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交差点にペットボトル

作者: 物門鋏角

「嘘。」

 コンビニの清涼飲料水コーナーを前にして辺奈門ミルは絶句した。慌てて近くにいた店員に話しかける。

「あの、すいません。『ベジタリアル』って、ありませんか。野菜ジュースなんですけど。」

「『ベジタリアル』ですか。」

 店員は清涼飲料水コーナーを見る。紙パックの清涼飲料水が並ぶ列、本来なら『ベジタリアル』が並んでいるはずの場所には先ほどミルが確認した通り無慈悲な空洞がある。

「無いみたいですね。すいません。」

「そんな……。」

 ミルは改めて清涼飲料水コーナーを見渡した。何度見ても無い。『ベジタリアル』の両側にはぎっしりと他の野菜ジュースが並んでいるのに。

 ミルはすぐ隣の『菜食兼備』という野菜ジュースを手に取るが、すぐに棚に戻し、踵を返してコンビニを出た。

「あ、ミル。どうだった?」

 コンビニを出るとスケッチブックに景色を描いているポニーテールの女子が振りかえった。ミルの友達の月見愛である。

「無かった。」

「あらら。そりゃ残念だったね。わざわざこんな所まで来たのに。」

「ごめんね。つき合わせて。」

ミルも愛も同じ高校の2年生である。家は遠いがどちらも電車通学なので駅まではいつも一緒に帰るのだ。その途中、ミルはいつもコンビニで野菜ジュース『ベジタリアル』を買って飲むが、今日に限っていつものコンビニでは売り切れだった。午後に体育もあって喉が渇いていたためいつも以上に『ベジタリアル』を飲みたかったミルはわざわざ大きく遠回りになる道を通っていつもとは違うコンビニまでやって来たのだ。

「置いてなかったわけじゃないけど、売り切れだって。」

「それは益々残念。」

「以前来たときはあったのに。ホントにごめんね。」

「いいよ。いつもスケッチにつき合わせてるのは私の方だし。じゃ、行こうか。」

 愛は笑いながらスケッチブックをしまうと歩き出した。愛は美術部なのだ。部室に顔を出さずにひっきりなしに風景ばかり描いているため「真面目な幽霊部員」などというあだ名がついている。

ミルも後を追い、二人並んで歩き出す。

 周囲は住宅街で、遠くから自動車の走る音や、子供の声がする。夏も近いため日差しの温度は高くほんの少し煩わしさを含んでいる。道のそばに生えている木の影も濃い。

「それにしてもミル、『ベジタリアル』好きだねえ。」

「あーそうね。普通の野菜ジュースってさ、べったり甘いじゃん。いや、私も女子高生のはしくれだから、甘いものは好きだよ。でも甘い野菜ジュースって違和感しかないのよね。その点『ベジタリアル』は甘すぎなくて、野菜そのまま! って感じが良いのよね。」

