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幸せは、増幅する

 離れ難くて一緒に改札を潜った。ホームでも手を離さずにいたら、真紀が小さなくしゃみをする。しまった、コートを着せてなかった。しかもいつもより露出の多い服で。

「ああ、ごめん」 

 そんなことを言えずにいた真紀も相当緊張していたんだろうけど。俺が手を離すと真紀は荷物を足元に下ろしてコートを羽織る。ワンピースが隠れるのは少し淋しかった。

 真紀がボタンを嵌めようとしたところで、俺は大事なことを思い出した。ボタンに触れた手に待ったをかけて、鞄から銀色のリボンがついた例の青い袋を出した。

「今日誕生日だろ」 

 そう言うと、真紀ははっとして目を見張った。

「・・・知ってたの」

 今日の展示会まで、連日俺が遅くまで働いていたのを知っているのは他ならぬ真紀だ。勿論自分から催促するようなこともなく、誕生日を覚えていたなんて思いもよらなかったんだろう。それだけでもこれを用意した甲斐があった。

「知ってるさ」

 わざと何でもないように言う。俺がどれだけ今日の日を心待ちにしていたかなんて、一生知らなくていい。開けて、と促すと、彼女の指が袋を止めてある銀色のシールを剥がした。中にある黒いベルベットの袋のリボンを解くと、するりと真紀の手に雪の結晶が滑り落ちた。

「・・・綺麗」

 真紀はガラスビーズのペンダントヘッドを、まるで子ウサギでも持つように両手をふんわりと開けたままじっと眺めている。つけた姿が見たい。そう思って真紀の手からそれを奪い、後ろに回り込んだ。両端の留め具を持つと、前から内巻きの毛先を経てうなじへ指を回す。止める時指がふれてびくっとした真紀を向き直らせた。紫色の四角い襟元に囲まれて、しっとりとした白い肌に輝く雪の結晶。真紀のすらりとした首に、黒い革紐が甘過ぎず映える。おずおずと俺を見上げる真紀の目は潤み、冬空の星のように瞬いていた。

「今の服にぴったりだ」

 俺が微笑むと、

「ありがとう・・・嬉しい」

 とため息のように小さく喜びを声にした。真紀は突然きょろきょろして後ろを向くと、隣のホームに来ている電車の前に立つ。窓ガラスを鏡にして自分の胸元を映した。誓いの儀式のように胸に手を当てて、雪の結晶をうっとりと眺めている。よく見ると瞳の際にきれいな涙の珠がふっくらと浮き上がっていた。

 こんなに幸せそうな真紀を見たことがない。自分がそうさせているのだ、と思ったら、もうたまらなくなった。

 唐突に想いが溢れて、水かさの増した濁流のように俺を飲み込む。俺は手早く自分のマフラーを外し、それをばさっと真紀の頭に被せた。マフラーごと真紀の頭を引っ張って紫とターコイズの縞々に隠し、俺もその中に入る。そうして出来あがった、小さなモンゴル・パオのような二人だけの温かな世界。自分たちの吐息が満ちて、吸い込まれるように口付けていた。真紀の唇は熱くほんのりコーヒーとウイスキーの匂いがした。中に入れて欲しくて舌でノックすると無防備に薄く扉が開く。後は無我夢中だった。

 真紀がぶるっと震えてようやく我に返る。唇を離したと同時に真紀の乗る電車がやってきて、ボタンを留めていなかった真紀のコートが翻った。

「ほら、乗れよ」

 わざと平気そうに言ってやる。人前でこんな大それた真似ができるなんて、自分でも思わなかったから。

「信じられない!」

 これ以上ないくらい真っ赤になって真紀が叫んだ。俺のマフラーでターバンのように顔を隠しているが、かえって目立っていることに気付いてないのが笑える。

「後悔した?・・・でももう逃がさない、絶対に」

 捨て台詞を言い終わるタイミングでドアが閉じる。呆然とした表情の真紀を乗せ電車は走り出した。

 ・・・また、明日な。今日だけはゆっくり休ませてやる。

 俺は見えなくなるまで電車を見送ると、足取りも軽く家路を急いだ。


「おかえり、どうだった?」

 玄関を開けると、お袋が台所から顔を出した。

「えっ」

うっかり真紀のことだと思い、何故ばれた、と思ってしまう俺は相当な馬鹿だ。展示会のことじゃないか。

「まあ、何とか。無事終わったよ」

「そう、それは良かった・・・」

 そう言いながら俺の顔を見るなり、お袋が真っ赤になって固まった。

「・・・何?」

 俺は首をかしげた。

「・・・鏡!見てきたら!」

 ん?そのまま洗面所に入って鏡の前に立つ。唇の端にピンクベージュの口紅が付いていた。

「イベントが終わって浮かれてんのはわかるけど!」

 台所からお袋の声が響く。

「過剰な接待でも受けてきたんじゃないでしょうね!」

「アホか!」

 何想像してんだ。おばはんの発想は恐ろしい。俺はずかずかと台所に入り、

「過剰な接待要員がこんな控えめな色の口紅つけてるか!真紀だよっ!」

 と思わず叫んでしまった。一瞬お袋は目を見開いたが、次の瞬間唐突に

「きゃ〜!」

 と叫んで俺の傍に駆けてきた。

「何、何!いつからなのよおっ!」

「・・・うるせえな」

 俺としたことが。迂闊だった。

「だって、だって!真紀ちゃんてAnyone At Allの君でしょう?!ねっ、ねっ!私がいったとおりじゃなあい!」

 お袋は俺の腕をばしばしと叩いた。

「よかったわね!すてき!ああ、なんか嬉しくなってきた!」

 お袋の興奮は止まらない。

「今日、エビフライも付けちゃう!」

 うちのお祝い事は小さい頃から決まっていつもエビフライだ。

「・・・俺、夕飯まで寝てくるけど」

「どうぞどうぞ!エビ解凍するからもう少し時間かかるし!ああ、私まで幸せになっちゃうわあ!」

 

 俺は自分の部屋に戻り、部屋着に着替えてベッドに横たわると、両腕で自分の身体を抱きしめた。オレンジのような真紀の香りと柔らかな感触が蘇る。


 そうだよ、幸せは増幅するんだ。お袋も、あの真紀に服を売った店員も、風船をもらった子どもも、良介や美砂やマスターも・・・みんな一緒に膨れあがってメリーゴーラウンドのように回るんだ・・・。


 重たくて甘い睡魔がじわじわと体を蝕む。俺はそのまま微笑みながらゆっくりと目を閉じた。




Fin


 最後まで読んでいただきありがとうございました。この後後日談が入ります。どうぞまたお立ち寄り下さいませ。読んだ後、皆様が少しだけでも幸せになりますように。

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