すべての始まり
もしかすると、最悪なタイミングで目覚めてしまったのかもしれない。
真っ白な天井と、こちらを覗き込んで大泣きする夫婦。
夫婦は繰り返し、名前を呼んでいた。
聞いたことのあるような、ないような名前。
「薫ちゃん」
その瞬間、霧のかかっていた脳内が晴れた。
どうやら私は、思い出してしまったようだ。
本来はあるはずの無い……前世の記憶とやらを。
14歳の春、私は交通事故に遭ったらしい。
幸いにも大きな怪我はなかったものの、3日間も意識不明の状態。誰もが最悪な未来を予想していた。しかし、両親の必死な想いに応えるように、私は奇跡的に意識を戻した。
ここまで聞けば、感動的な話だね、と言って貰えることは間違いない。
まさか、意識不明のタイミングで、前世の記憶が戻ってしまいました、なんていう、とんでもない話は信じてもらえないだろう。自分でも頭の整理が追いつかなかったくらいだ。
唯一の救いは、前世でも交通事故に遭って不慮の事故で……ということはなく、前世は前世で人生を謳歌していたことだろう。
戻った記憶では、若くして結婚し、子供二人に恵まれ、孫の顔も見ることが出来て、最期は家族に見守られながら息を引き取っていたくらいだ。とても充実していた。
生まれ変わる、なんて言葉を前世では信じていなかったが、この現実を見る限り生まれ変わりというのは本当にあるらしい。
おかげさまで、事故の後から私は妙に大人しくなったと周りから言われてしまった。そりゃ、一度は生を全うしましたからね。
とは言え、今は「烏野薫」14歳である。元気な女子中学生。勉強も運動もやりたい放題。健康な体って最高。
「人生2回目、強くて最強コンテニューってね」
これを楽しまなくてどうする、なんて勿体ない!
思わず前世のゲームオタク気質が戻ってきてしまったが、それすら楽しかった。
要するに、前世の記憶というものを深く考えず、脳天気に人生を楽しもうとしていた訳である。
だって知らなかったのだ、前世の記憶がいかに重要かということを。
それから時は経ち、私は実に楽しく第二の人生を歩んでいた。
何においても「堪能したい」という気持ちが強かったので、勉強も励み、友達は沢山作り、運動神経も良い……自分で言うのもアレだが、なかなか良い感じで無事に中学を卒業した。
高校は、中学校の先生の助言もあり、この辺りでは有名な「千神学園」に入学させてもらった。全寮制で制服も可愛く、新鮮さを求める私には良い条件だったのだ。
あくまでも、このときまでは。
入学初日、教室内で彼女を見た瞬間に、時間が止まった。
ふんわりとした栗色の髪が白い肌によく映える。横顔でも分かるほどの綺麗な顔立ち。
ふと笑った顔がとても愛らしい彼女こそ……
「小鳥遊、里佳……?」
私の口から零れた名前に、目の前の彼女がこちらに気付く。
まん丸な優しい瞳が、擽ったそうに笑みを作った。
「はじめまして! 私、小鳥遊里佳と言います! 今日から宜しくお願いします!」
元気な凛とした声で名乗った彼女を、私はよく知っていた。
だって、私が前世で全ルート回収をやり遂げた人気恋愛ゲームの主人公だから。
もっと学校の名前を気にするべきだった。どうして大事な進路を先生に託してしまったのか。いや、先生に何の非もない。浮かれていた私が悪い。
前世での趣味はゲーム。ジャンルを言うなら恋愛シミュレーションゲーム。歳をとってからも結構やっていたくらいに好きだった。
そして何よりお気に入りだったゲームのタイトルが「千神学園恋戦記」。こんないかにもな名前の存在を、どうして今まで忘れていたのだろうか。
横目で隣の席に座る少女を見た。
綺麗な茶の瞳に、栗色の柔らかい髪。その整った容姿は同性でも見惚れる程。
前世で娘の顔と同じくらい見ていたから、絶対に間違いない。彼女こそ、例の恋愛ゲームの主人公「小鳥遊里佳」だ。
そこまで分かって、私は衝撃的な事実に気付いてしまった。
私の名前は「烏野薫」。烏みたいに真っ黒な腹の持ち主にはぴったりな名前だ、と言っていたのは前世の自分。
まさかの「千神学園恋戦記」で主人公の邪魔ばかりする悪役少女の名前と同じではないか。
何が人生2回目、強くて最強コンテニューだ。
特殊人生過ぎるし、何ならもう詰みですが。