006 結成初日
「親父、生ハムメロンパンを一つ」
その日の夜、カガシは一人で本部下層に位置する商店へと訪れていた。流通を主な仕事とするギルド『マーケットスクエア』が本部内で営業している店舗であり、カガシはよく世話になっている。一室を改造して作られたスペースに置かれた商品棚には、「闇鍋セット」などの変わり種商品がところせましと陳列されていた。
「毎度あり! それにしても久しぶりだのぉ、お前さん」
ギルド内でも数少ない、カガシと親交がある店主が威勢よく答えた。
「ああ、大仕事が入ってな。ようやくここの飯が食えるよ」
「そりゃあ嬉しいが、あんまり無茶はしちゃいけねぇぞ。身体あっての仕事だ」
カガシはいつものお節介に軽く返事し、手にした妙なパンを頬張った。甘いメロンと、塩気の強い肉の重なった香りが辺りに漂う。
アリゼの待っている部屋に戻ろうと店舗を後にすると、背後からこちらに駆け寄ってくる足音に気が付いた。何となく第六感が警鐘を鳴らしている気がしてならない。気付いていない振りを装い、構わず歩きだす。
「よっ、カガシ! 気付いてること解ってるぜ」
前触れもなく肩を組んでくる足音の主。夜にこの男と関わると耳が痛い。
「何だよ相変わらず無愛想だな~。このミスター・クールめ! ん、何食ってんの? オレにも一口頂戴!」
男は許可も取らず、カガシの持つ生ハムメロンにかぶりつく。彼の名はノア・ユンゲルス。旅の傭兵を仕事とするギルド『ソリッド・ガード』の一員だ。そのため腕はあるのだが、仕事に向いていないような無駄に明るい性格をしている。ブロンドで長髪、少し派手な赤い服装に身を包んでいる。年齢はカガシとそう変わらない。
「相変わらずお前は騒がしいな……」
いかにも息の合わなそうな二人だが、ノアもまた店主と同じく親交がある一人だ。最初に関わってきた方がどちらであるかは言うまでもない。
「あら、食べかけだった? もしや間接キス? キャー」
カガシのゲンナリ顔など構いもせず、ノアは一方的に他愛のないことを喋っていた。騒がし過ぎるくらいではあるが、カガシはノアの隣に居ても不思議と飽きることがない。そこが彼の長所でもあり、短所とも言える。
部屋に入れば解放サレルダロウト、カガシは歩みだけは止めずに進む。情操の部屋に辿り着き、取っ手に手を伸ばす。
ところが扉を引く寸前に向こう側から押され、二人の前にアリゼが姿を現した。コートを羽織っていたのはカガシなので、顔は一目で解ってしまう。唯一の救いは、煌位はあまり顔を出さないために知名度が高い訳ではないことだ。
「またお前は、面倒なタイミングに……」
隔てていたものがなくなり、アリゼは言葉の意味が解らず首を傾げる。
「ほほぅ、何だよカガシ君! お家には帰らず、こんな可愛い子と同居中なの?」
「これも仕事だ。ほら、もう行けよ」
「さすが“蟻塚”、中には夢のような仕事があるんだねぇ。出来ることなら紹介してよ」
蟻塚、ギルド本部の外観と加盟者を働き蟻に例えた俗語だ。ノアは最後までからかっていたが、アリゼは当惑した面持ちで疑問符を浮かべていた。ノアは肩から手を離すと、「お幸せに~」と言いながら手を振り、去って行った。
晴れて自由の身となったカガシは残りのパンを口に押し込み、休むことなくアリゼを部屋の外に連れ出した。納得のいかないアリゼは、今のは誰で、どうして面倒などと言われなければならないのかを散々問いただす。カガシはノアのことは伝え、面倒発言の件はうやむやにして切り抜けておいた。
夜だというのに昼とさして変わらず、忙しなく行き交うギルドの人々。通路と部屋は壁沿いに造られ、二人は霊気使いのエネルギー供給で稼働する狭いエレベーターに乗り込む。上下の移動はこれしかない。
一階に着いた時にはまだアリゼの気は晴れていなかったが、依頼の集まる掲示板の前に群がる人だかりを見て話題がすり替わった。
「依頼、受けるんですね?」
「ここで生きていくためだ。とは言っても、まずは簡単なものから始める」
カガシは複数並ぶ掲示板の中で、最も人だかりの少なそうな場所を遠目から眺める。視線は素早く左右に動き、慣れた要領で取捨選択していく。ある一点に定まると凝視し、他の依頼用紙に埋もれた依頼を指差した。
「アレなら楽そうだ。何より近い」
アリゼが背伸びをしてその依頼を探している間に、カガシは黙って人だかりに潜り込んでいた。僅かな隙間を縫って出てきた彼の手には一枚の紙が握られている。アリゼは下手な字で書かれた依頼内容を覗き込んだ。
『依頼:霊気研究の手伝い
条件:霊気使い最低一人
場所:オフィール』
文字だけ見ればかなり頭の悪そうな印象を与えるが、依頼内容がその先入観を覆している。細かい内容に触れられていないものの、実際に研究をするのは依頼者だ。特に問題はない。
「霊気使いが要るんなら、俺達が行けば研究も捗るだろ」
カガシの言わんとしていることが、アリゼには理解できた。
霊気というのはそもそも、遺伝により受け継ぐ一種類しか人には扱えない。火・水・風・電・地、全ての属性に変化する霊気も存在しないことはない。それこそ、ウィジャ教の信仰する『ウィシャ』の正体なのである。万物の源という点から、この星、エリュシオンそのものであるとも言われる。信仰対称となる由縁だ。
この素養を持って生まれてくる人間は極稀で、煌位の主な選考基準となっている。アリゼは全ての属性を有する、この上ない研究対象となるだろう。
「オフィールはアーモロートの西に位置する国境付近の街だ。エルドラド領だから国境越えをするが、一見の価値ある街だな」
「本で読んだことがあります! 確か、別名は空中都市……」
これまでは本でしか知り得なかったことを、今では実際に自分の目で見て回ることができる。アリゼは高揚していた。先程までの彼女は何処へやら。
「浮遊には風の霊気が作用しているそうですよ。街を持ち上げる程の力なんて、夢のようですね!」
カガシは行ったことがあるが、それを改めて言ったところでどうにもならない。今、アリゼの興奮をわざわざ冷ますのは無粋だと感じた。
行くと決まれば早速明日にでも出発することになった。部屋に戻った頃には、月明かりの他は漆黒の闇に包まれていた。就寝の際はベッドが一つしかないため、アリゼはどう対応すべきか迷っていた。
「お前が使え」
感づいたカガシは心地の良い寝床を譲る。
「でもカガシは……」
「気にするな。俺は構わない」
カガシは諸刃を傍に置き、窓のある壁を背にして床に直接座り込んだ。アリゼは申し訳なさそうにしていたが、既に目を閉じて応じてくれそうにないカガシを見て優しさに甘えることにした。たったの二日ぶりだというのに、柔らかな感触が懐かしい。
反応を期待してはいなかったが、アリゼは目を閉じる前に一言だけ添えてみた。
「あの……初依頼、頑張りましょう」
カガシは無言のまま拳を掲げた。