「相変わらずのこだわりだねえ。」

「あー、遠回りまでしたのになぁ。」

「買いためて家においとけばいいんじゃない?」

「買いためてもすぐに飲んじゃうんだよ。そもそもあれ小さいパックのやつしかないからそんなに買いだめできないんだよ。」

「あ、そうなんだ。」

「そうだよ。2リットルのペットボトル出してくれたら一週間に3本ぐらい買うのに。」

「あはは。」

 他愛ない会話をしながら道を進む。遠くに聴こえていた自動車の音が少しづつ大きくなり、時折電車の通る音も聞こえる。

 ミルはふと、辺りの景色を見まわした。

「そう言えば、私こっち帰りに通ったことないなぁ。」

「え、そうなの? さっき来たことあるって言ってなかった?」

「いや、あれは他のところに買い物に来たとき。普段は遠回りになるし、何か危ないところがあるって聞いたから通らない。」

「あー。」

 愛は何か納得するような顔で頷いた。

「まあ、それは正解だわ。私スケッチでこっちに来ることがたまにあるんだけど、危ないところがあるのよねえ。」

「何? 何があるの。」

「呪いの交差点。」

「は?」

 ミルは素っ頓狂な声を上げた。

「何それ。」

「道が広くてカーブミラーもある交差点なんだけどね、よく事故が起こるのよ。しかも大抵人身事故で、なんていうか……すごく酷い事故が多いらしいわ。」

「……本当に?」

「本当。1、2カ月に1回ぐらいは事故が起こるみたい。私も見たことある。」

「見たことあるの!?」

「事故の瞬間を見たわけじゃないけど。こっちの方にスケッチしに来たとき何か騒がしいから行ってみたら、自動車の前の部分がぐしゃっとなってた。あと、道路に血が……。」

「……それ、何処。」

「この先。」

 愛が道の先を指差す。ミルは道路の先を透かすように見る。

「何で教えてくれなかったの。」

「いや、私『ベジタリアル』があのコンビニにあるなんて知らなかったもの。まさかミルがあんなところまで行くとは思わなかったわ。……引き返す?」

「いや、このままいこう。なんとなく見て見たい気もする。」

 ミルはにやりと笑った。ここから引き返せば電車に間に合わなくなる。ミルの家近くの駅に通る電車は本数が少ないので一本逃すと1時間は待つことになる。それに、怖いもの見たさもある。

 ミルと愛はそのまま道を進んだ。道は少しづつ広くなり、途中で歩道のある道に合流する。道路の幅は広いが中央線は引かれていない。そこをさらに進んで行くと、カーブミラーが設置してある十字路に差し掛かる。

「ここ?」

「うん。」

 ミルは拍子抜けした。舗装された道路、オレンジ色のカーブミラー、コンクリートの壁。変わったものは何一つない。何度もあったという事故の跡も片づけられていて残っていない。ポイ捨てされたらしいゴミが少し転がっている程度だった。

「ここで、人身事故が起こるの。」

「そうみたいよ。男子は中央線が無い上に交差している道路が少しずれているから感覚が狂うとかなんとか話てたけど。」

「ふうん。」

 ミルは交差している道路を見比べて見た。言われてみると道がずれている気がするが、これが事故につながるかどうかは分からない。

「ちょっと、あんまり身を乗り出すと危ないよ。」

 愛に言われてミルが上半身を引っ込めようとしたとき、ふと交差点の真ん中に目が止まった。

 そこには、ラベルのついてない2リットルペットボトルがあった。

誰かが捨てたゴミかと思ったが、それにしてはおかしい。なにしろ交差点の真ん中に立っているのだ。その中には黒っぽい液体が5分の1ほどたまっている。そして何より妙なことに、そのペットボトルは風が吹いても揺れもせず交差点の真ん中に立っている。

「あ、ペットボトルがある。」

「え? 『ベジタリアル』の?」

「いやいや。それがあったらうれしいけど、違うよ。ほら、交差点の真ん中に。2リットルのやつ。」

 ミルが指差した方向を愛は見るが、すぐに首をかしげる。

「え、どこ? 向こうに転がってるゴミのこと?」

 確かにミル達から見て向かい側の歩道に汚い500ミリリットルのペットボトルが転がっているが、それとは違う。

「いや、そうじゃなくて、交差点の真ん中に2リットルのペットボトルが立ってる、よね。」

「え? 交差点の真ん中に?」

「うん。」

「そんなの、ないけど。」

「え。」

 ミルは再び交差点の真ん中に目をやった。やはりそこには何かが入ったペットボトルがある。ミルは何度も確認したが愛には見えていないようだ。

 一体何なのだろう。むしょうに気になる。何故交差点の真ん中にペットボトルが立っているのか。猫よけ、なら中に入っているのは透明な水のはずだ。中に入っている黒っぽいものは一体何なのか。

