1-4:追跡
匿坂はアクセルを、更に踏み込んだ。
前方、数百メートル先に白井の車のテールランプが見える。
(逃がすか)
白井の車が急加速する。
だが匿坂も負けていない。
距離が縮まっていく。
その時、白井の運転席のドアが開いた。
「…アイツ!?まさか!」
白井が体を乗り出し、道路に手を伸ばす。
指先が路面に触れた瞬間——。
アスファルトが砂のように分解された。
匿坂の車の前方に、巨大な穴が開く。
「くっ!」
匿坂は急ハンドルを切って穴を回避した。
車体が大きく揺れる。
(走りながら道路を分解する気か…)
白井がドアを閉め、再び加速する。
匿坂は車内の無線機を掴んだ。
「こちら…匿坂。警察に協力中の探偵だ!」
ノイズの向こうから応答があった。
『警察車両を、無断で持ち出されたかたですね!?今どこで何されてるんですか!』
「逃走した白井警部補を追跡中だ。奴は道路を破壊しながら逃走している」
無線の相手に怒られながら、匿坂は穴を振り返った。
直径3メートルほどの大穴が、道路に開いている。
「国道〇〇号、△△交差点付近。すぐに道路を封鎖してくれ。後続車が落ちる危険がある!大至急だ!」
『え、あ…了解しました!すぐに手配します』
匿坂は無線を置き、再びハンドルを握った。
(これで一般人は巻き込まれない…はず)
匿坂は右手に溶解液を集中させた。
窓を開け、白井の車のタイヤを狙う。
「食らえ!」
黒い溶解液が飛ぶ。
だが白井は窓から手を出し、空中で払った。
溶解液が霧散する。
「なに!?」
(空気を分解して、溶解液を散らしただと)
匿坂は舌打ちした。
白井の車が左折した。
古びた倉庫が立ち並ぶ地区に入っていく。
(倉庫街…まさか、ここに)
匿坂は直感した。
白井が向かっているのは、おそらく自分の拠点。
そして、そこにさくらがいる可能性が高い。
狭い道路。
両側に使われなくなった倉庫が並んでいる。
匿坂は車を加速させ、白井の車に並走した。
白井が再びドアを開ける。
今度は自分の車のドアに手を触れた。
ドアが瞬時に分解され、金属の破片が次々と匿坂の車に向かって飛んでくる。
「くっ!」
破片の1つがフロントガラスに当たり、大きなヒビが入る。
何発も食らえば、即廃車になる未来が頭によぎった。
匿坂はできる限り白井の攻撃を、ハンドルを切って切って切りまくって、かわした。
「必死ですね。そうまでして、まだ追ってきますか?」
白井の車は匿坂を観察するように、並走を続けている。
(今だ)
匿坂は右手に溶解液を集中させた。
窓から手を出すと、白井の車に向かって溶解液を放った。
黒い液体が風に乗って、白井の車の前方の路面に着弾する。
ジュウッという音と共に、アスファルトが溶けて液状になった。
「なっ!?」
白井が反応する間もなく、車はその液状の道路に突っ込んだ。
タイヤがグリップを失い、白井の車が激しく横滑りを始めた。
白井は必死にハンドルを切るが、制御できない。
「くそっ!」
状況を打開するべく、白井はドアを開けて道路に手を触れようとした。
だが車は既に制御不能だった。
白井の車はそのまま道路脇の倉庫の壁に激突した。
ガシャァァン!
