005 本拠地アーモロート
カガシとアリゼがボトムバレーを南下する数時間前、シャングリラ。前代未聞の騒動で教団が混乱に陥っている最中、一人だけ教会内の大理石に寄りかかって辺りを見回す男がいた。
まず目を引くのは、左が群青、右が紅というオッドアイであることだ。男性にしては少し長めの髪は雪ような銀色で、無気力な眼を半分くらいは覆い隠している。和服に似た紺色の格好をしており、この場にはいささか不釣り合いだ。何か人を近づかせない、霊気とは異なるオーラを放っているようであった。
「カガシの奴、らしくないじゃないか」
彼は慌てふためく多くの人間を観察しながら、この状況を楽しんでいるかのように笑みを浮かべた。誤算どころか大誤算。いくら暗殺者といえども、たった一人で煌位のところまで辿り着けるはずはない。そこまで騎士団も落ちぶれてはいないだろう。
この男が裏でアシストしていなければ、カガシは煌位に出会ってさえいない。事前に別の騒動を引き起こし、騎士の数を大分減らすことができた。そこまでして、カガシは任務を放棄しアリゼを殺害しなかった。まして誘拐まで行ったことが、彼のアシストだけでなく予想まで裏切ったのだ。
衝動的な行動だとしたらカガシらしくない。だがそれが面白かった。許す、許さないの問題よりも、これからの二人の行動に興味が湧く。
一度、ギルドに戻った方が良さそうだ。彼は混乱のどさくさに紛れ、教会を後にした。
◆◇◆◇◆◇
「到着だ。ギルドの本拠地、アーモロート」
カガシとアリゼは谷を抜け、高い塔のある活気あふれた街に着いた。あの塔こそギルド本部である。歴史はまだ深くはないものの、シャングリラへの莫大な献金によりシャンバラ領内に置かれ、唯一の国家「エルドラド」とシャンバラ双方から寄せられる依頼を請け負っている。一般人からの指示は厚いが、中には法に抵触する依頼を請け負うギルドも存在し、お尋ね者になっている者もいる。例えば――カガシのような。
本部までのメインストリートにも商店が左右に軒を連ねている。いわば経済の中心地だ。本部はギルド加盟者の生活の場としても機能している為、人口はウィジャ教総本山であるシャングリラにも劣らないと言われる。
煌位はあまり人前に出てこないのだが、アリゼは念のためカガシの上着を着てフードを被っていた。攻め寄ってくる店への勧誘を断りながら、二人は本部の塔に直行した。何故かカガシまでも周囲を気にしていて、あまり人目に付きたくはないようであった。
本部の真下に辿り着いた。横にも縦にも長い塔を見上げつつ、入口まで続く大きな階段を上った。往来する人々は、ほとんどがギルド関係者だと思われる。早足で開かれたままの扉をくぐると、塔のほぼ全容が一目で把握することができた。
一階から最上階までが吹き抜けになっている。階数は数えきれないが、各階を大量の人間が往来しているのが見えた。一階から伸びた巨大な支柱は天井まで続いており、全てが大迫力である。カガシは特に驚くこともないが、アリゼにとっては初めての環境だ。初見の衝撃は相当のものだったらしい。
「ふわぁ……カガシ、見てください! 上が全部見えます!」
「俺はここのモンだ。この景色は見飽きたな」
「あっ、そうでした。でも、毎日こんなところで生活しているんですよね!」
アリゼは目を輝かせて辺りをくまなく見渡していた。おそらく、ここへ来た理由が解っていないようだ。
「言っとくが、今日からお前もここで暮らすんだよ。身を隠すには持って来いだ」
「え!? それでアーモロートに向かったんですか? 登録の時にバレてしまうんじゃ……」
「アホか、偽名に決まってるだろ。馬鹿正直に登録してどうする」
アリゼの手を引き、入口の向かいにある受付に連れていく。右側にはギルドを指定しない依頼を集め公開したボードがあるが、今はこれには目もくれない。察したのか、担当の女性はすかさず登録書を用意した。
「登録の場合は、こちらの契約書にお名前をお願いします。既存のギルドに加盟される場合はこちらの用紙です」
カガシに指示され、新規登録用紙を受け取った。契約書には『職業がある場合は離職して頂くことになります』とある。アリゼは心配そうにカガシへ視線を向け、助けを求めた。
「職業を聞かれることはないが、遊びで加盟されちゃ迷惑だからな。その対策として離職する必要がある。……迷っている場合か?」
「そ、そうですよね。煌位を職業と言うのかどうか考えてしまいました」
「エリーゼ」という若干似た偽名を使い、ようやく登録を済ませた。当然だが、一人暮らし専用の持ち部屋を紹介された。かなり上の方だ。おそらく下の階は埋まっているのだろう。カガシはとりあえず安心した。
空き部屋に入ると、やはり二人では多少の息苦しさが感じられた。登録上、カガシとアリゼは別のギルドなのだから仕方ない。ベッド、机、椅子が一つずつ。家具はそれを顕著に表している。
窓からは遠くにシャングリラが見える。それ程に高い位置にあるようだ。カガシはベッドに腰を降ろし、この数日に溜まった疲労をやっと少し回復した。欠伸の後、唐突にアリゼが問いかける。
「カガシにはカガシのギルドがあるんですよね。そこに戻らなくていいんですか?」
「それは……お前が気にするな。ただ、一つ気をつけてくれ」
カガシの表情は妙に真剣であった。アリゼにはここに来てからの彼の様子が謎のままだ。
「LOG(ログ)の人間にはなるべく会わないようにしてくれ。ランパート・オブ・ギルド、本部の防衛を主な仕事とする最大のギルドだ」
「私は、どれがそのLOGの人なのか知りませんよ」
「そう、だよな。えっと……」
その時、塔の全体から轟音が鳴り響いた。全て人の声によるものだ。カガシは一つしかない窓を開け、アーモロートの街を見下ろした。
「例えば、あれだ。見てみろ」
アリゼが急いで顔を出すと、街の入口に暴れ狂うイノシシが見えた。人よりも大きな体格を誇り、目の前の男性に狙いを定めている。近隣の山から下りてきてしまったのかもしれない。最も危険な位置に立つその男性は、黒と赤の服を身に纏い、鎧さえ装着していない。ただ一つ、右手に変わった形の大剣を握りしめていた。
「デュオン・ローレンツ。LOGの頭であり、ギルド全体の統括者と言っていいだろうな」
アリゼは慌てるというよりも、声が出せないで見とれているようであった。デュオンは大声援を背に、片手で大剣を構えた。巨大イノシシは走り出す。
デュオンは衝突の直前で右に体を反らし、イノシシの体に横一線の切り傷を付けた。深く抉られ、イノシシは走りながら無残に転がった。声援に応えるでもなく、当然のことのようにデュオンは本部へと戻ってくる。彼には人を魅了するオーラを放っているようであった。
カガシの注意に疑問を抱えつつも、アリゼは真剣な表情のために再び聞き直すことができずに黙って頷いた。