 ミルが目を凝らしていると、すぐ横を自動車が通り抜ける。通り抜けた自動車は交差点を直進して、ペットボトルのすぐ脇を掠めて通った。普通ならばペットボトルははじきとばされるか倒れるかするはずだが、ペットボトルは自動車をすり抜けたように全く変化はない。中に入っている液体も揺れもしない。

 ミルはようやく悟った。

――これは「変なもの」だ。

「愛が見えないんなら、良いか。」

「?」

「いや、何でもない。それよりここ危ないんなら、早く離れた方が良いわ。」

「あ、うん。」

 ミルは適当にごまかすと愛と二人で左右を確認して道路を渡った。事故に巻き込まれることも無く道路を渡りきった二人はそのまま駅へ到着した。愛は何か怪訝そうな顔でミルを見ていたが、何を聞くわけでもなく挨拶をして別れた。

 発射間際の電車に駆け込んだミルは空いている座席に座って一息つき、改めて交差点のことを思い返す。

 交差点の真ん中のペットボトル。風が吹いても引かれても揺れもしなかった。愛は見えていなかったし恐らく通り過ぎて行った自動車の運転手も見えていなかったのだろう。そうなるとあれはミルにしか見えていなかったとみて間違いない。やはりあのペットボトルは「変なもの」なのだ。

ミルは時折何とも言えない「変なもの」が見えることがあるのだ。それは妙な形の機械のようなモノであったり、べったりと塗られた落書きであったりいつも違う形でわけの分からないものだった。本やテレビで見る幽霊だとか怨霊だとかいうものとはイメージが違う。それが何なのかはミル本人にも分からない。

 勿論そのことは愛には言っていない。霊感ならまだしも「わけの分からない何かが見える」などと言ったら完全に正気を疑われる。最近では学生の危険ドラッグ使用が問題になっているから、その使用を疑われるかもしれない。そんなのは御免だ。そもそも見えたからといって操ったり、消したりできるわけではないため、実質幻覚と変わりない。

 そんなわけで、これまではミルとしては「変なもの」が見えてもどうしようもなかったのだが――

――呪いの交差点にペットボトル

 今回は少し違う。現実に「事故が頻繁に起こる交差点」に「ペットボトル」という分かりやすいモノがあるという状況だ。ひょっとしたら何か分かるかもしれない。そんな気がする。

 それに、ミル自身の事情を差し引いてもあのペットボトルは妙に気になる。何故あんなところに立っているのか。あの中身は何なのか。

 そんなことを考えているとあっという間にミルの家最寄りの駅についた。ミルは慌ててカバンから定期を取り出しながら電車を走り降りた。

 次の日になっても、ミルはどうも交差点上のペットボトルが気になった。朝食を食べている時も、登校途中も、授業中もどうにも気になる。何故あんなところに立っているのか。あの中身は何なのか。黒っぽい液体、まさかコーラではないだろう。では何なのか。

「ねえ、ミルどうしたの? 何か今日ぼーっとして無い?」

 昼休みに愛が尋ねてきたが「変なもの」が見えることを秘密にしている手前相談もできない。

「え、いや、何でもない。」

「ふーん。」

 何とか愛をごまかして放課後になった。

 ミルは部活には入っていない。そのためすぐに下校しようと思えばできるのだが、多くの場合愛のスケッチにつき合うため遅くなる。

今日は学校裏にある池のスケッチだ。かつてはビオトープとして使われていたこともあるらしいが、今では掃除で雑草を抜かれる程度で手入れはされておらず、完全にただの池である。

「ここ、前もスケッチして無かった?」

「あー、うん。でも、改めて同じところをスケッチすると自分が上達したのが分かるでしょ。何度も何度も同じところを描いて、それを後で見比べたら自分の進歩が分かるのよ。」

「そういうものかぁ。」

 ミルは鉛筆を動かす愛をぼうっと眺めていた。

――何度も何度も同じところ

 そう言えば、あのペットボトルはもう一度交差点に行ってもまだあるのだろうか。いつもあの交差点の真ん中に立っているのか。それとも見えるのはあの一度きりで今日行くと無くなっているのだろうか。別のものに変わっているのでは。

