ダンジョン『剣王の墓』②
時刻は午後7時49分。集合時間から19分の時間が経過しているものの、肝心の姫の王率いるパーティは未だ姿を現さない。
パーティの編成としては俺と港さんのパーティで一つ、ブロードさん達で一つ、残りは姫の王とそのギルドのメンバーで三つの、計五パーティで攻略を進める予定となっている。
先ほど港さんが言ってたが、本当に時間を守らない人だとは……彼の口ぶりからしても、常習犯らしいし。
「おい、いつになったら来るんだ? あのクソガキ」
「港さん、口悪いですよ」
港さんは筋肉質な体を丸め、膝に肘を乗せ貧乏揺すりをしながらイライラを募らせている。
温厚な感じのブロードさんも、しきりにメニュー画面を開き、時計を気にするようにチラチラ視線を泳がせているし、マイさんは腕組みをしながら何度もつま先で床を叩いている。
攻略に掛かる時間を二時間とみて早めに集合時間を決めたのに、これでは無駄になってしまう。椅子の上でダラダラと待つダリア達もかなり退屈そうにしている様子。
――と、ギルド扉が開いたと同時に、大勢のプレイヤーがゾロゾロと中へと入ってきたのが見えた。
共通点といえば皆が皆、男性アバターという点と、額に鉢巻をしている所か……。
そしてその群れが誰かを通すように二つに割れ、奥から一人の小柄な女性アバターがやってきた。
「――皆、揃ってますネ」
ボブカットに揃えられた金色の髪がふわりと舞い、頭の上に浮く光の輪っかがクルリと回る。
白鳥のような美しい翼がばさりと羽ばたき、ギルド内に光る純白の羽根が舞った。
エメラルドのような光沢のある緑の目をクリクリ動かしながら、まるで自らの所有地のように、ギルドを堂々と歩く――天使。
およそ人のものではないような、恐ろしく整った顔のパーツが、小さな顔に見事な配置で収まっている。
化粧をしているのか、頬はチークを使ったように紅潮し、唇は潤いをたっぷり含んだ艶のあるピンク。それらも相まって、共存する事のないはずの幼さと色気を同時に醸し出している。
およそ140cm程の体は、幼児体型を隠すように白のフリル付きワンピースに包まれ、むき出しの白い腕や足は触れたら壊れてしまいそうな程に華奢だ。
――可愛さ、美しさ、儚さ、妖艶さ。一つのアバターにその全てを兼ね備えた《作品》に、ギルド内にいるプレイヤー達がどよめいた。
人気もさる事ながら、圧倒的な実力で最前線のさらに上――トッププレイヤーに名を連ねる姫の王 《マイヤ》は、ものの数秒でこの空間にはっきりとした存在感を刻み付けた。
人々のざわめきをたっぷり五秒間程楽しんだ姫の王は、ワンピースの端を摘んで淑女のお辞儀をやってみせる。
「でハ、ダンジョンの方に参りましょうカ」
遅れてきた事を悪びれる様子もなく、やや片言なイントネーションで一言云った姫の王に対し、待ち惚けを食らっていた港さんが堪らず声を上げる。
「おいおい待てよ、集合時間にだいぶ遅れたのに詫びも無しかよ!」
姫の王は口角を上げながらふわりと踵を返し、人懐っこい口調に変えながらそれに答える。
「細かい男だナ。回復してあげないゾ」
「俺個人には別にいい。だが他にもお前を待っていたメンバーは大勢いる。ここで一言でも謝ってもらわなきゃダンジョンを攻略するにしても蟠りが残るだろ!」
それに対して反応したのは姫の王――ではなく取り巻いていた男性プレイヤー達だ。
掴みかかる事こそなかったものの、様をつけろだの口の利き方がなってないだのと大ブーイング。
当の本人はというと、取り巻きのブーイングを五秒程楽しんだ後、華奢な手を上げ外野を静まらせる。
「以後、気をつけるヨ」
一言――その後彼女達はダンジョンまでの移動を開始したのだった。
「ちょっと後悔してきたぜ」
静まり返ったギルド内に、落胆したような声色の港さんの呟きが虚しく響く。
「ま、まあ腕は確かだしさ、行ってみよう」
「ブロード。触らぬ神に祟りなし……よ。性格に難ありとは聞いていたけど、あそこまで破天荒な感じとは思わなかったわ」
何か思う所はあるのだろうが、特にコメントをしないまま切り出すブロードさんに、マイさんが額に手を当てながら項垂れる。
他のメンバーも困惑の表情を浮かべる人が大半であり、姫の王のインパクトに当てられた様子が伺えた。
「ともあれ、折角時間を合わせて準備したんですから、逆に相手を利用するような気持ちで付いて行きましょうよ」
「お、結構過激な発言するんだな」
少し苛立ちを含めた口調に反応した港さんが、茶化すように突っ込みを入れる。
「反抗してもお互いメリットありませんからね。郷に入っては郷に従え――じゃないですけど、彼女達のスタンスに合わせた方が気疲れせずに済みますから」
「へえ、サバサバしてるんだね、ダイキ君」
「仕事でそういう場面にはいくらでも遭遇してますからね」
俺のあっけらかんとした返答に、マイさんは肩を竦めて苦笑いを浮かべる。
