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第二夜

大変長らくお待たせしました

 月の裏は今宵も見えぬ 第二夜


「差し出させる、とはどういうことですか?」

 赤と黒に染められた部屋で郷長達は疑問の音を出す。金品を差し出すという状況を彼らは全く理解ができず、その状況を作り出すという考えに関してはまるで異国の言葉を聞いているかのように頭に入りさえしなかった。道興は結論から話し始めた。

「女を使って金をせびります」

「おんな?」

「見目麗しい女の噂を流し、それに惚れ込んだ貴族からの贈り物を得るということです」

そう言われてもピンと来ていなかった。彼らの生活ではありえないことだった。

「都では美しい女には贈り物を送るのですか?」

「ああ、言い忘れていました。求婚のためです。皆さんも好いた女性の気を引こうとしたでしょう」

「そのための贈り物ですか?」

「そうです。それが原因で財産のほとんどを使ったという貴族もいたそうです。つまりたくさんの贈り物を得ることができれば、しばらくはそれで年貢が払えると思います」

 うむ、と腕を組んで考える秀と竹。その一方で信は根本的なことを疑問に思った。

「あのぅ、道興さま…残念ですがここらにはそのように美しい女は居りませんが」

「そうじゃそうじゃ!おい、どうするのだ!?」

 竹の言葉にも動じず、むしろ道興は予想していた流れ通りに話が進むことに満足していた。

「そこが今回のミソです。我々がその女を仕立てます」

「仕立てる?」

「美しい女がいるように“嘘”をつきます」

 その言葉でやっと計画の解釈ができた秀と信は驚愕し、竹は激昂した。

「貴族さまを騙すとはどういうことだ!先ほどの儂の意見と同じようなものではないか!」

「竹、落ち着け」

 どすの利いた声で郡司は押しとどめる。迫力があるその声はまるで盗賊団の親玉のようであった。が、その親玉の掌は汗でぐっしょりと濡れていた。虚勢を張る彼は黙り込んだ子分に向かって言葉を続ける。

「ばれなければ良いのだ。うまくいけば大した苦労もなく大金が手に入る」

「…むう……」

「ばれた時も儂らに責任を押し付ければよい。知らないふりをしたらよいのじゃ」

「…だが……しかし…」

一様に腕を組み眉間をしかめる三人。郡司はさらに言葉を重ね、ついにはなりふり構わず頼み込んだ。

「お前たちの協力が必要だ。な、な!」

 道興は郡司の声がかすかに震えていることに気付いた。決して自信が無いわけではない。しかし元々ちっぽけな地方役人の一人にすぎない彼が負わなければならない首謀者としての責任、貴族に盾つく罪の重さは、彼の心を押しつぶしていた。

(ここでこの3人を説得できなければうまくいくはずがない)

 彼は手の汗、震える膝頭にますます焦って、とうとう彼らの顔を見ることができなくなりうつむいてしまった。道興はすぐさま励ましてやりたくなったが、そんなことをすれば三人を不安がらせるだろう。背筋を伸ばした姿勢を崩すことはできず、彼もまた口を開けなくなった。

 会話が途切れ、誰の影も形を変えない時間が部屋に満ちた。秀と竹は腕を組んで考え込み、信は手を膝に置いてうつむいていた。彼らの答えを待っている間、じっと彼らに祈る郡司の心臓の音は異常とも思えるほど大きく響いていた。この郡司の姿は道興に追放処分が出る前に味わった自分の運命を待つ緊張を思い出させていた。

 囲炉裏にある灰の奥の方で小さくパチッと聞こえる。道興がさすがに火を足そうかと動こうとした時、郷長の一人が口を開いた。信だった。

「協力いたします」

「信!」

 他の二人は驚きを隠せなかったが、信の澄んだ眼はしっかりと顔をあげた郡司の眼を見ていた。郡司も道興も喜ぶよりも彼の眼力に圧倒される感覚を持った。それほど彼の眼には力強さが見えていた。

 信は感動していた。この計画の危険性と利益を天秤にかけて結論を出した訳では無かった。彼は郡司の“頭を下げる”姿に感動したのだった。普段から郡司のことを尊敬していたことも大きかった。

(下賤な我々に対してここまで頼み込んでくれるとは!)

