分だけでなく周りも危険に晒している。栗見さん一人とあなたたち四人。計算が合わないとは思いませんか?」
冷静に、論ずるように。教室で教えを説く教師さながらにヨハネ先生は説明してきた。一人と四人。たしかに計算は合わない。見返りとリスクを考えれば、どう見ても俺の行いは愚行だ。
だけど、俺は笑ってしまったんだ。
「ハッ、なに言ってんだよ」
つい笑みが漏れてしまう。
だって、それじゃブーメランだ。
「あんたより、リスク度外視で人を助けしようとする優しい人なんているのかよ?」
俺の言葉に、ヨハネ先生は答えなかった。
「ヨハネ先生、あんたがそんなこと言っても説得力皆無だぜ。神律学園にいる数百人っていう生徒に親しまれてたのに、イレギュラーに優しくしてくれたのは先生だ。なんで味方したんだよ? 助けてくれたんだ? 計算が合わないぜ?」
「…………」
入学当初、みんなから恐れられ、軽んじられてきた俺はみんなの敵だった。嫌われ者だったんだ。そんなやつさっさと学校から去った方がみなのためだろう。
だけど、ヨハネ先生はそうはしなかった。俺の味方をしてくれた。
今でも感謝してる。あんたも俺を救ってくれた一人だ。
「先生、あんたなら言わなくても分かってるはずだ。誰かを守りたい、そいつを助けたい。それは理屈なんかじゃない、気持ちの問題だ!」
俺は叫んだ。自然に言葉が出てくる。思いと共に。
「そこに計算が必要か?」
両腕を広げた。小さく広げすぐに閉じる。
ヨハネ先生はすぐには答えなかった。階段から無言のまま俺を見下ろす。
すると、折れたようにヨハネ先生が口を開いた。
「ええ、分かっていましたよ。あなたは強情な人ですからね、こうなることはは予想していました。ただ、あなたの口から直接聞いておきたかっただけですよ」
ヨハネ先生から緊張が抜けていく。張り詰めた雰囲気に穴が開いたように。ヨハネ先生は納得したように息を吐いた。
「ふぅ……。気持ちの問題、ですか」
懐かしんでいるのか振り返っているのか、ヨハネ先生の寂しそうな雰囲気は俺にも分かる。
「人を助けるというのは素晴らしいことです。なぜならその行いは尊い。自分を差し置いても誰かを守ろうとする行動は美しい。ええ。私も、その尊さと美しさにこそ、憧れたのです」
そう言うと、ヨハネ先生は悔しそうにつぶやいた。
「そのために、私は……」
明らかに、ヨハネ先生は後悔している。苦しんでいる。いつもの笑顔は沈み陰が差している。
辛いんだ、ヨハネ先生も。生徒の前に立ち塞がり、生徒を助けに来た生徒と戦う立場に。本来なら逆でありたかった、逆であるために進んできたはずなのにと。
ヨハネ先生の言葉からは、寂しさと後悔しか感じない。
だけど、ヨハネ先生は微笑んだ。眼下の俺に笑顔を向ける。
「あなたの答えが聞けてよかった。……宮司さん」
眩しい笑顔だった。
俺を救ってくれた恩人の笑顔。いくら感謝したってしたりない。
そんなヨハネ先生が、再び笑って俺の背中を押してくれた。
「進みなさい、あなたの信仰に」
そう、言ってくれたのだ。
とびっきりの笑顔で。