山の頂上
風の町が春の気温とするならば、皆が歩くこの道は、秋の気温といったところか。緩やかな傾斜が続くのどかな山道を、参加者一行が談笑しながら進んでいく。
先頭を買って出たのは、遅れて合流した花蓮さん達。
出現するモンスターの平均レベルは20という比較的易しいエリアではあるものの、敵という事に変わりは無い。皆が気兼ねなく歩けるように、先頭が前方の掃除を、最後尾が後方からの追っ手をそれぞれ担当してくれている。
最後尾を担当してくれている人がこの距離からでは確認できないが、山頂に着いた時にでも挨拶をしておこう。
「うーん、やっぱり戦乙女は別格だなあ。本当はあたしと葉月で担当する筈だったんだけど……」
「こういう時は、ご好意に甘えましょう。紅葉さんや葉月さんがどうという意味ではありませんが、トッププレイヤーが警護に当たってくれるならこれほど心強い事はないですし」
前方で弾ける猿のようなモンスターの断末魔の叫びを聞きながら、紅葉さんは苦笑いと共に額をポリポリと掻き、呟く。その隣を歩く葉月さんも「参加者の方に雑務をこなしてもらうなんて、ちょっと悪い気がします」と、眉をハの字にしていた。
紅葉さんと葉月さんが企画したイベント二日目の内容は“ハイキング”。
風の町の東ポータルから行ける《冷風の抜け道》は、涼しい風が頬をくすぐる心地の良い山道だった。
過去にダリアとレベル上げでお世話になった《温風の抜け道》や、トルダや部長を加え進んだ《灼熱洞窟》などは北のポータルから行ける。
出口が北と東というだけで結構寒暖の差が激しいな――などと思いながら、やや前方をとことこ歩く三姉妹へと視線を移動させた。
『たーのしー!』
『疲れた時は抱っこしてあげるからな。部長も、大丈夫か?』
『へーきへーき』
元気っ子アルデは元々動くのが好きであるし、青吉が入った水槽両手に、チャプチャプ揺らぐ水面に気を配りながらも余裕といった調子でハイキングの感想を口にしている。俺自身、彼女の体力面での心配は殆どしていない。
その少し後ろを歩くダリアは部長のペースに合わせた歩幅を維持しつつ、野花咲く気持ちのいい山道の風景を楽しんでいるのが見て取れる。運動が得意というイメージは無いものの、この娘は苦手な物が無いといった印象だ。現状、心配する必要は無さそうだな。
最後に、ダリアの横を歩いている部長は、短い手足を懸命に動かしながら『よいしょよいしょ』と進んでいる。部長は表情から、そして口調からも感情の変化を読み取るのは難しいものの、疲れたら“疲れたー”、嫌なら“嫌ー”と言ってくれる娘であるため、このサインを見逃さないように気を配ってあげようと思う。
ともあれ、今の所三姉妹は元気に散歩を楽しんでくれているようで一安心できた。
後方を歩くケンヤとクリンさん、そして隣の紅葉さんと葉月さんが加わった会話に、再び参加していく。
「初心者支援ギルド! あたしそういう所に入りたかったのよねー。まだ枠は余ってるの?」
「ああ。一応、トーナメントの宣伝効果もあって、有難くも総プレイヤー数は三桁に届きそうなんだけど、生産職のプレイヤーはまだまだ少ないし、更に古株となれば垂涎ものだな」
ケンヤと紅葉さんは利害が一致し、俺の知らぬ間にギルド加入しそうな流れになっていた。
紅葉さんはSeedのギルド方針に賛同し、ケンヤはサービス開始から今日まで生産活動を行ってきた紅葉さんという人材を欲した……というやり取りがあったのだと推測できる。
ギルド関係の話では、俺が入ったら邪魔になる。視線を移し、葉月さんとクリンさんの会話に聞き耳をたてる。
「け、喧嘩……という喧嘩は見ていないです。ただ仲が悪いだけといいますか。でも、私が二匹を抱き上げても大人しいんです」
「引っ掻きあい、嚙みつきあいの喧嘩は無し。くっ付けてもお互い大人しく抱かれている……なるほど、確かに大ごとでは無さそうですが――」
困った表情で語るクリンさんに、葉月さんが相槌を打ちながら頭の中で情報をまとめているのが分かる。
今の二匹は挨拶の時から全く変化がなく、互いにそっぽを向きながらも大人しい。クリンさんが言うように、激しい嚙みつきあいの喧嘩をするような雰囲気は無い。
ハイキングがスタートしてから約15分。そろそろ山頂に着く頃だと誰がが零す。
歩き出してから今まで、クリンさんは思い当たる何もかもを俺と葉月さんに打ち明けた。現在、話し終えたクリンさんは“もう心当たりがない”といった表情でうつむき気味に黙ってしまっている。