 先ほども言ったが、郡司は不安を悟られたくなかったからうつむいただけであった。怪我の功名になったようだ。人は理性だけの生き物ではない。この感動の前では危険性など毛ほども問題とはならず、先ほどまでの沈黙は単に感動を噛み締めていただけであった。

 信の表情を見て秀は鼻から「ふう」と息を出し、そして返答した。

「私も協力します」

「秀!お主ともあろうものがっ!」

 竹にとって秀は兄貴分であり、自分の指導役でもあった。彼の意見は自分の意見。それでも彼は素直に認められなかった。

「竹、お前も分かっておるだろう。このままでは全員揃って飢え死にじゃ」

「それはそうだが…」

「皆を守るためには悪事でもなんでも働かねばなるまい。こんな状況じゃ。お天道てんと様とて許してくれようて」

 竹は唸り声をあげ、そして道興に向き直る。彼をにらみつつ問いただした。

「道興さま、必ずや成功するのですな」

 ゆっくりしっかりと頷く道興。それを見た竹は郡司に向かって頭を下げた。頷く郡司は溜めていた息をゆっくりはいた。彼は脇も手のひらと同様、ぐっしょりと濡れそぼっていたことにここでようやく気付いた。体中の水分が逃げだしてしまっていた。

「それで、我々はどのようにすればよろしいので?」

「ああ、それは」

 かすれ声の郡司を道興が気づかう。

「私が説明しましょう、郡司様」

「…道興、頼んだ。水を飲んでくる」

 席を立つ郡司。残った四人は囲炉裏端いろりばたの空間に移動し、もっと寄り添った。誰もが寝静まる秋の夜なべ。お天道様も見てはいなかった。しかし月や星はしっかり見、そして見守っていた。


 …帳ちやうの内よりも出さず、いつきかしづき養ふほどに、この児のかたち清けうらなること世になく、家の内は暗き処なく光満ちたり…


 この時代の権力が集中する街、平安京。そこには他の地域とは比較にならないほど人が溢れかえっていた。道は様々な服装で彩られ、砂埃が舞う中で聞き分けられぬほど各地の方言が行き交っている。特に露天商が集まる界隈かいわいではその混雑ぶりは想像に絶するもので、その中で人々は生涯賃金より高い値段の商品からゴミ当然の物まで売り買いしていた。しかしそれは平安京の周辺部の光景であり、中心部は静寂に包まれている。巨大ながらも凹凸なく整備された大路には多くの牛車や徒歩の役人が通行していたがむやみに騒ぐ者はおらず、皆が皆ただひたすらに目的地へ急いでいる。国の中腹は機械仕掛けのように感情を伴わず動いているのであった。静寂な中央部と騒々しい周辺部。この正反対の光景は、まるで一つの都市内に全く異なる二つの町が存在するように見えた。

 とは言うものの、この町の人口は周辺部に偏りが過ぎている。ヒエラルヒーの天辺に位置する貴族の数は、ピラミッドの頂点の面積と同様にその数は少ない。その人口の多くはピラミッドを支える人々、つまり貴族に使える従者や、貴族の物欲を満たすために存在する商人や職人、さらにその下で働く労働者で構成されていた。もちろん彼らは善意で支えている訳では無い。古来より権力とは財力を有するもの。平安京とはこの時代の富が集中する場所でもあった。当然のことながらその富に群がる蟻は多く、その蟻は商人や従者、はたまた陰陽師や僧侶に姿を変えてせっせと自己の巣穴へ財産を運んでいる。ここまでは今日と同じであろう。

