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最終夜

  月の裏は今宵も見えぬ 最終夜


 雲高く、風心地よく。白と青が混じり合った美しい秋晴れの空。黄色く染まり始めた山や田んぼを通り抜け、検非違使の一行は到着した。黒々とした鎧の列は、居並ぶ郷長たちに不吉を感じさせた。

「この度は遠路はるばる、よくぞお越しになりました」

 恭しく出迎える郡司の歓迎とは対照的に、鎧姿の大男が豪快な笑い声でそれに応えた。

「なんのなんの!今回は普段の遠征よりも大分近場。散歩みたいなものだ!」

 検非違使別当(長官)の高野大国は郡司たちが委縮してしまうほどの大声の持ち主だった。軍務に従事しているとはいえ、これでも正五位下の立派な貴族さまである。道興や『姫』に求婚した貴族たちを見てきた郡司にとって、違和感を覚えるほどだった。

「これほどの軍勢がいらしてくれるとは、恐れ入りました」

「これほどとはいささか狂言だな。しかし50人もいれば、得体のしれぬ物の怪など軽く倒せるだろう」

 どうやら彼は“月の使者”を物の怪と勘違いしているそうだった。(まあ、それでもかまうまい)と郡司は思った。

「ところで、郡司。わざわざ物見台まで作るとは、手の込んでいる事よ。それほど姫が大事か?」

「左様で。親の私でさえ、その美しさに感嘆するほどです」

「見ても良いか?」

 髭を大きく動かしながら大国は尋ねた。郡司は(このお方は本当に貴族か)と訝しがったが、それ以上に戸惑った。

「高野様。さすがに…それは……」

「ハッハッハッハ!冗談。冗談じゃ。帝もまだ拝見なさっていない宝を、臣下が勝手に見ては不敬と言うもの」

 大国の笑い声は続く。

「少しばかり下賤なる兵士どもと関わり過ぎたもので、こういう他の貴族とは違う部分もある。良く冗談を言うものでな。気を付けられい」

 頭を下げつつ郡司は(実はなかなか食えないお方)と思った。今の朝廷の軍事を担うお方だ。中での権力抗争も激しいだろう。

(見た目通り判断しては、事を仕損じるな)

「時に、郡司。あれはなんだ?」

 大国が指を指したのは物見台の天辺、天に向かって伸びる鋭い剣である。

「ああ、あれでございますか。あれはこの地方に伝わる『魔よけ』の一種でございまして、有事の際には物見台の上に青銅の剣を掲げます」

「ほう、それは知らなんだ。それは良いことを聞いたな!蝦夷出兵の折にも用いてみよう」

大国の目が不気味に輝いたのは、見間違いだろうか。郡司は気にしないことにした。

「お役にたてて光栄に存じます。さ、さ、お疲れでございましょう。中でおくつろぎ下さいませ。少しばかりですが、酒なども用意しております」

「おう、これは準備が良いのう」

「姫も顔は出しませぬが、琴を嗜みますゆえ演奏をと」

「都でも評判のあれか!良いのう、良いのう!」

「中へ」

 大国は門を通り抜け、屋敷の中へと入った。その際先ほどからこの屋敷に対して抱いていた疑問の意を強くしてしまう。

(柱についている鉄板も、呪いか?)


 雲が出てきた。黒い影が赤く染まった空をどんどん覆い隠していく。もうすぐ雨が降るに違いない。

(順調だな)

と、道興は思った。今頃、検非違使たちは酒席に興じているだろう。こんな空の変化には気にも止めず。

「そんなに外を眺めていては、誰かに見つかってしまいますよ」

 外を見ていた視線を部屋に戻した。そこには化粧を施した宮子が心配そうに見つめていた。彼女は郡司の計らいで、真っ白な単衣の上に赤い唐衣を羽織っていた。美しいとしか言いようがない。化粧や着替えを終えた後、郡司が「さもありなん」とつぶやいていたのが思い出される。

