002 新たな雇い主
彼の問いの裏には何処か確信が滲んでいた。それはあらかじめ重ねられた下準備によるもの。巡礼者の振りをして何度もここに足を運んでいる。
彼の苦労を知る由もない、アリゼと呼ばれた少女は小さく頷く。
青年はククリに似た剣を左手棹から引き抜いた。危険信号である銀の輝きは、アリゼの予想を現実に変える。
迫り来る命の期限。一対一では逃れ様がない。状況を一転させる方法は、他に残されていないと彼女は思った。目を閉じて集中し、口を開く。すると靄のような物質が口や鼻の穴から放出され、人間のような姿に形作っていく。アリゼは目を開き、青年との間に出現した何かを立たせた。
「へぇ、それが守護霊って奴か」
青年は扉から数歩近づいていたが動きを止めた。アリゼは冷や汗をかきながら後ずさりしながら問い返す。
「ルダの刺客ですか? それとも誰か他の……?」
「ルダ? 知らねぇな。俺は……カガシ、でいいか」
「『彼氏』、匿名ですか。それなら、貴方は?」
「アンタの暗殺が俺の仕事だ。以来主も名は明かせない。仕事上の規則なんでね」
カガシと自称した青年は、間に立つ守護霊を蔑にしてアリゼに躊躇いもなく再び近づいていく。アリゼはついたじろいてしまい、守護霊は身構える。カガシには行動の一つ一つに迷いが見られない。そんな相手がこの隙を見逃す筈がある訳もなく、剣との距離は更に縮まる。
「霊気を身を守る手段として使ったことがないんだろ」
図星だった。守護霊もそこから動くことなく、距離を一歩ずつ縮めさせてしまっている。
カガシは走って距離を詰めてきた。守護霊を横切り、剣はすぐ傍。アリゼは自然と目を閉じていた。鼓動が最後の仕事を果たそうと早鐘を打つ。
(斬られる・・・・・・!)
そう悟った時、咄嗟に言葉が口をついて出てきた。
「貴方を、雇いますッ!」
人を殺める寸前のカガシは、唐突に金縛りを受けたかの様に停止した。静寂が訪れる。暗殺者とは目と鼻の先で、アリゼは慎重に目を開ける。
「フッ」
カガシの様子がおかしい。殺意が完全に消えている。振りかざされた剣は血に濡れる事なく引いていった。
「ハッハハハハハ!」
暗殺者は腹を押さえて笑い始めた。先ほど感じた心の動揺によるものだろうか。アリゼは特に考えもしないで、というよりも考える間もなく発した言葉だ。当惑したが呼吸が再開する。
「いやぁ悪い悪い。面白い、気に入った」
守護霊は二人の間に割り込んで守ったものの、カガシは手を差しのべてきた。事態の急激過ぎる変化に頭の処理が追い付かない。二人の温度差は顕著に行動へと現れていた。
「雇われた殺し屋を雇い返すとはな。その言葉、本気なら守護霊を消せ」
アリゼは警戒しつつも守護霊を消してみる。口や鼻から出ていた靄も薄くなった。カガシは柔らかい表情のまま、むしろ剣を棹に収めていた。
アリゼは必死で考えた。このまま姿の見えない誰かに命を狙われ続けるなら、或いは。本当に成功するとは思いもしなかったが、これは新たな世界へ飛び出す絶好の機会なのかもしれない。彼女は決心を固めた。
「契約するなら手を取れ。その瞬間から俺はお前の盾となる」
「勿論、完全には信じてはいません。でも」
アリゼはカガシの手を握る。緊張で汗ばんだ感触がカガシの乾いた手に伝わった。
「私はまだ生きたいから」
「契約成立。以来内容は一名の――警護か。アンタに何があったか知らないが、安心しな」
アリゼは首を縦に振る。後には戻れない。どんな生活になってしまうか想像もできない。それでも彼女は望んだのだ。緊張の波が押し寄せる。
その時、古い扉を乱暴に叩く音が部屋の外側から響いた。二人の視線もそちらを向く。鳴り止んだかと思うと、カガシにとっては聞いたばかりの声がする。階段で追ってきた隊長らしき騎士だと思われる。。
「アリゼ様、ご無事でありましょうか。アリゼ様ー!」
「ハイマン?」
気絶した騎士団員を押しのけてようやく辿り着いたのだろう。足音は多い。アリゼに名を知られているのなら、やはりそれなりの階級だと推測できる。
「煌位は無事だ。安心しろって」
カガシが声に出した。この返答にハイマンは最悪を予感したのか、突進で扉を破壊して部屋に入り込んだ。が、扉の鍵は開けられていた。
「これでもう戻れない。ほら、行くぞ」
意図的に発した様だが、疑問は残る。カガシは掴んだままのアリゼの手を引っ張って窓際に立った。一般の騎士も部屋になだれ込む。
「行くって、何処からですか!?」
カガシは答えずアリゼを無理矢理に抱えた。そして耳元で囁く。
「お前もネクロマンサーなら霊気の力を貸せよ」
するとカガシは窓を突き破り、地上数十メートルの高さに飛び出した。重力に従い落下する二人。アリゼの頭は真っ白になり、右手はカガシのコートを必死に握っていた。突然の行動に息ができず、下はこの建造物の図書館と思われる屋根がある。
落下の少し前にやっと理屈の解ったアリゼの頭に色が戻り、目を閉じて守護霊を生みだす。
『無茶をする……!』
女性のような声を出し、守護霊は風の霊気を屋根に放つ。墜落の衝撃を弱め、それでも強い衝撃を与えられた。
なんとか無事、怪我はない。怯むアリゼを立たせ、カガシはこの建造物、教会を見上げる。街と同じく白で統一された美しい外観は、カガシには馴染めなかった。遥か上空で窓から下を見るハイマンの姿がある。
「すぐに追ってきそうだ。シャングリラから出るぞ」
「は、はいっ」
同じ要領で地上に降りると、二人は街の中に紛れて消えていった。