少年ナルハ
時刻は12時17分――会社屋上
いつも通りの休憩場所だが、今日は珍しくお客さんが来ていた。俺は、隣に座る椿と談笑しつつ、横目でもう一度確認する。
ベンチから少し離れた所で謙也と会話しているのは、この会社の制服を着た女性。
俺たちの前ではヘラヘラしている謙也だが、部下相手となれば人が変わったように、良き先輩として対応している。会話の内容こそ聞こえない距離だが、大方、仕事の相談か何かだろう。
「まだまだ若いっていうのに、頑張ってるなぁ……」
紙パックジュースを飲みながら、その光景をニマニマとした表情で眺める椿が呟いた。
年寄り臭いこと言ってるお前もまだ二十代だろうが――と、心の中でツッコミを入れておく。
あっちでもこっちでも、環境に慣れない人達を熱心に指導する様は先輩の鑑であるが……後輩と先輩の纏う雰囲気が微妙に噛み合ってない部分、謙也の鈍感さが良く表れていた。
「今日もあっち方面の進展は無さそうだな……と、話は変わるけど椿、今日の夜暇か?」
あまりジロジロ見ているのもあの子に悪いと、大きく話題を変えて椿に向き直る。
驚いたような表情を見せた椿が「ぶっ!」と吹き出し、気管にジュースが入ったのか、はしたなくむせながら、涙目のまま胸の上をトントンと叩く。
……なんだ一体。
「恋愛トークしてた流れで、異性の夜の予定聞くぅ? ……別にそういう意図じゃない事くらい分かるけどさ」
「ああ、すまん。全然意識してなかった」
椿がむせた原因が分かった所で、気を取り直して会話を再開させる。
「で、ゲームの話でしょ? ここ最近、めんどくさい人が毎回絡みに来るけど約束してるわけじゃないし、予定は空いてるよ」
「めんどくさい人? それ、大丈夫なのか?」
害は無いから大丈夫だよ――と、手をひらひらさせながら語る椿は、手さげ袋から新しいジュースを取り出すと、ストローに口をつけながら「んで、どこ行くの?」と聞いてくる。
「そろそろストーリークエストを進めていこうと思ってね。今日の夜あたり、早速一つやってみようかなと。椿が進めてなければ丁度いいし」
「そゆことか。いいよ、私何も進めてないし。その代わり――」
部長ちゃんの乗り物役、私が担当するからね! と、満面の笑みで言う椿。異論は全く無いが、マイさんといい椿といい、部長は女性人気が高い。
本人のコメントはヒヤヒヤする物ばかりなので、彼女達には伝えないようにしておこう――と、俺は改めてそう決意した。
*****
三姉妹を連れ集合場所である冒険の町のレストランへと到着した俺は、席に座る椿を見つけ、従業員に相席をする旨を伝えた。
「よ、待たせたな」
『トルダ やっほ』
『あ、知ってる人だー』
『また魚釣り一緒にしよう!』
手を振り挨拶を返すトルダに、召喚獣たちからのコメントを代弁してやると、彼女は嬉しそうに三姉妹全員の頭を撫でて個別に挨拶を開始したのだった。
もちろん、部長のコメントは俺の方で都合のいい修正をして伝えている。
ひとしきりコミニュケーションを取りトルダが満足した所で、俺たちは順々に席へと座っていく。
四人用のテーブル席だが、三姉妹は全員ちびっ子なので窮屈になる事もなく無事に座る事ができた。
俺の両隣りにダリアとアルデが座り、その対面にはトルダ、そして部長が座っている。
ストーリー攻略となれば、砂の町でもあったように戦闘が予想される。となれば、前もって食事による強化を付けておけば、多少楽になると考えられた。
無論、三姉妹へのご機嫌とりという目的が一番ではあるが。
料理が運ばれてくるのをソワソワしながら待つダリアと、絵本を見るようにメニュー表を楽しそうに眺めるアルデを撫でながら、惚気顔のトルダへ視線を移す。
「じゃあ早速、どの町のストーリーを進めていくか決めようと思うんだが」
「そんなことより、見てよ! 部長ちゃんが私の膝の上に頭を置いてくれてる! ほんと可愛い……」
ヨダレでも垂らすのではないかと心配するくらいに顔を緩めているトルダに対し咳払いを一つ――改めて会話を再開させる。
「因みにトルダ、町の開放はどんな感じなんだ?」
「んー、風と石と火と王都くらいかなあ。正直、弓の練習だけなら冒険の町付近で事足りるし、野望もないから」
丁寧に部長の頭を撫でながら「あと、娯楽も!」と、トルダは自慢気に言った。
掲示板で確認した情報によれば、ストーリークエストは娯楽の町を除く各町に一つずつ存在するらしく、基本的にはキーマンとなる人物と接触する事でクエストが発生――という仕組みのようだ。
特別な人物が存在しない場合もあるらしいが……ストーリーと言うだけあって重要なクエストという事に変わりはなく、町中にヒントが多く散りばめられているため、受注場所は分かりやすいとの事だった。
できればこのゲームに用意されているストーリークエストは全て攻略していきたい所だが……さて、どこから手をつけていこうか。
運ばれてきた料理群がテーブルに並ぶや否や、特大フライドチキンにかぶりつくダリアとチョコとバナナのホールケーキをパクつくアルデ。
向かい側では「どれから食べる? それ? うん、じゃあこっちね」と、自らの赤ん坊にご飯を食べさせるかの如く、トルダが部長に確認しつつ皿に盛られたフルーツミックスサラダを食べさせてやっている姿が見える。
幸せそうだな――トルダ。
三姉妹+トルダの食事風景を楽しみつつ掲示板の情報を流し見ていき、この後進めるストーリークエストとその発生場所を頭に入れていく。