俺のリアクションが薄いからか、他の面々も熱くなっていた頭が冷めてきているようだった。
先行く姫の王パーティの10メートル後ろを歩く俺たち。
部長がマイさんの腕の中に飛び移り、マイさんが可愛さのあまり悶絶するといったハプニングもあり、かなり和気藹々とした雰囲気を保っている。
姫の王のパーティ間でも会話が盛り上がっているらしく、前と後ろで別々の空間が出来上がっていた。
他のプレイヤーから見たこの集団は、まさかこれから一緒にダンジョンに潜る仲間同士とは到底思わないだろう。
――ムードは険悪である。
すると突然、前の集団が二つに割れ、姫の王が満面の笑みで此方へ歩いてきた。
港さん達が思わず身構えるも、姫の王は御構い無しに俺の隣まで来て方向転換、歩くスピードを合わせてくる。
「なんでしょう」
「君、知ってるヨ。有名なお義父さんだよネ」
くすくすと笑う姫の王に対し、あまり邪険にしても悪いと普通に対応する。
「そう呼ばれているみたいですね。俺としてはマイヤさんみたく《姫の王》とか、銀灰さんみたく《銀騎士》みたいな、強そうな呼び名が良かったんですけどね」
「マイヤのは強そうなのかナ?」
俺が普通に返答したのが意外だったのか、それとも返答の内容が意外だったのか……姫の王は一瞬だけ沈黙した後、俺の顔を覗き込むように、唇に指を添えながら可愛く聞き返す。
あざとい――現実離れしたルックスだからこそ、より凶悪な破壊力を孕んでいると言える。ともあれ、ダリアと部長には及ばないと言ったら、親バカになるのだろうか。
可愛い娘達の事を思い浮かべ、少しデレっとしていると姫の王は対象を変え、俺の上にいる存在に話を振った。
「こんにちハ」
周りに花のエフェクトが舞うかのような満面の笑みに対するダリアの返答を聞くべく、俺はシンクロを使う。
『きらい』
とても冷めた一言に、思わず姫の王に同情してしまう自分がいた。
正直ダリアが人を嫌ったのは今回が初めてであり、それも一言目で嫌っているとは……もはや生理的に〜レベルだろうか。
「すみません、ダリアは喋れないので」
「あラ、残念。あの女の召喚獣は色々喋るんだけどナ」
まあいっか。と、両手を広げてクルリと回った姫の王は、そのままブロードさん達と交流しに歩いて行く。
――その光景は異常だった――
まるで違和感なく人と人の間に滑り込むように入り、その場でされている雑談に瞬時に合わせ、会話の主導権を握る。
最初は面喰らっていた面々も次第に緊張がほぐれて《まるで最初から親しい友人だったように》話をしているのだ。
ともすれば、彼女への不満が爆発し、帰りそうなメンバーにも話しかけ――機先を制している。
その視線運びも完璧で、一人一人の眼をよく見て――いや、姫の王の目へ釘付けになるように仕向けているようにも見える。
眼は口ほどにものを言うというが……それとは一線を画し、まるでファンタジーによくある《魅了の魔眼》にでもやられたようだ。
港さんやマイさんとは少しギスギスしているが……いやはや恐ろしいな。
彼女は自分のペースに持っていく――つまりは主導権を握る事を念頭に行動している人のソレだ。
感情を揺さぶる事ができれば、後はどうとでもなる。と、言っているようにも思える。
好きの反対は無関心〜とは良く聞くフレーズだが、遅刻も含めた登場シーンでわざと下げた株をここで一気に上げにきている。
トッププレイヤーが、それもあんな太々しさを見せた人が、わざわざ全員に挨拶して回っているのだ。
ブロードさん達のパーティメンバーの大半が『なんだアイツ』から『あれ、この人本当はいい人?』に、思考が変わり始めているのが表情でわかる。
この短時間で株を大きく上げる術。ルックスはもちろん話術まで持っているとは、やはり恐ろしいの一言に尽きる。
その上、彼女の役割である回復役は直接的な感謝を向けられやすい。そこに一言気の利いた言葉でも投げかけてやれば、回復された側としては悪い気はしないだろう。
――この場にケンヤが居れば『うちの会社に営業としてスカウトしたいね』とか耳打ちしてくるだろうか。
王都からほど近い、丘の上にそびえ立つ巨大な剣。よく見ると塔であることが分かるこの建造物こそが、俺たちが挑むダンジョン《剣王の墓》である。
蔦と苔の量も相まって、相当な年季を感じさせる。
「ここでレイドを組むからネ」
到着早々、姫の王はリーダー全員にレイド申請を送り、俺はそれを承認、視界右下に表示される体力バーが増えていく。
これで初めてレイドに参加したことになるな。今までは港さん以外は頭の上にLPバーのみ表示されていたのが、今は三本のバーが全員の頭の上に浮かんでいるのが確認できる。
全員がレイドに組まれたのを確認した姫の王は、特に掛け声もなしに剣王の試練へと足を踏み入れた。
それを追うように次々とレイドメンバーが消えていく。
――よし、いくか。