 宮子が動くたびに、唐衣に描かれた紅葉がゆらゆら動く。道興でさえ話かけられる度に、思わず抱きたくなる衝動を必死に抑えていた。

「兵士は酒をふるまわれ、村人は酒をふるまうのに一生懸命じゃ。屋敷の裏手など誰も見てはいないよ」

 道興がそう言うと、宮子は「そうですか」とにっこり笑った。また心臓が跳ねる。

「…そなたは美しいな」

「まあ!いきなりなんですか?」

 くすくすと宮子は笑った。彼女はいつも朗らかだ。思えば逃亡以来、道興は時々発狂したくなるほど憂鬱になることが多かった。しかし宮子はそんな素振りを一切見せてはいない。いつも笑っていた。涙を見たのは“あの時”だけだろう。

 この時しかあるまい。そう思った道興は一番聞きたくないこと、しかし一番知りたいことを聞いてみた。

「そなたは……私と一緒に過ごして、幸せだったか?」

 道興はぼそぼそと尋ねてみた。正直、怖い。この計画が発覚して死罪に処されるよりもよっぽど怖い。彼は平然とした様子を取り繕う。しかし質問した途端、外に目線をそらさずにはいられなかった。彼女の眼を見ることが出来なかったからだ。

 時間が過ぎる。無言の時間が彼の心につらくのしかかっていく。動悸が激しい。脇の下に汗を感じる。彼女の答えを待つしかない彼は、ただ耐えるしかなかった。

 宮子の声がした。

「道興さま」

 道興は反射的に振り返った。微笑んだ宮子がそこにいた。蝋燭に浮かび上がる紅色の衣。透き通るような白い肌。絵にかいたようなその出で立ちに、道興はぼんやりと(名前をはっきり呼ばれたのはいつ振りであろうか)と考えた。

「道興さま」

 もう一度、宮子は呼んだ。そして、言った。

「私は、この上なく、幸せ者でしたよ」

「宮子…」

 彼は思わず泣きそうになった。信じられなかった。ただただ苦しめているだけだと思っていた最愛の人は、自分を肯定していた。自分を許してくれた! そう思うと彼は鳥肌が立つほど、心が震えてきた。もう平静など保っていなかった。

 確認するように道興は宮子の目の前に坐った。じっと見つめる視線に、彼女は少し恥ずかしげに一度目線をそらす。

「だってそう言うしかございませぬもの」

 彼女は再び彼を見つめ、続けた。

「土にまみれようと、冬の寒さに苦しもうと、あなたが傍にいる。それだけで十分なのですよ」

「…でも…しかし……」

「もっと早く言うべきだったかもしれません。あなたがいつも憂鬱に過ごしている理由、実は薄々気づいていました。でも私は、誰にも苦しめられたことはありません。誰にも恨みを持ったことはありません。もちろん道興さま、あなたにも」

 彼の心では嬉しさと驚きが同時に湧き出した。もうどうしていいか分からなかった。苦しくなるほど胸の拍動が激しくなる。

「だってこの幸せを得られたのですよ。むしろ感謝したいぐらいです」

 宮子は道興の目をじっと見つめた。その目からは暖かさがにじみ出ていた。

「誰がどう思おうとも、私は道興さまの妻で良かった…」

 道興は無意識に宮子を抱いた。宮子も抱き返す。二人はお互いの体温を感じ、お互いの心を通い合わせた。

雨が降り出し始めた空の下、彼らを引き裂くものはこの世のどこにも存在しなかった。


「ひどい雨だ」

 大国は雨を睨んだ。程よく酔った気分がスッと覚めてしまう。夏の湿り気をまだ含んでいる雨は、旅塵で汚れた体に余計な疲れを与えた。大国は困った表情で頭を少し掻いた。

 屋内の方に振り向くと、酒宴はたけなわになっていた。村娘が酌をして回り、村男は新しい肴を空になった椀と交換している。兵士たちは赤ら顔で陽気に騒いでいた。戦に来たとはとても思えない。