フロント部分が大破し、エアバッグが開く。
匿坂は車を停め、降りた。
白井の車から、ドアが蹴り開けられた。
白井がよろめきながら降りてくる。
額から血を流し、左腕を押さえている。
「くそ、なんてザマだ」
白井は倉庫の壁に手をついて体を支えた。
匿坂が溶解液を纏いながら近づく。
「終わりだ、白井」
「…終わり?」
白井が顔を上げた。
その目には、まだ闘志が残っている。
「まだ終わりじゃない」
白井が倉庫の壁に手を触れると、壁が砂のように崩れた。
「さくらちゃんの居場所を教えろ」
「…すぐそこだ」
白井が顎で前方の倉庫を指した。
「あの赤い倉庫に…監視カメラで見張っているだけだ」
匿坂は目を見開いた。
(やはり、ここに…)
「だが」
白井が両手を上げる。
崩れた壁の破片が、分子レベルまで分解されていく。
無数の微粒子が、白井の周囲に漂い始めた。
「お前は、ここで終わりだ」
「まだやる気か」
「当たり前だ!健太の仇を取るまで、俺は止まらない!」
白井の叫びが倉庫街に響いた。
無数の微粒子が、匿坂に向かって飛んでくる。
(溶解液は効かない、避けるしかない!)
匿坂は咄嗟に横に跳んだ。
だが微粒子の範囲が広すぎて、完全には避けきれない。
頬、腕、足に無数の切り傷が走る。
「くっ…」
血が滲む体で、白井と向き合う。
白井も額から血を流し、左腕を押さえている。
車の衝突で負った傷だ。
互いに満身創痍。
だが、白井の目には狂気じみた闘志が宿っている。
ーーー突如。
匿坂の脳裏に、あの日の記憶が蘇った。
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【3年前】
『緊急事態発生!新宿で異能力者が暴走しています!』
無線から流れる声に、異能対策課だった匿坂は現場に急行していた。
現場は惨状だった。
ビルの一階が完全に破壊され、瓦礫の中から市民の悲鳴が聞こえてくる。
「何が起きたんだ…」
匿坂が現場の惨状に驚いていると、先輩刑事が状況を説明した。
「異能力者の少年が、力を制御できなくなったらしい。周囲の建物を破壊し続けている」
先輩刑事の顔には焦りが浮かんでいた。
「異能力の暴走なんて、俺の知る限り前例がない。どうすればいいんだ…マニュアルすらないぞ」
匿坂は緊張した。
異能力を制御できない異能力者。
遭遇するのは初めてだった。
それほど異能力の暴走は、極めて稀な現象だった。
匿坂は瓦礫の向こうに少年の姿を見た。
14、5歳くらいだろうか。
顔は涙でぐしゃぐしゃで、明らかに混乱状態だった。
「誰か助けて…止まらない…止められないんだ…」
少年の手に触れた瓦礫が次々と砂になっていく。
周囲の警察関係者は異能力を恐れ、誰も近づこうとしなかった。
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白井の攻撃が激しくなった。
今度は倉庫の鉄筋を分解し、鋭利な鉄の粉を雨のように降らせてくる。
「警察の記録を読んだ!」
白井が叫ぶ。
「異能力者暴走事件。建物崩壊により死亡。それだけだ…それだけしか書いていなかった」
白井の声が震える。
「健太がどれだけ苦しんでいたのか、何があったのか、誰も教えてくれなかった。『事故だった』の一言で片付けられた」
白井が地面を拳で叩く。
「だから自分で調べた。現場にいた警官の名前を。そこにお前の名前があった」
白井の目が匿坂を射抜く。
「それで、あの日現場にいた警官に聞いた。奴らは口を揃えて言ってたぞ!『匿坂は何もできなかった』『あの刑事は、ただ見ているだけだった』…とな!」
白井の拳が震える。
「お前も異能力者だろう?なのになぜ健太を助けられなかった!同じ異能力者なのに!」
「白井さん…」
「言い訳するな!」
白井が涙を流しながら叫ぶ。
「お前が本気で助けようとしていたら、健太は死ななかった!お前は…お前は健太を見捨てたんだ!」
「違う」
匿坂は強く言った。
「聞いた相手が悪かったんだ。あの時、俺は健太を助けようとした。嘘じゃない」
匿坂の声に悔恨が滲む。
「聞いてくれ。記録には書かれていない、あの日の真実を」




