仮面の理由
草の町のポータル前に転移した俺たちは、“グシャ!”とも“ベチャ!”とも取れる音を立てながら、折り重なるように地面に落下した。
紫の泥に塗れた俺たちの体からは、形容し難い臭いが発せられているのが分かる。
周囲にいたプレイヤーやNPCも、異様な光景からか、匂いからか、避けるように距離を置いたため、俺たちの周囲には不自然なサークルが形成されていた。
部長を頭の上に置き、泥んこのダリアとアルデを両脇に抱え、その場を移動する。
――公害レベルで迷惑がかかる。早い所なんとかしないと。と、焦る俺に、けたたましいアラーム音が鳴り響く。
『現在の状態は“迷惑行為”に当たります。この状態が続く限り、貴方の名声が下がり続けます。改善の余地無しと判断された場合、衛兵によって拘束される可能性があります』
まてまてまて、待ってくれ! 色々な事が起こりすぎてパニックになってるぞ俺!
とにもかくにも、この状態をどうにかしない事には町民に迷惑が掛かるだけでなく、俺の名声までもが下がり続ける。なんて凶悪なトラップだ、毒沼め!
アラームと警告文に動揺しつつ、ミニマップを頼りに小走りする俺が見つけたのは、鶏じるしの宿屋のアイコン。
――宿屋となれば、お湯程度なら貸してもらえるかもしれない。
果たしてこの世界に《風呂》の概念が存在するのかは不明だが、この泥をどうにかしないことには毒も治療できないだろう。
秒間1Dotと、緩やかなスピードではあるものの、毒は着実に俺たちの命を蝕んでいく。
「出禁覚悟で頭を下げるしかない」
こんな泥塗れ、毒塗れの客は、俺が店員ならば願い下げである。
罰金も覚悟しつつ、速度を緩めぬまま宿屋に入った。
「いらっしゃいま……え?」
「申し訳ない、迷惑と分かってて言います。体を洗う場所、若しくはお湯を恵んでいただけませんか?」
俺たちの風貌に一瞬、顔を引きつらせる店員であったが、状況を察したのか「料金は出た後で構いません。右手にお風呂がございます」と、一言。
恩に着ます。と、失礼ながら挨拶もそこそこに、召喚獣達を連れ、店員が指差す先の部屋に入った。
*****
「これは、五右衛門風呂か? 大人一人でギリギリだな」
扉の先にあったのは、樽のように加工された木の風呂だった。
作りたてなのか、部屋の内部も含めて、かなり綺麗な状態に見える。
風呂場に入ったと同時にアラームは鳴り止み、警告文が溶けるように消えていったものの……さっきのでどれほどの人に迷惑をかけてしまっただろうか。それだけで気が重くなる。
とりあえず、早急に身なりを綺麗にする必要がある。毒も治らないしな。
メニュー画面から素早く《見習い装備》一式に着替えると、赤色の鎧から麻の服へと装備が変わる。
ゲームの仕様上の関係で、防具を外す事はできない。
「一度アイテムボックスに戻した装備は、もう一度着直すと綺麗になるのか」
試しに元の装備へと戻してみると、左半分が泥にまみれた鎧が、綺麗な状態になって戻っていた。耐久度の低下は戻らないが、汚れに関しては例外なのかもしれない。
再び見習い装備一式に戻し、風呂に溜まったお湯を備え付けの桶に汲む。
服を着替えても顔や手の汚れは落ちていない。それこそ、水で洗うか布で拭くかの処理が必要なのかもしれない。
『部長、ちょっと熱いけど我慢な』
『なにこれー?』
湯気がたっぷりと充満した小部屋が不思議なのか、部長は毒に侵されているにも拘らず、余裕な態度を崩さない。
より汚い背中部分からゆっくりお湯をかけてやり、紫が落ちるように撫でる。
お湯を一度かけると、全体の色が少しだけ薄まり、二度目、三度目でさっぱり綺麗となった。
お湯を被った部長はブルブルと水分を弾くようにしながら、人生初の風呂を楽しんでいた。
『流石に風呂の中に入れるのは気がひけるから、今日は無しな。毒の状態異常が残ってるから、部長は随時、回復作業に移ってくれ』
『はーい』
いつものように気の抜ける返事をした部長は、状態異常の回復魔法らしき魔法を発動する。
青色の泡が体を包んだと思えば、部長の“毒アイコン”が消えている事に気付く。
どうやら、お湯かけ三回分で汚れが落ちる、という解釈で合ってるようだ。
『ダリアは一度ポンチョを装備解除するからな』
『わかった げこ』
カエルの鳴き声をえらく気に入ったらしい。
ダリアのポンチョと杖を装備解除し、ダークレッドのワンピースのみの姿になる。
部長の時同様に、お湯を頭からかけてやると、紫色に濁った髪が、徐々に本来のダークレッドを取り戻していく。
かける度に、お湯を口に含んだダリアが、水鉄砲ならぬお湯鉄砲をぶつけてくるも、無視して三度目のお湯をかけた。
『綺麗になったら部長に回復してもらってきなさい。あと、タオルがあるか店員さんに聞いておくから外に出ないように』
『うん』
びしょ濡れになった髪が乾く親切設計ではないようで、とりあえずダリアも部長も風呂場の中に待機させておく。
ただでさえ泥だらけで入ったのだ。これ以上の迷惑は掛けられない。
さて――最後にアルデの番だが。
『アルデ。その被り物は取れないのか? これだと全身綺麗にできないから、毒が治らないんだけど』
『ぐぐぐ……』
俺の言葉に、葛藤するアルデ。
彼の素顔を見るチャンスではあるが、好奇心よりも、泥を洗い流す使命感が優っている。
彼が何故、こんな禍々しい骨を被っているのかは不明だが、それなりの理由があるとは感じている――ただ、それとこれとは話が別だ。
『拙者の姿を見ても同情しないか?』
『同情? 我が子がどんな姿でも、俺は態度を変えない』
『そうか……』
俺の言葉にアルデは、少し考えるような、そして納得するような声色で呟き――骨の被り物を取った。
一際目立つは――猛々しいツノ。
ショートカットの黒髪から伸びた二本のツノが、頭の両側から生えている。
ダリアのツノが竜のものだとするならば、彼――いや、彼女のツノはバイソンのソレに酷似していた。
顔を晒すのが恥ずかしいのか、しきりに体を捩らせる姿は、吊り目も相まって気高くも感じるが、その容姿は非常に“可憐”と言わざるを得ない。
所々が紫の泥に汚れた褐色の肌と、こちらを窺うように動く、山吹色の目。
『アルデ……お前、女の子だったのか?』
『性別なんぞ、どうでもいい』
いや、良くないんだよなあ。
しかし、性別を間違えて認知していた俺が言えた義理でもない。椿にでも聞かれたら、非難轟々なのは間違いないだろう。
『よし、お湯かけるぞー』
『え? いや、ダイキ殿!』
気を取り直して、桶にお湯を汲む俺に、アルデが待ったをかけた。
『拙者は獣人族との混血だぞ?』
『それがどうしたんだよ。ダリアだって魔族と竜族のハーフだし』
そういうのとは違う! と、若干ヒステリック気味に声を荒げるアルデ。
“獣人族”という部分に、何か後ろめたい事があるのか?