 ミルは頭を振った。またあのペットボトルのことを考えている。どうしても気になる。今日も、行ってみようか。

 愛の方を見ると、スケッチの鉛筆の動きに力が入っている。今日のスケッチは長くなりそうだ。遅くなるのなら帰りに遠回りしようとは言えない。ミルは視線を池の方に移した。

 結局、その日は交差点を見に行くことはできなかった。その後もずっとミルの脳内にはペットボトルのことがこびりついて離れなかったが、あって欲しくないときに限ってある委員会の活動やノリにのった愛のスケッチにつき合って遅くなり、しばらく確かめには行けなかった。

 ミルが交差点へ行く機会を掴んだのは、最初に交差点へ行ってから一週間後のことだった。その日は一向に美術部部室に顔を出さない愛が痺れを切らした美術部部長に呼び出されたらしく、ミルに先に帰っていて欲しいと告げたのだ。

 ミルは迷わず遠回りの道を選び、呪いの交差点へ足を運んだ。この一週間でミルのペットボトルへの興味は最高潮に達していたのだ。足は自然に速足になる。途中、コンビニにより今度は売り切れていなかった『ベジタリアル』を買って活力を補給、勇んで交差点へと踏み込む。

 道路、カーブミラー、所々に転がったゴミ。交差点は特に何も変わりはなかった。

 ペットボトルもあった。

 一週間前と同じ、交差点の真ん中にラベルの無い2リットルペットボトルがしっかりと立っていた。相変わらず自動車がそばを通っても微動だにしない。ただ、一週間前と違うのは、中の液体が増えていたことだった。

 ペットボトルの黒みがかった液体は、ほぼ半分まで増えていた。しかも中身が増えたことによって、光の加減でその液体の本来の色が見て取れる。

 赤い。

 ペットボトルの中の液体は黒ではなく、濃い赤色だ。インクとも絵の具とも違う。目を凝らしてみると心なしか、粘性があってどろっとしているような気がする。

――血か

 嫌な連想がミルの中に浮かんだ。呪いの交差点の真ん中にある血の入ったペットボトル。その中にはこれまでの犠牲者の血が貯められて――

――いや、そんなはずはない。

 ミルはすぐさま思い直す。

これまでの犠牲者の血がペットボトルに収まる量なわけはない。定期的に無くなっているとしても、少なくともミルはこの一週間、この交差点で事故が起こったと言う話は聞いていない。ならばペットボトルの中の血が増えるわけはない。そもそも、あのペットボトルの中身が血であるかどうかも分からないのだ。少し、想像が過ぎるかもしれない。

ミルは一人で苦笑いをした。結局、何を考えたところでそれは想像にすぎない。やはり真実を確かめるには、ペットボトルを直接確かめるしかないのか。

 そこまで考えたとき、シャッター音がした。

 シャッター音のした方向を見てみるとちょうど交差点を挟んだ対角線上でいつの間にか学生服を着た男子がスマートフォンを構えて写真を撮っていた。男子はスマフォで何かを確認した後、首をかしげて再びスマフォのカメラをかざした。そのカメラは明らかに交差点の真ん中に向けられている。再びのシャッター音。男子は再びスマフォの画面を確認し首をかしげ、スマフォと交差点の真ん中を見比べた。

 ペットボトルを撮っているのか。

 ミルはそのまま男子を観察した。男子の学生服は見分けにくいが、ついている校章の形が違うように思うので別の学校であることは間違いない。男子は三度スマフォを構えて写真を撮り、それを確認すると、頭を掻いた。写真に撮ったはずのものが確認すると取れていない。そんな仕草に見える。

