4-3:足跡
「先輩、コーヒーがシャツに」
綿花は匿坂を見て呆れていた。昨日買ったばかりの新しいシャツに、今度はコーヒーのシミが付いている。
「気づかなかった」
匿坂は自分の胸元を見下ろした。確かに茶色いシミが広がっている。カップの蓋がちゃんと閉まっていなかったらしい。
「ケチャップの次はコーヒーですか…」
「すまん」
匿坂は素直に謝った。新しい服もすぐダメにしてしまう。我ながら情けない。
「とりあえず、捜査の方を進めましょう」
綿花は資料を広げた。被害者は灰汁抜蓮子17歳女性。生き埋め事件から一夜明け、二人は本格的な捜査を開始していた。
「実は一昨日の晩、監視カメラに不審者が映っていました。その人物の着ていた制服の背中には田中工業と刺繍が入ってたみたいで、田沼さんは予定表を確認しましたが業者を呼ぶような話は聞いてなかったとのことで…確認のためにさっき田中工業について調べましたが県内に一箇所同じ名前の会社がありました。ですが一年前に倒産していました」
「なるほどな」
「これが建物内の防犯カメラに映っている作業員の姿姿です」
「不法に侵入したのか?」
「おそらく。田沼さんは通した覚えも、見た覚えもないとのことで侵入経路は不明です」
綿花がタブレットで映像を見せた。作業服を着た人物が建物内で彷徨いてる様子が映っている。
「これは男性に見えるな…被害者は犯人は女性って言ってなかったか?」
「はい。でも顔は帽子で隠れていて、体格も作業服で分からないんです。女性が男装している可能性も」
匿坂は映像を注意深く見た。
「他の角度の映像は?」
「これだけです。犯人は防犯カメラの位置を把握していたようで、ほとんど回避してます」
「計画的だな」
その時、匿坂の携帯が鳴った。コーヒーを飲もうとして、また少しこぼしてしまう。
「匿坂です」
「あ、田沼です。お伝えしたいことが」
昨日の建物管理者からだった。
「どうしましたか」
「事件が起きる少し前、近所の商店で不審な女性の目撃情報があったそうです」
匿坂は姿勢を正した。
「詳しく教えてくれ」
「赤いコートを着た若い女性が、うろついていたと。商店の店主が覚えているそうです」
「その商店の場所は?」
「うちの建物から2ブロック先の『山田商店』です」
「分かった。すぐに向かう」
匿坂は電話を切ると立ち上がった。そして椅子に引っかかって、また少しコーヒーをこぼした。
「先輩…!」
「急ぐぞ」
山田商店は昔ながらの個人商店だった。70代の店主、山田さんが二人を迎えてくれた。
「ああ、あの赤いコートの女性ね。印象的だったから覚えてるよ」
「どんな様子でしたか?」
綿花が質問する。
「昼頃かな。店の前を何度も行ったり来たりしてたんだ。まるで誰かを待ってるみたいに」
「服装は?」
「真っ赤なトレンチコート。それとブーツ。あと…」
山田さんは思い出すように顔をしかめた。
「確か、目の辺りに何かつけてたな?変なのを」
「ドミノマスクかもしれません」
匿坂が呟く。
「そうそう、そんなかんじ。とにかく変わった格好の子でね」
「年齢は?」
「20歳前後だと思う。背はそれほど高くなかったかな」
「他に気づいたことは?」
「手袋をしてたね。暖かい日だったのに。あと」
山田さんは店の奥を指差した。
「あの女性、ここで飲み物を買っていったんだ」
匿坂と綿花は顔を見合わせた。
「何を買いましたか?」
「栄養ドリンクを3本。疲れてるのかなと思ったよ」
「3本?」
「ああ。『これから大変な作業があるの』って言ってた」
匿坂は眉を寄せた。3本の栄養ドリンク。おそらく長時間の作業に備えたのだろう。
「支払いは現金でしたか?」
