第五話
自室のベッドに腰かけるように座り、菊池菜奈は携帯電話を耳に当てる。
携帯電話の受話口から聞こえるその無機質な呼び出し音が菜奈は好きではない。
一回、二回、三回、四回目の途中で目的の相手がでた。
「もしもしーどしたー?菜奈ー?」
間延びした声が受話口から聞こえる。
何度会話しても彼女ーー藤崎まつりの話し方は本当にのんびりとしていると思う。それなのに部活の時はあんなに素早く動けるのは何故だろう、疑問で仕方がない。だが、今はまつりに報告することがあって電話したのだ。彼女の話し方の謎解きの為ではない。
「今日さ!朝比奈君と四人で放課後にお茶してきたよ!」
本当にー!?とまつりの声が大きくなる。
「本当も本当よ!いやー、まつりの言う通り朝比奈君は本当に百人切り達成しているかもしれないね!」
私も少し危なかったよ、と菜奈は笑って付け加える。
「狙って言ってるのか天然で言ってるのか分かんないけど、朝比奈君は相当なジゴロに間違いないね!ポンポンポンポンと口から臭いセリフが飛び出して来て大変だったよ!」
今日のお茶会はとても楽しかった。普段学校では時間が無かったり、他の人の目を憚って話せないようなことも聞けたし、それに、学校では見たことのない表情も見ることができた。
「百人切りってのは大袈裟な表現だと思うけどー朝比奈君の事を好きな女の子は本当に多かったなー」
少し弾んだ声でまつりが言う。その声を聞きふと菜奈は思う。
まつりも彼の事が好きだったんだろうか。
「私は違ったけどねー」
菜奈の心を読んだかのようにまつりはそう続ける。
「三年生の時は同じクラスだったんだけどね、軽いっていうのとは少し違うけど、どんな子にも本気で接してないような感じがしてむしろちょっと怖かったなー。彼女の方が「別れよう」って言ったら「わかった」ってすぐに返しそうな、本当はその子に興味ない、みたいな感じ?」
想像だけどねー、とまつりは笑う。
想像とまつりは言うが、菜奈にもまつりの言わんとしていることがわかった気がした。
例えば明日菜奈が「付き合って」と言ったら彼は「わかった」と言うのではないだろうか。そして、「別れよう」と言ったらやはり「わかった」と。
彼の態度もそうだ。全く本気でないから臭いセリフもキザな行動もできるのだろう。もし、相手に拒絶されたとしても、彼は全く痛くないから。
「朝比奈君って昔なにかあったりしたの?初めて付き合った人にこっぴどく振られたーとか、付き合ってた彼女が転校して離れ離れにーとか……死んじゃったーとかさ?」
さすがにこの話題を楽しそうに話すのは不謹慎だと、菜奈は少し声のトーンを落として尋ねる。
「うーん。朝比奈君の初めて付き合った人については知らないからなんとも言えないけど、少なくともうちの中学じゃ死んじゃった人は居なかったよー。転校した人もそんなに居なかったし、朝比奈君とそんなに関係の深い人じゃ無かったと思うなー」
雑談の中で彼に「好きな人とかいるの?どんな人がタイプ?」と聞いたとき彼は何かを考えるように視線を反らし、その後に「菊池さんも楠木さんもタイプだよ」と答えたのだ。その時は「そういう回答求めてませんからー」と別の話に切り替えてしまったが、あの時、彼にはあの視線の先に誰かが見えていたのではないだろうか。
「うーん、違うかー!なんなんだろー。その辺りだと思ったんだけどなー」
私の乙女センサーも役に当てにならないなー、と菜奈はぼやく。
「あんまり朝比奈君のことばかり考えてると朝比奈君の事を好きになっちゃうかもだよー気を付けなよー」
大丈夫、大丈夫!と笑って菜奈は答える。これは只の興味だ。百人切りとまで言われる男の子の実態を知りたいという、ある種の知的好奇心。
「もし、私が朝比奈君に切り捨てられたらその時は敵を討ってね!」
本気でないから冗談も言える。だから大丈夫だ。
その後少し会話をし、それじゃまたねー!と通話を終え、そのままベッドに倒れるように横になる。
考えるのは朝比奈遥の事。
彼は本当にただ軽いだけなのだろうか、天性の軽さをもったただのヘリウム男なのだろうか。
それとも、何か暗い過去をもつ傷だらけのイケメンなのだろうか。
分からない。彼の事はほとんどなにも知らないから。
でも、大丈夫。私たちは知り合ったばっかりだ。これからたくさん知っていけばいい。
菊池菜奈の夜は過ぎていく。
校門の前、自転車を押している遥を菜奈は見つけた。
後ろから近づく菜奈からは遥の周囲を歩く女子生徒がチラチラと遥を見ているのがよくわかった。朝比奈遥を探す時は女子生徒の視線の中心を探せば良い。そう菜奈は心のノートに書き込む。
「おはよー朝比奈君!」
少し早足で歩き遥の横に並ぶ。
「おはよう菊池さん。朝から元気だねー」
そう遥は挨拶しそして、ふぁ、とあくびを一つする。
朝比奈君はあくびをしていてもイケメン。そう菜奈は心のノートに書き込む。
「どうしたの?寝不足?」
「寝不足ってわけではないけど、自転車直すのに少し早起きしたから眠くって」
朝比奈君は自転車を直せるイケメン。そう菜奈は心のノートに書き込む。
「自転車直せるなんてさすがだねー!なんか朝比奈君ってなんでもできるって感じがすごいするよ!」
そんなことないよ、と遥は笑う。
朝比奈君は謙遜もできるイケメン。そう菜奈は心のノートに書き込む。
「またまたー。なにか苦手なものとかあるのー?」
そうだねー、と遥は一つクッションを置き
「お化けかな」
そう答えた。
「朝比奈君お化け信じてるの?」
意外な答えに菜奈は笑って問いかける。
「ううん。さすがにもう信じてないよ。でも、背後霊とかつきまとう系の幽霊っているでしょ?死んだ後まで誰かに執着するなんてよっぽどの理由あるんだろうけど、された側からしたら良い迷惑でしかないよな、って最近考えることがあってさ」
「確かに。そう考えると怖いね。……でも、それが彼氏とか旦那さんとかならちょっと素敵じゃない?死んでもその人の事を思ってるなんてさ」
菜奈の頭にはろくろのシーンが有名な映画が浮かんでいた。
うらめしやー系の幽霊は嫌だが、ああいうのは素敵だと菜奈は思う。
「そうだね。そうかもしれないね」
遥の表情が硬くなり声のトーンも少し下がっていることに菜奈は気がつく。
朝比奈君はお化けが苦手なイケメン。可愛い。そう菜奈は心のノートに書き込みアンダーラインをひく。
大丈夫、お化けなんかいないよ。