終わらない悪夢
それは世界中で当たり前に起きている、奇跡のような出来事だった。
人は他者と出会うことで愛を知り、二人で作り出す愛は深く結びつく。そうして愛は育まれ新たな命を生む。愛の結晶。誕生の産声が今部屋中に響き渡った。
『あなた……』
息切れ切れに、今しがた重大な役割を果たした女性は夫に呼びかける。疲労困憊の表情に、しかし満面の笑みが浮かぶ。
『ああ、生まれたよ。男の子だ』
夫は綺麗に拭き取られた赤ん坊を抱き、妻であり母となった彼女へと手渡した。愛しの子。二人の愛の下に生まれた子を両腕に抱いて女性は嬉しさのあまりに涙を流した。その後、彼女は微笑ましく見つめながら夫へと問いを投げかける。
『ねえ、この子の信仰はどちらだと思う?』
懸命に、主張しているかのように泣く我が子を慈しみ、彼女は思いを語っていく。
『もし私と同じなら、この子は誰よりも優しい子に育って欲しい。誰にでも手を差し伸べて、支えてあげる子に。きっと、この子は誰よりも愛される子になるわ』
『ああ、きっとそうなるさ』
夫であり父親でもある彼も同じ気持ちを抱きつつ、母親に抱かれる我が子を優しく見つめていく。
『もしあなたと一緒だったら……、ふふ。あなたよりは強くなって欲しいわね』
『ははは……、厳しいね』
男は苦笑するもすぐに元の笑みへと戻り、二人して我が子に愛を送る。
『この子は誰よりも愛される子になるわ。神様にだって。だから、これがこの子の名前。神愛。神様に愛されし子』
『いい名前だね。でも、愛なんてちょっと女の子っぽくないかな?』
『少しくらいいいじゃない、可愛らしくたって』
『それもそうだね』
二人は子供に名前を与え祝福した。我が子の誕生を。神様からの贈り物を。
夫婦は喜び、これからの未来に思いを馳せる。楽なことばかりではないだろうけれど。この子の人生に、幸多くあらんことをと心の底から願いながら。
いつまでも、それは続くものだと思われた。
『どうしてこの子には信仰がないの!?』
*
「はっ!?」
ベッドの上で目を覚ます。辺りを見渡せば寮の部屋で、天井は二階建てのベッドだった。深夜の薄闇に自分の荒い息が聞こえてくる。片手を額に当ててみれば手の平が汗でべっとりだ。
「……夢、か」
体から力が抜ける。ふぅーと息を吐き、ベッドに預けた体が脱力していく。
家族の夢。俺が、一番見たくない夢だ。
母親は高尚な信仰者で神に感謝し神理を愛しているような女性だった。だからこそ無信仰者というのが受け入れられなかったのか。拒絶され、日に日に病んでいく母親は見るに堪えなかった。
父親は気弱な性格で心配性の愛妻家だった。精神を患っていく妻を優先してか俺とは積極的に関わってくることはなかった。けれど息子に対する負い目もあるらしく、俺を憐れむ目を忘れたことがない。
両親は、いつも不幸だった。それが自分のせいだということに、俺は静かに絶叫していたんだ。
脱力感にだんだんと心が落ち着いていく。夢の余韻は薄れていき漠然となる。それでも悪夢の情景は忘れるなよ、と脅迫してくるようだ。
目を瞑る。涙はない。
ただ、こんな夜だけは誰かに傍にいて欲しい。そう思ってしまうのは心の弱さだろうか。
「え?」
その時突然手を握られた。なんだと思い見上げれば、そこにいたのはミルフィアだった。
「ミルフィア?」
「はい」
声は安らぎに満ち、鈴のように透明感がある。
窓から差し込む月光だけが明かりとなってミルフィアを照らしている。美しい金髪が月によって輝いていた。
まさか、このタイミングで手を握られるとは思わず胸が飛び跳ねる。
「どうして」
「主が、苦しんでいるようでしたから」
ベッドからだらりと下がる片手をミルフィアの小さな両手が包み込む。温かく、心にまで伝わってきそうな微熱を感じる。
「汗をかいているようですね。すぐに濡れたタオルを持ってきます」
そう言ってミルフィアは一旦離れた。寮の部屋は基本的に生徒の二人一組だが俺には同室相手はいない。ここには俺とミルフィアの二人きりで、ミルフィアは水面台でタオルに水を含ませている。
ベッドに腰を掛け、すぐに戻ってきたミルフィアからタオルを受け取った。顔を拭けばひんやりとした冷たさが心地いい。
「ありがとな」
「いえ」
ミルフィアは正面で片膝をつき褒め言葉に頬を緩ませている。満足そうな表情だが、奴隷の姿勢を貫くミルフィアに昼間の出来事が思い出される。
「ミルフィア、隣座れよ」
「いえ、私は」
「いいから座れって」
強引な誘いに「では、失礼します」と小さく頷いてミルフィアが隣に座る。俺は顔を前に向け、しばらくしてから話し出した。
「……親に、捨てられた夢を見たんだ」