「本当に今日なのだろうな!」

 酒のおかげでもっと大きくなった声で尋ねる。その声に、こちらも頬が赤くなった郡司が近寄って答えた。

「はい。その通りで」

 そう言うと郡司は、酒宴の指示に戻っていく。

「この雨で来るのか?」

 降りしきる雨は屋根を伝って、絶え間なく下に落ちてくる。人間ならば、外出を絶対に避けたい天候であろう。大国も

(しかし相手は化け物。何をしでかすか…)

 そう思った彼は、近くの兵士にこれから警備を行う旨を伝える。兵士たちは盃を置き、乱れた着衣を整え、すぐさま鎧を着始めた。彼らの様子がガラッと変わったことに、村の者たちは驚きを隠せずにいた。ただ彼らの邪魔にならない所に、酒やつまみを持ったまま立ち尽くしていた。郡司は驚いた様子で大国に近寄った。

「大国様、こんな雨です。わざわざ出て行かずとも」

「いや、何かあってからでは遅い。この雨では、近くに寄らなければ様子が分からぬ」

 黙々と鎧を着る兵士たちに、先ほどまで酒を運んでいた秀たちは少し恐怖を感じる。誰も文句を言わない。先ほどまで緩みきっていた表情は消え失せていた。村人はこう思った。

(凄まじい)

 郡司や郷長たちは同時に(大国様とはこれほどまでのお方か…!)という思いも抱いていた。命令ひとつで、兵士たちの中身をごっそり入れ替えてしまったようだった。

(すまぬ、道興。後はお主に頼るしかない)

 兵士たちが続々と外に出ていく。“警備につかせない”という作戦が徒労に終わってしまった今、郡司たちにできることは道興と『神』に祈ることだけだった。


 激しくなる雨。風が叫んでいる。木々は地面から千切れるかと思ってしまうほど、左右にしなっていた。豹変した村の姿に、兵士たちは建物から手を離せずにいた。

 大国は一人見張り台にいた。部下に止められたが、無理を通した。敵をいち早く発見したい。ギシギシと音を立てる台の上で、彼は遠くに目を凝らしていた。

 郡司や郷長たちはまだ先ほどの酒宴の場にいた。他の村人は自分の家が心配だからと帰ってしまった。彼らはじっと屋敷の方を見ていた。そして自分たちの運命の行方を見つめていた。

 屋敷の中、道興と宮子は身を寄せ合っていた。雨戸を閉め、蝋燭が灯っている。彼らは轟々と吹き喚く風の中に耳を澄ましていた。突然、蝋燭が消える。二人は互いの手をしっかり握った。


…宵内過ぎて、子の時ばかりに…


 日をまたぐ頃、まだ暗闇に包まれた光景の中


…家の辺り昼の明さにも過ぎて光りわたり…


 突然、雲の中に無数の光の筋が走る


…望月の明さを十あわせたるばかりにて…


 その光は、屋敷の上に集まり


…ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり…


 一つの光になった


…大空より…


 大国は眩しさに目がくらんだ


…人、雲に乗りており来て…


 郡司と郷長は息を飲む


…土より五尺ばかりあがりたるほどに…


 道興と宮子は痛くなるほど抱き合う


…立ちつらねり…


 轟音と共に『神』が、舞い降りた



 …この後のことを作者は知らない。その村がどうなったか、道興たちがどうなったか、それは記録には残ってはいない。その最後には『雲が晴れた後、満月は見事に輝いていた』としか記載されていないのだから。想像するほかない。

 この物語はその後、数多くの改訂を経て『竹取物語』として語り継がれている。それだけを書いて、私は筆を置こう。

                                                   2013年2月10日                                    

お楽しみいただけたでしょうか?

しばらく小説は書きません。ご容赦を。

では、お元気で。

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