名付けの儀
『ん……あれ?』
俺たちが覚醒してから数十秒後、未だに寝ぼけているような様子でアルデがもそもそと起き出した。
細い腕で目をごしごし。
そして傍に眠る青吉――もとい少年に気付き、目をまん丸にして立ち上がる。
『だ、誰っ?! な、なんで一緒に寝てるんだ?!』
明らかに動揺した様子で、視線を少年と俺たちとで行き来させている。顔はすでに真っ赤。
「その子のことはお主が一番よく知ってるはずだろう」
海竜神はそう言いながら腕を組む。
アルデはいまだ、海竜神が青吉を攻撃したと勘違いしているため、憎しみの篭った目を向けている。
『……!』
「お目覚めだ」
全く気にするそぶりを見せない海竜神は微笑を浮かべ、少年に視線を向けた。
ぱちりと開いた黄色の瞳が、何かを探すようにくりくり動く。
『……』
眠たそうな顔で上半身だけむくりと起こし、辺りをキョロキョロ見渡している。
少し長めの青髪には独特の癖があり、首の後ろから伸びる三つ編みのおさげ髪が竜だった頃の名残にも見えた。
人間の耳の部分にはダリアとはまだ別のタイプ、海竜のツノが生えており、額には小さな宝石が光っている。
『?……あっ!』
竜の鱗のような模様の上着とパンツ姿で目を覚ました青吉は、海竜神を睨み続けるアルデを見つけるなり嬉しそうに立ち上がった。
『アルデまま』
『……え? あ、おきち?』
姉妹でもっとも青吉を可愛がっていたアルデ。青吉にもそれが伝わっていたらしく、生みの親たる海竜神には目もくれず、青吉は真っ先にアルデの元へ駆け出した。
アルデも、この少年が誰なのか悟ったらしい。
『あいたっ!』
3歩目にして転んだ青吉。
うまく歩けるはずもない。彼は少し前まで、竜の姿だったのだから。
『青吉!! 大丈夫か!?』
『アルデまま? なんで、でっかくなった?』
うつ伏せに転んだ青吉の元へ駆け寄ったアルデ。青吉は特に痛みに関してのリアクションは取らず、顔だけアルデの方に向け不思議そうにそう呟いた。
「お主が小さくなったのだ、愛しい我が子」
状況が理解できていない青吉に、海竜神が優しく声をかける。
彼女にとって青吉は自分の子供。その声は俺たちにかける声とは違う、とても柔らかなものだった。
『あ、怖いママだ』
「……」
意外と容赦のない。
青吉のキツイ一言に言葉を失った海竜神は、石のように固まった。
「青吉、俺がわかるか?」
『ダイキパパ、もちろんわかる』
俺のこともしっかり理解しているようだ。ずっと水槽越しだったが、場所さえあれば部屋に出してあげていたおかげかもしれない。
とはいえ、ママにパパ……まあ、仕方ないか。
それを合図に、野次馬のごとく集まる姉妹たち。
『あおきちー、わたしのことはー?』
『昼寝のあねさん、わかるよ』
大正解である。部長もなぜか得意げな顔を見せている。
『……私のことは、わからないですよね』
『うん、よく知らない』
バッサリと切り捨てられたベリル。これから仲良くなっていけばいいさ。
『ダリアのことは?』
『あねさま! わかる、ます!』
なぜダリアに対してだけ敬語を使おうとしているのかは不明だが、青吉は水槽の中で、俺たちの事を見てくれていたようだ。
*****
洞窟内に、アルデの声が響き渡る。
『ご、ごごごめんなさいー!』
青吉が生きていた事で全てを悟ったアルデ。謝罪の相手である海竜神は、満足そうに頷いている。
「気にするな……むしろ、お主のような者が我が子の近くにいてくれるなら、我も安心して送り出せるというものだ」
アルデに対する青吉のなつき様を見て海竜神も安心したようだった。とはいえ、まだ青吉に『怖いママ』と言われた事を引きずっているらしく、青吉に向ける視線は、先ほどまでの彼女からは想像もつかないほど非常に弱々しいものだった。
「……たまには本当のママにも会いに来てほしい」
『たまになら』
いくら海竜達の頂点といえど、子供の前ではまるで母親である。
「青吉を人間の姿にした理由は、やはり……」
「ああ。お主と召喚獣契約ができるようにするためだ」
寂しそうに言う海竜神。
残念なのが、契約後に本来の力の多くが失われるということか……と、ため息混じりにそう続ける。
この場所に連れてこられてから……いや、厳密にはクエストが発生した時から、着地点は薄々感じてはいた。
召喚獣を仲間にするには、基本的にレベルを上げて召喚枠を獲得し、魔石を用いて呼び出す必要がある。
しかし俺は、例外があるのも知っていた。
〝「特殊なアイテムを使って召喚した結果呼び出されたのがこの二体ですが大外れ、です」〟
トーナメントの前、石の町で初めて花蓮さんと会話した日に、彼女が風神雷神に向けて発した言葉だ。
アイテムを使ったという所から察するに、風神雷神と青吉とでは恐らく契約条件が違っている。しかし、特殊な方法で召喚獣を仲間にできるという事実は知識として覚えていた。
もちろん、このクエストが発生するまでは、青吉が召喚獣になり得るなど考えもしなかったが……
しかし、本来の力が失われるというのはどういう意味だろう。
「今から行うのは《名付けの儀》。この行為は〝その種族の枠組みを超える存在〟に行われるのだが、召喚獣に変える場合も同様の儀が行われる」
言いながら、不思議そうに見上げる青吉の頭を優しく撫でる海竜神。
「種族の枠組みを超える存在……?」
「一般的に《名持ち》と呼ばれる存在だよ」
「!!」
名持ち――確かフィールドに突然現れる、特別な名前を持った強力なモンスターの総称。マイさんやブロードさんのギルドが討伐対象としているモブ。
「名前を持った存在は特別だ。種族の長は群れの中にその存在を見つけると、名前を付けて群れから切り離す……名持ちとなったその種が別の場所で長となり群れを作り、種そのものを残し、増やしていく――それが我らの掟」
これは……Frontier Worldのモンスター達に隠されたシステムではなかろうか? 俺は今、すごく重要な秘密を知ってしまった気がしていた。
「青吉の力が失われるというのは?」
「我が与えた名前が失われるからだ。名付けの絆は強く、また名付け主の力が今後の成長を大きく左右する。我とお主、どちらが強いかなど戦わずとも分かるだろう?」
確かに、海竜の頂点と1人のプレイヤー。どちらが強いかなど誰が見ても明らかである。
「召喚獣となった子に付けた名前は、新たな主人と契約したその瞬間に失われる。名付けはお互いを固く結ぶ重要な儀、前の名は契約のもと破棄される」
「なっ?!」
生みの親からもらった名前は、召喚士との契約の際に破棄される――召喚獣達には元々、親からもらった本当の名前が存在している。
つまり――
「じゃあ召喚獣という存在……果てにある、真名解放というのは……!」
「左様。我らが付けた名前を得、本来の力を得る行為だ」