「ええ。でも不思議なことに」
山田さんは困惑した表情を見せた。
「お釣りを渡そうとしたら、『触らないで』って言われたんだ。だからカウンターに置いたよ」
「触らないで?」
「そう。変わった子だなと思って」
匿坂は納得した。能力盗取が触れることで発動するなら、不用意に人に触れるのを避けるのは当然だ。街中にいる人、誰が異能力者かどうかなんて見た目では分からない。
「ありがとうございました」
二人は商店を後にした。
「先輩、手がかりが増えましたね」
歩きながら綿花が言う。
「犯人は計画的に行動している。事前の下見、作業に必要な栄養ドリンクの準備…」
「それに、触れることを極端に避けている」
匿坂は商店で買ったラムネを飲みながら考えていた。
「能力盗取の条件は『直接的な肌の接触』の可能性が高い」
「だから手袋をしているんですね」
その時、匿坂が街灯に軽くぶつかった。よそ見をしていたのだ。
「いってて」
「先輩、大丈夫ですか?」
「問題ない」
匿坂はシャツを確認した。幸い、ラムネは溢れておらずシャツは無事だった。
「他に調べるべきことはありますかね?」
「過去の類似事件だ」
匿坂は歩きながら答えた。
「能力コレクターなら、今回が初犯ではないはずだ」
二人は警視庁を訪れ許可をもらった後、過去の異能力関連事件を調べ始めた。
「先輩、これを見てください」
綿花がパソコンの画面を指差した。
「2ヶ月前、品川区で異能力者の男性が行方不明になっています」
「詳細は?」
「被害者は25歳の会社員、火を操る能力を持っていたそうです」
匿坂は記録を読んでいく。
「目撃者は?」
「最後に目撃されたのは、自宅近くのコンビニ。その際、赤いコートの女性と話していたという証言があります」
「赤いコート…」
「他にもあります」
綿花がさらにファイルを開く。
「1ヶ月前、新宿区で電気を操る能力者の女性が失踪。こちらも最後に赤いコートの女性と一緒にいたとの目撃情報が」
匿坂は立ち上がった。
「それぞれ違う能力を持っていた。火、電気、機械操作…」
「まさに能力のコレクションですね」
「問題は、失踪した人がどうなったかだ」
匿坂は窓の外を見た。
「能力を奪われた後、生きているのか…」
沈黙が下りる。
「先輩」
綿花が不安そうに呟く。
「犯人は次の標的を探しているかもしれません」
「だろうな」
匿坂は振り返った。
「俺も狙われる可能性がある」
その時、匿坂の携帯に着信があった。知らない番号だった。
「匿坂だ」
「はじめまして」
女性の声だった。若く、どこか楽しそうな響きがある。
「昨日はよくも邪魔してくれたわね。でも、おかげで素晴らしいものも見れたわ」
匿坂の表情が険しくなった。
「お前が犯人か」
「犯人だなんて人聞きの悪い。私はただのコレクターよ。それにしても、あの溶解液での救出作業…見事だったわ」
「見ていたのか」
「ええ、すぐそばで。あなたが地面を溶かして、あの子を助け出すところを全部」
女性の声が嬉しそうになった。
「あの時確信したの。その溶解液能力、ぜひコレクションに加えたいわ」
匿坂は綿花を見た。綿花も緊張した表情で通話を聞いている。
「断る」
「あら、残念」
女性は笑った。
「今夜、迎えに行くから。どこに逃げても無駄よ?」
通話が切れた。
匿坂と綿花は顔を見合わせた。
「宣戦布告ですね」
「ああ」
匿坂は携帯をしまった。
「今夜、決着をつけることになりそうだ」
外はもう夕方になっていた。赤いコートの能力コレクターとの最終対決が、間もなく始まろうとしていた。
しかし匿坂は、コーヒーのシミが付いたシャツを着たまま、その重大な決戦に向かうことになるのだった。