「一応、ストーリークエストは複数人で受ける事ができるらしいけど、全員が同じ段階にいなければ進められない。トルダはストーリーをまだ一つも進めていないって話だから、受けるとすれば俺が今発生させている草、砂、王都以外という事になる」
誘っておいて、一緒にやるためトルダに無理に一段階目をクリアしてもらうのも忍びない。破棄して再び受ける方法も取れるが……それならば、いっそ別の町から攻略してしまおう――という結論に至る。
心ここに在らずな様子のトルダは、部長の口元に野菜を運びつつ、二つ返事で「いいよ」と答えてみせた。
*****
冒険の町――ギルド内部
プレイヤー達が作ったギルドではなく、元々ゲーム内に存在している冒険者が仕事を探すための集会所に来ていた。
小気味のいい音楽が流れる穏やかな雰囲気の酒場でも、客のほとんどは当たり前のように剣を腰にぶら下げている。
東西南北にある門の一枚奥には獰猛なモンスターが蔓延っているわけだし、身を守るためには多少の“物騒”も仕方のない事なのだろう――たとえそれが少年少女だったとしても。
『いた』
目的の少年をいち早く見つけたダリアは、依頼書が所狭しと貼り付けられた掲示板の前へと指を向けた。
真剣な表情で依頼書を眺めながら、剣の柄を握る手を震わせているその少年。金色の髪に緑の瞳、身長140センチ程の、見るからに非力な男の子。
装備は使い古された鉄製の物を身にまとっており、首には赤色のスカーフらしき物が巻かれている。
癖のある髪を後ろで括り、短めのポニーテールを作っていた。
近くに仲間の姿は無く、一見して一人ぼっちである。
「あの子が“ナルハ”君? なんか、凄く怯えてるみたいだけど……」
『ここの出っ張りのお陰で乗りやすいー』
震える少年を心配するような声色で呟くトルダ。確かに、とてもじゃないが魔物と戦えるだけの覚悟があるようには見えない。
トルダの頭の上で上機嫌の部長は、トルダの後頭部にちょこんと生えた短めのポニーテールに座るようにしてバランスをとっている。
きっと、こんなコメントでもトルダは喜ぶんだろうなあ……。
『声かけるのか?』
「ああ、今からあの子と依頼をこなす必要があるからな」
ダリアとは反対方向に抱かれているアルデが首を傾げつつ言い、俺はそれに答えたのを合図に少年の元へと歩いていく。
「こんにちは。困ってるみたいだけど、どうしたの?」
なるべく優しめに声をかけたのだが、元々怯えていた彼には関係なく、案の定、少年の体が跳ねた。
そして、恐る恐るといった様子でこちらへと振り返った少年は、視線を俺たちと依頼書とを二往復させた後、忍びない様子で口を開く。
「確かに、困っています。どうしても受けたい依頼があったのですが、同伴者が見つからなかったので」
纏った雰囲気とは裏腹に、とても芯の強そうな声と表情である。
俺たちを見つめるグリーンの瞳には、何かを成し遂げたいという強い意志が灯っていた。
一連の流れが掲示板にあったものと同じだった事に安堵しつつ、俺は目の前の少年との話を進めていく。
「なら俺たちと一緒に依頼を受けない? そうすれば、君の悩みも解消されるよね?」
「それはそうですが……いえ、ありがとうございます。助かりました」
「そっか。ならまずは自己紹介からかな――」
少しも警戒しない少年に苦笑しつつ、俺は自分の紹介とトルダや召喚獣の紹介をしていき、少年の自己紹介を待つ。
名前と顔を覚えているのか、少年はしばらく沈黙したのち、はにかみながら自身の紹介を始めた。
「僕は冒険者のナルハ。ランクはEの駆け出しですが、夢はランクA……いや、英雄になる事です! よろしくお願いします!」
【ストーリークエスト:伝説の英雄たち】推奨Lv.30
英雄に憧れる少年、ナルハは八英雄が祀られている遺跡付近に出現した魔物の退治依頼を受ける。彼が危険の伴う仕事を選んでまで行きたかった《英雄遺跡》とは……?
ナットウルフの討伐[0/10]
経験値[2701]
現れたクエストメニューに目を通す前に、一度トルダの方へと視線を向け、彼女の目の前にも同様のプレートが出現しているのを確認した。
問題なく、同じクエストを受ける事ができているようだ。
改めてストーリークエストの内容に目を落とし読み進めていく――も、やはり通常のクエストと違い、ストーリークエストは“メッセージ性が強い”……と感じる。
彼の抱く恐怖は、討伐対象であるナットウルフという魔物に対してだろうか。それとも、英雄遺跡という場所に対してだろうか。
「それでは、依頼を取ってくるので待っていてください!」
ナルハ君はそう言うと、貼られていた依頼書を丁寧に剥がし、受付の方へと小走りで向かっていく。
「このナットウルフを倒す……っていうのがストーリークエスト?」
耳打ちするように言うトルダに対し、最初の目的はね――と、意味ありげに返す。
実のところ、ストーリーの内容を楽しむためにクエスト発生条件以外の情報は見ていないため、この先何が起こるのか全く分からない。
納得していなそうに「ふーん」と口を尖らせるトルダから視線を移し、嬉しそうな顔でこちらへと戻ってくるナルハ君を迎えた。
「それではっ! 行きましょう! 道は僕が知っているので、付いてきてください!」
そう言いながら、ギルドの出口へ向かい鼻歌交じりに進んでいくナルハ君。
気の緩んだ彼の様子に、なんとなく事件が起こりそうな予感を覚えながらも、俺たちは先行く頼りない少年の背中を追った。