 だが、労働者については今日とは大分異なる形態をしていた。この時代の労働者の大半は「雑徭ぞうよう」と呼ばれた人頭税の一種である強制労働に従事させられていた。彼らには勤労の楽しみなど与えられてはいない。ただこき使われ、黙々と働くだけだ。大半は。

 一部の労働者はそうではない。上級労働者とでも言うのだろうか、特別な技術を持つ者もいる。職人である。彼らが作り上げたものを素人が作り上げることはまず不可能だ。洗練されたその手さばきから生み出されるものは見る者を感動させ、どうしてこの材料からこれが作り出されるのだろうかと不思議がらせる。そしてその中でも傑作と言われるものは、千年経とうと傑作であり続ける力を持つ。そしてその職人自体が国宝ともなる。日本の貴族階層はどの時代にもこ職人の技術を身に着けようとしたと伝えられる。

 以前こんな話を聞いた。日本以外の国々では「職人」は尊敬の対象とはならないそうだ。特に欧米では低所得者階級の代表として挙げられ、「ブルーカラー」と混同されているという。上流階層が汗水たらして働くなどもっての外であった。だが、日本人の感覚がおかしい訳では無い。そもそも「職人」と「ブルーカラー」は異なる。これは私見だが、「職人」と言う言葉には「ブルーカラー」という意味と同時に「アーティスト」という言葉も含むように思う。つまり日本人にとって職人が持つ技術力は芸術力の高さを示すと推論する。大工も下駄職人も料理人も芸術家の一人なのだ。だから「職人」とは敬意を集める言葉であり存在になり得るのだろう。

 歴史的理由も存在するかもしれない。元来、日本は異国の文化を吸収することで発展してきた。昔の日本人にとって異国とは理想であり、未来であり、憧れの存在であった。なぜなら未開の土地であった日本には何もなかったからだ。先ほどまで言っていた職人と呼べる人々さえ全く居なかった。そのため奈良時代以前の大和朝廷はわざわざ大陸から職人を連れてきて、「品部しなべ」という技術集団を編成する努力さえした。つまり古代の職人とは「中国の知識を持った」人を示し、要するに憧れの存在であった。その伝統が日本文化に根付いたのかもしれない。

 今、私が描いている平安時代初期だと中国=唐と言うことになる。この時代でも職人が少ないという状況に変わりはない。職人が育つ土壌がない、言い換えればバックアップしてくれるスポンサーが少なかったのが原因だ。商人と言っても露天商しかおらず、巨利を獲得できる遠距離輸送はまだ確立してはいなかった。このころの資産家と言えるのは上流貴族か大寺院ぐらいであった。人口に置き換えると0.1%もいなかったのではないか。彼ら資産家は自前の技術集団を雇っていたという。その中には元品部出身の者もいたし、新たに大陸から来た者もいた。

 長い話になってしまったが、この建築現場にいる大工達は労働者の中でも上級と言える。指導はその技術集団が担っていたが、その他の大工は全て近隣から呼び寄せた者たちであった。彼らの多くは品部が移住した村出身の者たちであり、彼らは一様に高い技術力を持ち、そのためこのような建設では重宝され使われる。その連携を必要とする仕事内容からか、異なる村から来たにもかかわらず関係は良好で、休憩時間には現場で共に食事する仲であった。木材置き場で弁当を食べた後は、食休みに一人ずつ持ち寄った話題を披露することも習慣となっていた。

「だからよう、俺はその女に言ってやったんだ。『お前からは馬糞の匂いがするぜ』ってな」

「振られたくせに何言ってやがる」

 笑い声が立ち込める。男しかいない場所で盛り上がるネタとは、大抵女の話である。彼らにとって都に出入り楽しみの一つと言えば、村にはいない遊女を抱けることである。雑徭ぞうようとしての30日間の労働期間を越えた労働を強いられる彼らには少量だが給料が出る。その多くは遊郭へと消えていくのだ。そのため女の話題には事欠かない。