 やはりそうだ。交差点の真ん中にあるペットボトルを撮っているに違いない。自分の他にもペットボトルが見える人物がいたとは。嬉しいような、意外なような複雑な気持ちだ。

 声をかけるべきかどうか迷っていると、男子はこちらに気付いたようで、急いでスマフォをしまうとそそくさとその場を立ち去った。追いかけようとしても、交差点の反対側なのですぐには渡れなかった。急いで道路を渡ろうとするところを自動車が通って冷や汗をかいた時には、もう男子の姿は見えなくなっていた。

 あの男子は誰だったのだろうか。いや、それよりもペットボトルは本当に何なのだろう。自分だけに見えるものではないが、皆に見えるものでもないということだ。気になってわざわざ来てはみたものの、謎は深まるばかりだった。益々気になる。

 ミルは交差点の真ん中に出てペットボトルを調べてみたい衝動にかられた。しかし先ほどから自動車が何度も交差点を行き来している。道幅が広いせいかどの自動車もスピードが出ている上に、良く見れば交差点のどの道を見ても大なり小なりカーブになっていて見晴らしが良いとは言えない。ペットボトルとは無関係に危険であることは確からしい。

 それでも散々迷ってうろうろとしたが、電車の時間に間に合わなくなりそうになったところでようやくあきらめがつき、ミルは交差点を後にした。

 それからも何度かミルは交差点まで足を運んだが、ペットボトルは変わらず交差点の真ん中にあった。

ただ、日を追うにつれてペットボトルの中の液体の量は確実にじわじわと増えて行っている。液体の水面がペットボトル真ん中の縊れよりも上になり、少しづつキャップの方へ迫っていっている。

その様子を観察するうちに、ミルは液体がペットボトルのふたの部分まで到達したとき何かが起こるのではないかという予感がしてきた。

その何かがこの交差点の噂と関係あるとするならば恐らく、事故だ。あのペットボトルは恐らく、事故が起こるまでの時間を示すもの、言うなれば血時計なのではないか。もしそうだとすると、自分だけがこの交差点の呪いの秘密を知っていることになる。

――見たい

 不謹慎だとは知りつつも、ミルは好奇心を押さえきれなくなっていた。あのペットボトルの中の液体が一杯になったとき、本当に事故がおこるのか。あるいは別の何か――例えば見えているものだけに起こる何か――がおこるのか。この目で確かめてみたい。

 それからもペットボトルの中身は見るたびに増え続け、それに比例して何かが起こるという予感は強くなっていった。

 最初にペットボトルを見てから三週間がたった。

 ここ数日間、ミルは立てつづけに呪いの交差点を通って帰っている。なにしろもうペットボトルの中の液体は口の部分まで後一センチもないところまで来ており、何かが起こるのならここ数日のうちだろうと予想できるからだ。何かが起こるという予感はこれまでよりもさらに強くなっており、最早確信に近いものになっている。

 今日もまたコンビニで『ベジタリアル』を補給、交差点へ向かう。

 最早見慣れた街並みの中を通り交差点へ行くと、ミルの視線は交差点の真ん中に吸い寄せられた。

 そこにはまるでそこだけ空間を切り取ったように全体が赤黒く染まったペットボトルが立っていた。中には全く隙間が見えない。液体が完全に満たされたのだ。

――何かが起こる

 ミルの胸は高鳴った。

――間違いない。今日ここで、何かが起こる。

 ミルはガードレールに寄りかかるとペットボトルの方を食い入るように見つめた。

 しかし、十分経ち、二十分経っても全く何も起こらない。交差点を通る自動車はふらつきもしないし、よく周りを見てみるとそもそも人通りも少ない。都合よく「何か」が起こるタイミングにぴったり遭遇できるとは限らないとは思っているが、そもそも交差点の周りには何かが起こる気配が全くなかった。

 考えるとここは「呪いの交差点」だ。寄りつく人も少ないのだろう。

――本当に何かが起こるの?

