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天下界の無信仰者(イレギュラー)  作者: 奏 せいや
第0部 神律学園編 プロローグ
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プロローグ

 世界の敵が、泣いていた。


「うっ、うっく、うう!」


 晴れた天気の下、すすり泣く男の子がいる。頭上に広がる青空に反し彼の様子はしくしくと雨模様だ。塀に囲まれた家の裏庭では壁が影になっており、固い地面の上で少年は独りぼっちでうずくまっている。

 この世界に彼の味方はいない。この時代に彼の仲間はいない。


 だからこそ。

 世界の敵は、いつも一人で泣いていた。

 しかしこの時、俯いていた視界に足が映り込む。少年は顔を上げてみると、そこには知らない子が立っていた。


「うわあ!」


 同い年くらいの白いワンピースを着た女の子。目の前の少女は金色の短い髪をしており、丸みのある瞳や体型は人形のように可愛らしかった。


「き、君は誰!?」


 会ったことも見たこともない少女だ。問いに少女はワンピースの裾を持ち上げ小さく頭を下げる。


「はじめまして、我があるじ。私のなまえはミルフィアといいます」

「え?」


 なんとも礼儀正しい、というよりも大仰なあいさつに面食らってしまう。まるでお城の舞踏会で出会ったようだ。


「えっと、はじめまして。宮司神愛みやじかみあだけど……」


 とりあえず自己紹介をしておくが状況がうまく飲み込めない。


「えっと、名前は分かったけど……。どうして僕の家にいるの?」


 当然自分の家に知らない人がいればおかしい。知らない親戚だろうか。それで神愛かみあは聞いてみたのだが、しかし。

 彼女の答えは驚きのものだった。


「それは、私があなたの奴隷だからです、主」

「奴隷!?」


 この少女はなにを言っているんだ?


「えっと、どうして君は僕の奴隷なの?」

「あなたが、私の主だからです」

(いや、そうじゃなくて)


 返ってくる答えが答えになっていない。


「僕が君の主である理由を教えてよ」

「理由などありません。あなたは初めから主であり、わたしも初めからあなたの奴隷なのです」


 そう言われてはお手上げだ。神愛は「はあ」と呟く。

 不思議な少女だ。というよりも意味が分からない。

 ただ、とも思った。この子は他の子とは違うから。


「ねえ、奴隷なんていらないよ。それよりも僕と友達になってよ」


 いいなりでしかない奴隷なんかいらない。神愛にとって欲しいものは対等な友人だ。だから頼んだ、友達になって欲しい、と。


「すみません主、それだけは応えられません」


 しかし、それは断られてしまった。

 普通奴隷よりも友達という立場の方がいいだろう。なのだがこの少女は申し訳なさそうに小さく頭を下げていた。


「私はあなたの奴隷。ですので、友人にはなれません」


 きっぱり断られてしまったことに神愛もそれ以上が言い出せない。

 するとさきほどまであった感情が寄ってきて、神愛は再び俯いた。


「どうしました、主?」


 彼女が覗き込む。その瞳に顔を背けるが、少ししてから振り返る。


「君は、僕を避けないの?」

「避ける? なぜですか?」


 湧き上がる小さな期待に諦めが悪いと思うがどうしても求めてしまう。この変わった少女なら違うのかもしれないと、閉ざした心が動くのだ。


「みんな、僕を嫌うから……」


 言いながら目線が下がる。

 見れば神愛の服はところどころ汚れており破けている個所もある。そして前髪で分かりづらいが額には怪我をしていた。

 彼がいじめられていたのは、明白だった。


「そんな」


 迫害されている。みんなから。差別されている。世間から。

 だから彼は世界の敵。味方のいない、一人きり。

 するとミルフィアは泣き出した。


「え」


 大粒の涙を静かに流し両手でふき取っていく。

 その反応に神愛は最初理解が出来なかった。なぜ泣いているのか分からない。

 自分の境遇に、悲しんでくれたのは彼女が初めてだったから。


「分かりました、私がなんとかします」


 ミルフィアは泣き止むとまだ潤んだ瞳と表情に力を入れた。


「あなたを、悲しません」


 決意を宿した彼女の青い双眸、それは宝石のように澄んでいた。

 その気持ちを嬉しく思うけど、しかし出来るとは思えない。


(無理だよ、そんなの……)


 翌日、今日も近所の子供に石を投げられるのかと神愛は憂鬱だったが、しかしそんなことは起こらなかった。平和な一日に喜びよりも困惑する。不思議に思うが、それが数日続いて確信に変わった。


(やった、いじめがなくなったんだ!)


 相変わらず周囲には誰もいない家の裏庭で神愛は喜んだ。影になった場所で初々しい笑顔が光る。


「おはようございます、我が主」


 そこへ声が掛けられた。ミルフィアだ、神愛は勢いよく顔を上げ久しぶりに会う彼女に駆け寄った。


「ミルフィア! 聞いてよ、実は――」


 それで彼女を見るのだが、太陽のように輝いていた表情が地平線の向こうへと消えていく。

 純白のワンピースは汚れており破れている箇所もある。綺麗な金色の髪には砂がついていた。


「どうしたの、それ」


 彼女がいじめられていたのは、明白だった。


「気になさらないでください」


 それなのに、彼女は怒るでも悲しむでもなく、笑ったのだ。


「私は、あなたの奴隷ですから」


 主と呼ぶ少年を安心させるために。この少女は笑う。

 その笑顔が、あまりにも痛々しくて。


「いいわけないだろ!」


 神愛は、初めて怒った。


「なんだよそれッ、ようやく終わったと思ったのに、君が代わりに受けてただけじゃないか! ふざけんなよ! いいわけないだろ!」


 気づけば、泣いていた。

 あの日、自分のために泣いてくれた彼女のように。


「ですが主、私は」

「いい! そんなのどうだって!」


 彼女は奴隷と言うが、そんなのどうでも良かった。

 神愛はミルフィアを抱きしめる。そして言う、この心優しい少女に、全身全霊を込めて。


「約束するよ、僕が、ううん、俺が! いつか君が苦しまないようにする! 絶対に!」


 世界の敵に現れた、初めての味方。


「ミルフィア、君はッ」


――俺の友達だから。


 言いかけた言葉を飲み込んだ。それが言えなくて、それが悔しくて。

 代わりに抱きしめる腕に力を込めながら神愛は誓う。

 彼女は味方だけど、友人ではない。ミルフィアはそれを望んでいない。

 だとしても、この子を幸せにする、そういう存在になるのだと。

 世界の敵が欲しいのは一つだけ。本当に欲しいのは一つだけ。


 友達が欲しい。


 その思いを胸に秘めたまま、少年は少女を抱き続けていた。

 この、神が支配する監獄のような世界で。

 ここは天下界てんげかい。神の住まう世界の遥か下、そこで神の教えを信奉する人々が生きる場所。


 しかし今日、世界の敵が決意する。自分のためでなく、心優しい少女のために。


 これは、世界の敵がそれでも足掻く、乱暴で粗暴で、それでいて誰かを想う、そんな物語。

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