「なんとなくですが、俺は原因が分かったような気がします。葉月さんはどうですか?」
「私も、クリンさん達の状況をおさらいしてみて分かった事があります」
「ほ、本当ですか?!」
パァと、明るい表情になるクリンさんに、葉月さんは「きっと仲良くできますよ」と、その口調に気休めではない確信めいた雰囲気を纏いつつ、笑顔を見せた。
俺の浅い知識で解決の糸口に繋がるのかは分からないが、彼女の話を聞いている間感じていた“引っかかり”の部分を脳内で整理していく。
金太郎丸、ガブ丸、獣型……。
そして、俺が口を開こうとしたのを遮るかのように、葉月さんが行く先を指差しながら「詳しくは頂上に着いたら、ですね」と一言。
つられて見ると、登ってきた山道も終わりにさしかかり、列の先が途切れたように人が見えなくなっていた。
先頭の花蓮さん達は既に頂上に着いたと考えられる。
俺は微笑を貼り付け軽く会釈をし、頂上到着に喜ぶ三姉妹の元へと急いだ。
果たして、どんな景色が待っているのだろう。
*****
風が少し強い。
抱き上げられたダリアの髪が流れるように靡く。
歓喜の声が湧く方へ視線を移してみれば、拵えてある柵から先、眼下に広がる美しい山々と、小さく風の町を見る事ができた。
片道約15分という、山登りにしては易しすぎる所要時間に対し、この標高は少々高すぎるだろうというツッコミを飲み込みつつ、感動する三姉妹と共に再度その景色を堪能する。
青々とした木々は春のそれを連想させ、自然の中に見事に調和する形で建つ風の町が、またなんとも風情ある味を出していた。
もっとも、風の町は放牧された家畜や立ち並ぶ風車、大規模農業や澄んだ湖という、自然と一体となったかのような町であるため、景観を損ねないのは当たり前と言えるだろう。一つ目鬼が居る平原も、魚釣りをした湖も、この高さから見ると、片手で隠れてしまうほどの大きさだ。
ますます所要時間に疑問を覚える所だが、周囲のプレイヤー達の様子を察すれば、そんな野暮な事を口にする人は居ないと言える。
「記念に写真でもどう、ですか?」
三姉妹と一緒になって景色に感動する俺に掛けられる、女性特有の柔らかな声。
振り返ると、そこには笑顔を咲かせる花蓮さんの姿があった。両手を使い、カメラを表すような四角を作ってこちらを覗いている。
「花蓮さん、どうも。雑魚退治お疲れ様でした」
「いえ、可愛い子達の為ならなんでもやり、ます。問題あり、ません」
山を登っている間、俺たちの方へはモンスターが一匹たりとも来なかったのは流石と言わざるをえない。後ろに気を配りつつ、確実に全ての敵を倒していくのは簡単な事ではないだろう。
花蓮さんの頭の上にクルクルッと収まったコーラルが、『昨日ぶりじゃん!』と言っているかのようにこちらへ手を振っている。
「あれ? ヘルヴォル達は何処へ?」
気付くのが遅れたが、何時も花蓮さんの半歩後で護衛を務めるヘルヴォルや一際目立つウルティマ、そして風神雷神の姿も見えない。
俺の問いに対し、花蓮さんは少しだけ困ったような顔を作りながら答えてくれる。
「ヘルヴォルとウルティマはチビちゃん達に大人気のようで今はそちらの相手で離れて、います。風神雷神はいつもの事、なので」
「ああ。なるほど」
整地されたように平らな頂上なので、見渡すとウルティマがすぐに見つかった。
兎のような召喚獣や子どもワニのような召喚獣などなど、ちっちゃい召喚獣達が、まるで母親に乳をもらいに行くかのようにウルティマの周りに集まっていたのだ。
ウルティマからしたら俺たちも“チビちゃん”なのかもしれないが……なるほど、これは振り払えないな。
隣では同じように、子犬や子猫といった可愛い面々を沢山抱えるヘルヴォルの姿もあり、二人とも置物のように動かない。
その光景を、召喚士であろうプレイヤー達がキャーキャー言いながら写真に収めているのが見えた。
そして、風神雷神が何をしに行ったのか、言われずとも分かってしまうのが少し悲しい。彼らもヘルヴォル達同様、他の召喚獣達と健全な交流をしてくれているのだと信じよう。
「では、お願いします」
こんないい景色なかなか見られないだろうから、花蓮さんが言うように、三姉妹との記念写真を何枚か撮るのも良いだろう。
待ってくれていた花蓮さんに声を掛け、三姉妹と自分の顔をくっ付けるようにして笑みを作った。
『ほら、皆も笑って笑って!』
『ぶい』
『はーい』