 疑問が頭の中を掠めるが、何かが起こるという確信は依然として胸中にある。

 だがさらに三十分が経ち、四十分が経っても事態には何の進展も無かった。流石にそろそろ帰ろうかと考え始めていると、交差点の向かい側に人の気配がした。

 ミルがそちらに目を向けると、いつぞや交差点のを写真に撮っていた男子がいた。その視線は交差点の真ん中に向けられ、明らかに何かを期待する眼差しでペットボトルのある位置を見ている。

 ミルが男子の方を見ると、男子は慌てて目線を交差点から外し、さも誰かと待ち合わせでもしているかのようにそっぽを向いた。それでも目線はちらちらと交差点の方へ向けている。しかも自動車が通るたび明らかにそちらを凝視している。ペットボトルが見えていることは間違いない。しかも何か起こるのではないかと予感している。

――でも、多分自分にしか見えてないと思っている

 何もないところを見つめていては変な人間だと思われる。その気持ちはミルにはよく分かる。

 どうしようかとしばらく迷ったが、思い切って話しかけてみることにした。自分の見ているものを共有したいという気持ちもある。

 交差点を渡り男子の近くに寄ってみると、やはり制服がミルの通う高校のものとは違う。

「ねえ、ちょっといい?」

 男子はぎょっとしてミルの方に向き直る。

「お、な、何だ。」

「もしかして……ペットボトル、見てる?」

「えっ。」

 男子は目を見開くと、ミルと交差点の真ん中を交互に見た。

――やっぱりそうだ

「前、ここで写真撮ってたでしょ。」

「あ、あのときの。それじゃあ、そっちも。」

「うん。赤黒いモノが入ったペットボトルが見える。」

「おお。俺も見える。もうここんところ毎日見に来てる。」

「え? 私も結構頻繁に来てるけど、会ったのは今日で二回目だよね。」

「ん? ……あんた赤松高校だよな。俺、蒼竹だから。」

 蒼竹高校はミルの通う赤松高校からかなり遠い位置にある。ここまで来るならそれなりに時間がかかるだろう。ミルが帰った後に来ていたようだ。

 詳しく話を聞くと、どうやらミルと同じように「呪いの交差点」に興味を引かれて来た口らしい。すると交差点の真ん中に空っぽのペットボトルがあるのを発見したのだという。そのときはやはり猫よけか何かかと思ったらしいがなんとなく気になって別の日に来てみるとペットボトルの中に何か黒い液体がたまっている。しかも自動車が通っても揺れもしないし他の人間には見えていないと分かって何かおかしなものだと悟ったらしい。スマフォで撮ってみた写真には何も映らなかったようだ。

「何なんだろうな、あれ。」

「さあ。」

「普通じゃないよな。」

「そうね。」

 二人はしばらくの間ペットボトルを見つめて立ちつくしていた。

「このまま、何も起こらねえのかな。」

「それはない……と思うけど。」

「まいったな。俺そろそろ帰らないと。」

「案外、明日になったら空っぽに戻ってたりして。」

「なんだそりゃ。そうなら期待外れすぎる。」

 夏に差し掛かり長くなってきていた日もすでに傾いて、辺りがだいだい色に染まり始めている。

「俺、ちょっと近づいて調べてみる。」

 男子は退屈に耐えかねたように言った。

「え!? 危ない……と思うけど。」

「いや、さっきから車も来ないし。逃げる準備をしてれば大丈夫だろ。」

「ちょ、ちょっと待って。」

 あのペットボトルは多分、この呪いの交差点が呪いの交差点と呼ばれる元となった何かだ。それに近づくということは、危険以外の何物でもない。だが言葉とは裏腹に、ミルには強く男子を引きとめる気は起こらなかった。むしろ好奇心はむくむくと大きくなり、自分の代わりに調べて欲しいとすら感じている。

