「悔しい」が起こすstory
彼は負けず嫌いで。
そんでもって私も相当の負けず嫌いで。
だからでしょうか。
私の胴体が、悲鳴を上げています。
男女の力の差、というものは歳を重ねるごとに明確なものへと変わっていきます。そう、丁度今の私と彼のように。
最初は私の方が強かったのです。腕相撲も、喧嘩も、私の方が勝っていました。私は勝利を重ねるごとに優越感に浸っていました。それは、「力」以外では彼に勝るものを、私は何一つ持ってはいなかったからです。彼の悔しそうに歪んだ顔を見て、あぁ、私はこれだけだなあ、と感慨に耽りました。
しかし、神様の悪戯でしょうか。自然のコトワリでしょうね。
皆がそうなる様に、彼もそうなったのでした。
何もしていないのに、彼は強くなりました。
努力も何も、苦労も味わわず、ただ食っては寝る、の繰り返しで彼は私よりも強くなってしまったのです。
それは私達が中学生になった時でした。
男はそうなるもんだ、そう言って彼は笑いました。私を嘲笑っているように思いました。
私は彼が馬鹿にしているのだと思い込んで、その頃から筋トレを始めたのです。
それを知った彼は心底嬉しそうに笑いました。
私はそれどころではありません。
何もかも、失ってしまったのですから。私の唯一の長所を。自尊心もへったくれもありませんでした。彼に負けているすべての要素は、私にとっては短所でしかなかったのです。だから、すべてが短所に変わってしまった今、私は必死でした。
私は自由奔放に生きてきて自然と授かった力に努力で対抗すべく必死でした。努力は報われる、という言葉を鵜呑みにして頑張りました。努力しました。
それでも私は、――――――勝てませんでした。
努力をした分、悔しさは募って涙が溢れました。
この時ばかりは、彼は笑いませんでした。それがよけいのこと惨めさを際立たせて。私は負けず嫌いで。頑張ったけれど、無理でした。
努力で、コトワリをねじ曲げることは不可能でした。
それからの私はひどく面倒くさがる人間になってしまいました。 努力をしない人間になりました。
怠惰な生活は楽で、ぬるま湯に浸かったような心境が私の心を満たしています。
そんな私を見た彼は心底悲しそうに笑いました。
私を嘲笑っているのでしょう。馬鹿にしているのでしょう。
私は悔しくなりませんでした。
あぁ、やっぱり私は変わってしまったのだなあ、と感慨に耽りました。
そんな私が今、怒りに燃えているのですから、人生分かったものではありません。
私の胸中は、「悔しい」の一言で埋め尽くされていました。懐かしい感覚が今の私を奮い立たせていました。
「おまえ、つまんねえよ」
そう言った彼は私をすっぽりと腕の中に入れました。
何事だ、と思いながらも私は、そう、と適当に答えます。
彼は私の胴体に回した腕の力を次第に強めていきました。私の背骨が短い悲鳴をあげそうです。
力を誇示しようったって無駄ですよ、私はもう無気力な人間ですから。私はそう言うように腕をだらんと垂らしたまま、動きませんでした。
彼はさらに力を強めていきました。
「おまえ、つまんねえよ」
何回言う気ですか。私は怒りませんよ。悔しがりませんし。
「つまんねえよ」
彼は執拗に繰り返します。
「つまんねえ」
つまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえつまんねえ!
だから、私は――――――悔しくないって言ってんでしょうが!
何でしょう、この久しぶりな感覚。煮えたぎるような、お腹の中が熱い感覚。
何でしょう。それは、とても胸を騒がせるものでした、けれど、私はそう感じられた自分が嬉しくてたまらなかったのです。
私は彼の胴に腕をまわして、ありったけの力を込めました。ありったけの悔しさとともに。
彼は私のそんな様子を感じて、心底嬉しそうに――――笑いました。
彼は負けず嫌いで。
そんでもって私も相当の負けず嫌いで。
彼は、筋トレを始めた私を見て、焦ったように、その後自分も始めたんだ、と言いました。
嬉しかったんだと、彼は笑いました。
あぁ、彼は私を馬鹿にしていたのではなかったのだなあ、と私は今さらながらに感慨に耽ることになりました。
頑張るお前を見るのが楽しかったんだ。嬉しかったんだ。
と、彼は心底嬉しそうに笑いました。
それは、けして人を嘲笑っているような笑顔ではなかったのです。
あぁ。私、そんなことも分からないほど必死だったのか。
私は何だかおかしくなって笑みを零しました。そして私は、私を取り戻すことが出来たのです。