『青吉も、どーん!』
そして――数十秒の沈黙の後、『満足した』という顔で親指を立てた花蓮さん。
数枚撮ったにしろちょっと長すぎるような気もするが、良い写真が撮れるよう試行錯誤してくれたと考えれば違和感はない。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、いただきます」
若干受け答えが妙ではあるが、即座に送られてきた花蓮さんからのメールに先程撮られた写真が貼られている事に気付き、それに目を落とす。
うん、よく撮れてるね。
それに、皆いい笑顔だ。
渾身の写真だなと満足している間に俺たちを見つけたケンヤ達が集まってきたらしく、花蓮さんとコーラルも混ざるようにして自己紹介から始まる談笑が開始される。
携帯の新しい待ち受けは、これで決定だな。
*****
「俺の感じた事をまとめると、原因は召喚獣の“位”なんじゃないかと思うんです」
「私も、そう思います」
話の内容は即座にクリンさん達の件へと移行し、俺は道中にまとめた結果を口にする。すると葉月さんの方も大体同じような答えに至ったのか、少し目を見開いたようにしてこちらを見た後、語り出した。
動物の世界において、彼らの中に位という物が存在していることは専門知識のない人でも知る人は多いだろう。
位というのは、簡単に言えば人間でいう仕事の役職と同じ意味だと捉えて間違いではない。課長より偉いのが部長、部長より偉いのが社長……のように、動物の世界でも上下関係は存在するという事だ。
ただ、動物の世界では群れの長が絶対的存在であるだとか厳しい決まりがあるらしく、人間のそれとは違い、穏やかに済む問題ではない。
「原因全てを把握できたわけではありませんが、金太郎丸ちゃんがガブ丸ちゃんをけん制している理由は少なくともそれだと思います」
「で、でも具体的にどう対応すればいいか……」
一頻り説明を終えた葉月さんに、クリンさんがすがるようにして解決法を聞きにかかる。俺はそこに待ったを掛けて、隣に立つ花蓮さんへと視線を移した。
「花蓮さん。金太郎丸とガブ丸のいがみ合いを止める方法、聞き出す事は可能ですか?」
「聞き出す?」
なんだそりゃ、とでも言いたげな声色でケンヤが俺の言葉に首を傾げ、すぐさま納得したかのように一人で頷いている。
俺の職業については彼に話しているから、恐らくそこから花蓮さんの職について推測したのだろう。
葉月さんも似たような職であるし、紅葉さんも葉月さんから聞いたりしているのだろう。この場で不思議そうな顔をしているのはクリンさん一人だった。
「いいですよ。というかもう原因ははっきり聞こえて、います」
花蓮さんは「話しても?」と、悩むクリンさんの気持ちを汲んでか早く伝えてあげるため、一同が頷くのを待たずして、まくし立てるように言葉を続ける。
「葉月さんが言うように位が明確化されていない事が問題とも言え、ますが、彼等の言葉から読み取れる根本的な原因は別……」
花蓮さんはそのまま、抱かれているガブ丸の頭に手を当てて彼の言葉を代弁する。
「『クリンに好かれているのは僕の方だ。後か先かなんて関係ない』」
「え……」
続いて、今度は金太郎丸の方へと手を当て、再び代弁する。
「『新入りのくせに生意気言うな。それに、主人は俺の方をいっぱい撫でる』」
「うーん、またなんとも」
途中からニマニマとした顔で代弁する花蓮さん、そして紅葉さんも二匹の主張内容に、たまらずクスクス笑いだした。
困惑するクリンさんを他所に、真面目モードだった葉月さんやケンヤも笑みを浮かべている。
「これからクリンさんがやるべき事は、年長である金太郎丸がガブ丸のお兄さんだよって事を言って聞かせる。加えて、二匹とも平等に好きなんだよって事を伝えてあげましょう」
位を尊重してあげつつ、愛情が偏っていないという事を言葉で・行動で伝えてあげる。
要約すると、こんな感じだろうか。
俺の言葉でやっと安心できたのか、半べそ状態で皆にお礼を言うクリンさん。撫でるように、ケンヤがぽんぽんとクリンさんの頭に手を乗せた。
平等に愛情を与えつつ、位を明確にするという芸当は簡単にこなせないだろう。けれど、解決法を知り……なにより召喚獣の気持ちを知ることができたクリンさんなら、彼等のために何がベストであるか、その答えが分かってくるのではないだろうか。
時間は掛かるかもしれないが、次会った時には彼等が仲良しになっている事に期待しておこう。