 それでも、衝動よりももっと奥の、本能的な部分から男子を引きとめようとする言葉が出た。

「危ないって。絶対良くないよ。」

「大丈夫だって。」

「このまま帰った方が良いよ!」

「嫌だよ! このまま帰られるか!」

 だが、ミルの中途半端な制止は逆効果だったらしい。男子はむしろミルの言葉で引っ込みがつかなくなったようだ。男子の体がガードレールを乗り越えて道路のへ出、ペットボトルへ走り寄る。

 唐突にミルの体が動かなくなった。

 ミルが見ている景色がカメラのフォーカスがずれたように曖昧になる。ガードレールもアスファルトの地面も交差点の周りの壁もカーブミラーもにじんだように溶けあい、音も、ぼやけるようにして遠ざかった。足も地面を踏みしめている感覚もあやふやになる。

 だが意識ははっきりしている。

 倒れもしない。

 その中で、ペットボトルとそこへ駆け寄る男子の姿だけがはっきりと見えた。

 その手が、ペットボトルの方へ伸びる。

 「だめ」と叫びたいが、声が出ない。

 男子の指がペットボトルに触れた瞬間、ペットボトルは身をよじるようにねじれた。さらにみるみる絞られたように変形し、みちみちと今にも破裂しそうになる。

 男子が手を引っ込め、後ずさりした途端、ペットボトルは生々しい水音と共に破裂し、辺りに赤黒い液体をぶちまけた。液体は男子にかかり、交差点の端にいるはずのミルの顔にも少しかかった。

 生ぬるい液体の温度と、鉄の匂いの中、世界が回転し、ミルは意識を失った。

 どれくらい意識を失っていたのかミルには分からなかった。

 男性が呼びかける音が遠くから聞こえ、それが自分に向かって呼びかける声だと認識した途端、深海から急浮上するようにミルは目覚めた。

「大丈夫ですか。」

 ミルの顔を覗き込んでいたのは、制服から警官であることが分かった。

 ミルは壁にもたれかかっており、交差点の周りにはパトカーや救急車が止まり、辺りはやじ馬で騒然となっていた。夕闇が迫っている中、パトカーのパトランプが一定の感覚で辺りを照らしている。

――あの男子は

 ミルは反射的に顔を上げ、立ち上がろうとした。

 警官が慌てて止めようとしたが、ミルは見てしまった。

 交差点の角に激突して前面が滅茶苦茶になった乗用車、散乱するガラス片や金属片、そして地面にぶちまけられた赤黒い血、救急車に運び込まれようとしている担架からはみ出た男子制服の長い袖、その中から出ている血まみれの手。

「あ。」

 そして、交差点の真ん中にある、中身が空っぽのペットボトル。

「あ、あ、ああ、あ。」

 ミルは自分の肩を掻き抱いた。そうして、しばらくひきつったように身動きができなかった。

 後でミルが警官から聞いた話によると、事故を起こした自動車の運転手は突然何かが交差点の真ん中に現れハンドルを切ったが、血が運転席の窓ガラスに飛び散って前が見えなくなり角に激突したと話しているという。ミルは傷一つ無く交差点のそばに倒れていたらしい。

 ミルは自分の見たことを一応言ってみたが、まるで信じてもらえなかった。むしろそのことで警察からドラッグでもやっているのではないか、男子を突き飛ばしたのではないかという疑いを少しだけ向けられたが、結局は男子が注意を怠って交差点を横断しようとし、事故にあったということになった。