「この前抱いた女はひどかったなあ。真っ暗闇で抱いたんだがどうも変でな。臭いし。それで事が済んだ後に窓を開けて月明かりの下で見たんだが、なんとまあヒゲが生えていたんだよ!」

「おいおい、嘘だろ、そりゃ」

「本当なんだよ!女が必死に窓を開けまいとしていたから何かあるとは思ったが…。しかも肌が真っ黒でな。よくよく見ると垢まみれだったんだよ」

「そりゃ臭いわけだ」

「それから三日もその匂いが俺の体から取れなくてな。はずれもはずれ、大はずれさ!」

 げらげらと男達の口から音が漏れる。下品な話題が続く中、また一人話題に加わってくる者がいた。

「よう、お前も来たのか」

「何の話をしてたんだい?」

 仲間が開けたスペースにその男が座り込む。ニタニタしているその顔には、話題が何かだいたい予想はついているようだ。

「こいつがはずれを引いた話さ」

「お前、この前もひどい目にあったって言っていたじゃないか」

「それは別の話だよ……俺の話は終わりだ終わり!さあ、次は今来たお前の番だぞ」

「変なことでも思い出したか?」

うるせぇと答える男。そんな状況をまた笑う。騒がしいいつもの光景である。そんな様子であったからであろうか、話す順番となった男の顔つきが少し変わったことに気付く人はいなかった。

「じゃあ俺は当たりの女の話を」

ずるいぞと言う先ほどの男の様子にまた笑い声が上がった。

「へえ、そんな良い女を抱いたのか」

「いや、そうじゃないんだが。実は隣村の話なんだが」

なんだよ、違うのかよと文句を言う聴衆だが、気にせずその男は話を続けた。

「郡司様の家に都でもそうは見かけないほどのきれいな女子が居るっていう噂が急に広まってな」

「見たのか」

「俺は見てないんだが、うちの郷長が家に上がった時に見たって話しでな。この世の人とは思えないほど美しいって言ってたぜ。それから何人か様子を見に行ったら中から楽器のいい音色が聞こえてくるってよ。まったく、貧乏郡司さまのどこにそんな貴族のおもちゃを買える金があったのやら」

 一人の男がため息交じりにもらす。

「郡司さまの娘か。それじゃあいくらベッピンでも手の出しようがねえ。どうせそこら辺の小役人の妾になって終いさ」

「ところがどっこい、そうじゃないんだよ」

えっと驚きの声が上がる。寝っ転がって聞いていた人も起き上がり注目して聞き出した。

「どういうことだい?」

「国司さまやら何人がその女子を手紙で呼びつけたら歌が書いてある紙が返ってきたそうでな」

「聞いたことがあるな。貴族さまっていうのは歌のやり取りで女の気を引くんだってな」

「そうよ。しかしまあ、その歌が見事でな。小役人には理解ができない代物しろもので、返事のしようが無い。そのまま泣く泣くあきらめるってことよ」

搾取されている民衆にとって支配階層が無残に失敗することほど面白いことはない。国司たちの失敗を聞いた大工たちからは歓声と嘲笑ちょうしょうがこぼれ出た。

「そりゃあ、すごい女だ。それからどうなったんだ?」

「最近では御簾が付いた牛車まで村に来るようになったそうだ。多分そうとう身分の高い貴族様の使者に違いないぜ」

と、ここまで話したところで周りが騒々しくなり始めた。休憩時間は終わりのようだ。名残惜しくも大工たちは自分の持ち場へと戻っていく。話終わった男もゆっくりと立ち上がり、仕事場へ戻り始めた。軽く背伸びをしつつ歩く彼は、慣れない仕事をこなした満足感と疲労を味わっていた。

急ピッチで最後まで仕上げます。

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