後日談〜愛は連鎖する(2)
〜真紀サイド
彼の部屋はやはり本で一杯だった。圧倒的に時代小説が多く、その他に現代小説や詩、短歌・俳句集、翻訳物はトルストイからミステリーまで、ジャーナリズム、コミック、絵本、モダンアートの画集、写真集。
「すごい。文豪の本棚みたい」
「親父のものもあるけど」
「同じ趣味っていいよね」
古い書籍のビロードのような背表紙を撫でた。
「おかげでちょっと物言いが親父くさいって言われる」
わかる!思わず手を叩いた。
「そういえば周平君、私のことおかっぱって言うよね」
「それ、美砂にも言われた。だっておかっぱじゃないか、他になんて言うんだ?」
そう言って私の髪に自分の指を通した。彼の指が地肌を滑っただけで首筋に電気が走ったみたいになる。思わず肩をすくめた。
クローゼットを開けて、シャツやネクタイ、スーツを取出し、鏡に映してコーディネートを確認している。ジャケットのかかったハンガーを顎ではさみ、後ろから抱きしめるようにシャツとネクタイを当てて。いつもそうやって仕度してるんだ。初めて見る男っぽい仕草に見惚れてしまう。
「ん?」
彼がこっちを向いて微笑む。その笑顔が甘くてまた心拍数が上がる。
「これでよし、と」
鞄にノートパソコンを入れ、スーツバッグを机の上に置く。
「後は・・・」
突然ぐいっと引っ張られたと思うとベッドにどさっと倒された。
「少しだけ」
両手を顔の横でぎゅっと握りしめられて、口付けが落ちてくる。彼がいつも寝ているベッドから濃厚な彼の匂いがして、体温や身体の重みと一緒に、五感全てに彼が入ってくる。ああ、溺れるよ、息もつけない。さっき、私の部屋でベッドに倒れ込んだ時、大きな吐息を付いた彼を思い出す。彼も同じ気持ちだったのだろうか。
「やべ」
彼が小さく呟いて、身体を起こした。顔は赤く目は潤み、髪は乱れて・・・震えるほど色っぽい。
「そんな目で見るな」
たしなめるように言うけれど、怒っている訳ではないのは分かる。
「部屋、出られなくなる」
彼は乱れた髪を手櫛で整えるとスーツバッグと鞄を持った。
「ほら」
私を片手で引っ張って立たせ、同じように髪を直してくれる。仕上げに頬にキスひとつ。まだ信じられない。私が好きでたまらないこの人が、私を愛している、なんて。
ひきとめるお母さんをたしなめていた彼は、忘れ物をしたと又部屋に戻る。私は懲りずにブーツを履いてきたので、又脱ぐわけにも行かず、玄関でお母さんと二人きりになった。
「・・・入社した頃ね」
お母さんが口を開いた。
「相当忙しかったでしょう、泊まりもしょっちゅうで。だんだんやつれて寡黙になっちゃうし、一人っ子だし元々は身体も弱かったからついつい心配になってね」
そうだった。何でも半端なことを嫌う彼は、誰より遅くまで残って働いていた。皆消耗していたけど、特に彼は見るからに痩せて、痛々しい位だった。
「そんな時ね、うちで炊き込みご飯を出したらね、『これ、作るの、手間なんだろな』って言うのよ。私がいつも大変だってこぼすから、労ってくれてるのかな、って思ったら」
ふふっ、とお母さんは笑った。
「『こないだ真紀が作ってきてくれたんだよ。朝早いのにさ、あれ炊きたてだったと思う。女ってのは自分が大変でもそういうこと出来んだよな。すごいよな』って」
真紀は胸が熱くなった。「おにぎりもらった頃から、実はもう捕まってた。」あの台詞は本当だったんだ。
「それからよ、真紀、真紀ってあなたの名前がよく話に出るようになって。部署が変わってからはまた仕事の鬼になって心配だったけれど」
お母さんはふっと笑った。
「・・・良かったわ。あの子は昔から執着心が強いの。貴方にふられたら多分廃人同然よ」
優しい表情に胸が詰まる。どうしてそんなに良くしてくれるのだろう。愛する大事な一人息子をこんな見ず知らずの私に取られても良いのだろうか。
「・・・相思相愛って奇跡みたいよね」
臆せずロマンティックなことを言って微笑む。そういえば周平君はよくお母さんのことを「いい年して乙女なんだよ」とこぼしていたっけ。
「何もなくても私もそれで幸せだったから。周平にも幸せになってもらいたいわ。ああいう子だから真紀ちゃんは大変かもしれないけど、よろしくね」
気がつくとお父さんも廊下に立って私たちの話を聞いていた。優しくお母さんを見つめている。いいご夫婦だなあ。その時周平君が戻ってきた。
「お待たせ、って何真紀涙目になってんの」
「あははは」
慌てて顔を反らした。
「変なこと言ってないだろうな」
周平君がお母さんたちを軽く睨む。
「言ってないわよぉ」
ドアを開けると、お母さんの肩を持つように犬のトムがわん!と吠えた。