「そういう、ことだったの……。」

 愛は驚きと困惑に満ちた声を出し、ミルの方を見た。

 事故から数日後、久しぶりに二人で下校する道すがら、ミルは愛に交差点で自分が見たことを余すところなく話した。

「信じて、くれる?」

 ミルはおずおずと愛に聞いた。

 愛は改めてミルの顔を見つめる。

 ミルは少々変わったところはあるが、凄惨な事故を作り話で脚色したりはしない。表情も真剣で、信じてもらえるだろうかという不安が見て取れた。

「正直、中身は信じられないような話だけど……。」

「……。」

「信じるよ。ミルが嘘をついてるとは思えないし。」

「ありがとう。こんなこと話せるの、愛しかいなくてさ。」

 ミルの表情に安堵が広がった。事故の後、ミルはやや塞ぎこんでいたが、幾分か元のミルに戻った気がする。愛もなんとなく嬉しくなった。

「それにしても、ミルがそんな変な目を持ってるなんて知らなかったよ。」

「それは、まあ……話さないようにしてたからね。頭がおかしいと思われたら嫌だし。」

「ふうん。でも、私には話してくれたんだ。ちょっと嬉しいなぁ。」

「うん……愛なら信じてくれると思ったから。それで、ちょっと頼みがあるんだけど。」

「ん? 何。」

 ミルは立ち止まった。愛も立ち止まる。

「手、握ってくれない?」

「え?」

 予想外のミルの頼みに愛は眉を寄せた。

「な、何で?」

「あ、いや、手でなくても、腕を掴んでくれてもいいんだけど……。」

「?」

 ミルの頼みは今一つ要領を得ない。

「どういうこと?」

「……あの交差点のペットボトルなんだけど。」

「うん。それがどうしたの?」

「あれ、多分罠だと思うんだよね。誰かが仕掛けたのか、自然にそうなったのかは分からないけど、ペットボトルで興味を引いて交差点に引き寄せて殺す、っていう。あのペットボトルは事故が起きるときを示してるんじゃなくて、あの中が液体で一杯になったときに事故を起こす装置みたいなものなんだと思う。血の時限爆弾、みたいな感じの。」

「……うん。それで?」

「次は私だと思う。」

 愛は再びミルを見た。やはり表情は真剣そのものだ。

「そんな……。いや、でも、ペットボトルが引きよせて殺すなら、交差点に行かなきゃいいじゃない。それなら事故に遭いようがないし。」

「無理なんだよ。」

 ミルは泣き笑いのような表情になって愛を見た。

「私さ、変わってるっていわれるでしょ。でもやっぱり目の前で事故が起こって人が死んだらショックだし、怖いと思う。それが罠なら近寄りたくないと思う。でも、でも、近寄らないことが無理なのよ。事故の後、しばらく愛と一緒に帰らなかったでしょ。あれ、交差点を見に行ってたの。」

「見に行ってた、って……。」

「気になるのよ。あのペットボトルが。どうしても気になって、見に行っちゃうんだよ。行きたくないのに。この角を、真っ直ぐ進んで。」

 はっとして愛は道を確認した。今ミルが立っている分かれ道は、真っすぐ行けば呪いの交差点へ行く道、右へ曲がれば駅へ直行する道なのだ。

「どうしても駄目。いくら帰ろうとしても気がついたら見に行ってる。それで、またペットボトルに、血がたまり始めてる。」

「……!」

「だからさ、愛。私の腕を掴んで、駅まで引っ張っていって。電車に押し込んで。」

「……。」

 ミルはすがるような目で愛を見ている。これだけ怯えている表情のミルを愛は初めて見た。

「……分かった。」

 愛はミルの腕をがっちりとつかみ、駅への道を引っ張って歩き始めた。

 それからしばらくの間、愛はミルの下校につきあって毎回駅まで連れて行った。ミルは暴れたりなどはしなかったものの、愛が遅れたりするとふらふらと交差点の方へ行こうとした。ときには最初の約束を忘れたかのように「ひょっとしたらペットボトルの中身が減っているかもしれないから見に行こう」などということも言ったが、愛は聞く耳もたずミルを駅まで引きずっていった。この連行は約一カ月後、呪いの交差点で新たな事故が起こるまで続いた。

 それからは、ミルはペットボトルのことは気にならなくなったらしい。以降ミルは絶対に呪いの交差点の方へ行く道は通ろうとしなくなり、いつものコンビニに『ベジタリアル』がない場合の補給に頭を悩ませることになった。


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