確かドワーフ族が多く住む火の町に行った時に、店員のドワーフがそれとなく差別的な物言いをしていたが……それが原因か?
『俺はお前の親であり、お前は俺の子だ。そこに種族も性別も、何もかも関係ない。お湯かけるぞ』
まだ何か言いたげなアルデに無理やり桶のお湯をかける。被り物の隙間から入り込んだ沼の泥が、徐々に薄れていくのがわかる。
にしてもこの被り物……物理的に被るの不可能じゃないか? ツノがつっかえて被れないと思うんだが……ここにもファンタジーか?
なんにせよ、無事に三人娘がさっぱりした事だし、自分の泥も落とすとしますか。
*****
「これ、使ってください」
「あ、どうもありがとうございます」
風呂場からあがると、待ってましたと言わんばかりに、笑顔を貼り付けた店員が粗い生地の布を何枚か渡してきてくれた。
そのまま会釈した店員は、再び店のカウンターの方へと戻っていく。
完全に厄介な客なのに、神のような対応だな……本当に有難い。そして申し訳ない。
『もう乾いたからいいよー』
『だめ。身体中びしょ濡れじゃないか、このくらい我慢な』
洗った順に、今度は体を拭いていく。ともあれ、体まで濡れているのは部長に限った話であり、他の二人は頭だけ濡れている状態である。
部長は拭かれるのが嫌なようで『もういいー』『もう乾いたー』と、ごねているが、濡れた足で店内を歩き回らせるわけにはいかない。ここは心を鬼にする。
『ツノがあるから 丁寧に』
『わかったよ』
『アルデのも ね』
『――わかったよ』
俺に頭を拭かれ、されるがままになっているダリアが、綺麗になった被り物を手に、身じろぎするアルデを指差した。
気を使ってやれ。って言いたいんだな。
わかってるよ。
ダリアの髪が乾き、次はアルデの番となる。店員からもらった布で丁寧に拭きながら、意味もなく咳払いをしつつ、語りかける。
『今度からは、ちゃんと女の子として接するからな。というか、言ってくれよ……』
『いや、性別は……それだけ?』
『おう、それだけだ』
ダリアや部長も含め、俺たちが態度を変えなければ、彼女は自然と、悩むのを止めるだろう。
――色々事情を抱えている。
それだけわかっただけでも収穫だ。
それを聞いたアルデは、ホッとしたような、恥ずかしいような表情を隠すように、再びヤクの骨を被ったのだった。
しかし――ダリアの一件もそうだが、召喚獣達には、何かしらの“過去”が存在していると考えられるのではないか?
獣人族が差別の対象だったとしても、それをつい最近召喚されたアルデが――召喚された時からその事を認知し、自分の姿を隠していたという事実は揺るがない。
(『ダリアたちは 魔力が固まってできたそんざい 体をくれたのはダイキ』)
以前ダリアが言っていた言葉を紐解くと、召喚獣は“何かの魔力”によって形が決定されると考えられる。
この魔力は、漠然と世界のどこかの魔力だと解釈していたが……ここに鍵があるのか?
仮に――その魔力を持つ“存在”がいたとして、それらの魔力が何らかの方法で混ざり合い、召喚獣が生まれているのだとしたら、その存在こそが“親”であると考えられる。
その親の意思や記憶を引き継いでいるのだとすれば、アルデが“獣人族についての事柄”を知っていた理由にも合致するが――
『難しい話はナシだ。俺がお前達の親で、味方だから』
彼女達に言ったのか、はたまた自分に言い聞かせたのかは分からない。
ただ、この世界の“深い部分”に触れたような、そんな気がしてならなかった。
布が万能だったのか、それとも服にそういう機能が備わっていたのかは不明だが、お湯の時のように、布で三回拭いただけで、びしょ濡れだった服は完全に乾いていた。
ダリアにポンチョを装備させ、俺も見習い装備から鎧へと装備を変更。
相当手間が掛かったが、泥沼での事件は綺麗さっぱり解決かな。