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1-3:見えない鎖


「先輩、コーヒーこぼれてますよ」

警視庁の廊下で、綿花は匿坂のシャツを指差した。

缶コーヒーを飲みながら歩いていた匿坂の胸元に、茶色いシミが広がっている。


「あー、やっちまった」

「歩き飲みするからですよ…」


綿花に言われて、匿坂は缶を見下ろした。

蓋がきちんと閉まっていなかったらしく、歩くたびに中身が漏れていたのか、ズボンにもシミがついていた。


「そんなことより、気になることがある」

匿坂は立ち止まると、綿花を真剣な目で見た。


「高菜木の取り調べ記録を見せてくれ」

「はい」


綿花はタブレットを使って、警視庁のシステムにログインした。


綿花は現在、正式には異能対策課を辞めているが、機密保持契約を結んだ上で、隙間時間で事務作業を請け負うことが許可されている。元々優秀だった上に、異能力事件の知識が豊富なため、現場からの信頼も厚い。そのおかげで、限定的だがデータベースへのアクセスが可能になっている。


綿花がタブレットを差し出す。

匿坂は画面をスクロールしながら読み進めた。


『今朝のことです。犯人が私に電話で指示を出してきました。“匿坂という探偵が来る。30歳くらいの男で、だらしない格好をしている。溶解液の異能力者だから気をつけろ”…と』


匿坂の目が鋭くなる。


「俺の異能力まで知っている…?」

「先輩、これは」


綿花が別の画面を開いた。


「異能力者の個人情報は、警察のデータベースで厳重に管理されています。アクセスできるのは限られた警察官だけです」


匿坂の表情が険しくなった。


「つまり犯人は、警察の機密データベースにアクセスできる人間だ」

「はい。しかも」


綿花が画面をスクロールする。


「先輩の異能力情報にアクセスした履歴を調べたら、一週間前に一度だけありました。アクセスしたのは…」


綿花の顔が青ざめた。


「白井警部補です」


匿坂は腕を組んだ。


「綿花。白井警部補について、簡単に調べてくれ。俺は他に手がかりがないか、調べてみる」

「分かりました」


数十分後。


「先輩、調べてきました…」

綿花が報告に来た。何やら顔色が悪い。


「白井警部補、3年前に地方から東京に異動してきています」

「異動理由は?」

「『やらなければならないことがある』と上層部に直訴したそうです。そして、その異動時期が…」


綿花が、少し間を置いて言う。


「先輩が警察を辞めた、例の事件の直後なんです」


匿坂の顔色が変わった。


「偶然か…?」

「それに、もう一つあります」


綿花が声を震わせた。


「白井警部補には弟がいました」


匿坂の拳が震えた。


「弟…」

「はい。3年前に亡くなっています。先輩が担当した事件で」


匿坂の脳裏に、ある少年の顔が浮かんだ。


(まさか、あの時の…?)


匿坂の額に冷や汗が浮き出る。


「白井の目的は、復讐か」

「おそらく…可能性は高いかと」


綿花が心配そうに匿坂を見る。


「もう少し詳しく調べてもらえるか」

「分かりました。ただ、警察内部の調査は時間がかかるかもしれません…」


その時、廊下の向こうから白井が現れた。


「お二人がた、お疲れさまです」


白井は穏やかな笑顔を浮かべていたが、匿坂はその目の奥に何かを感じ取った。


「白井警部補、ちょうど良かった。お話があります」

「何でしょうか?」

「人の少ない場所で話したい。地下駐車場はどうです?」


白井の表情が一瞬だけ変わった。

わずかな変化だったが、匿坂は見逃さなかった。


「構いませんが、なぜそんな場所で?」

「他の人に聞かれたくない話なので」


匿坂は白井の反応を慎重に観察していた。


「分かりました。では後ほど地下駐車場で」


白井が立ち去った後、綿花が小声で尋ねた。


「先輩、確証はあるんですか?」

「まだない。だが」


匿坂は白井が歩いていく方向を見つめた。


「確かめる方法はいくらでもある」



ーーー地下駐車場は薄暗く、人気がなかった。

蛍光灯の明かりが車のボディに反射して、不気味な陰影を作り出している。


匿坂は先に到着し、柱の陰で白井を待っていた。

やがて白井の足音が聞こえてくる。


「お待たせしました。少し雑用が残ってたので」


白井が現れた時、匿坂は気づいた。

昼間の穏やかな表情とは違い、その顔には冷たい笑みが浮かんでいる。


「単刀直入に聞こう」

匿坂は白井と向き合った。


「さくらちゃんはどこにいる?」

「ええ?まだ捜索中なので分かりませんよ」

「とぼけるな。お前が黒幕だろう」


白井の笑みが深くなった。


「随分と飛躍した推理ですね。証拠でもあるんですか?」

「ある」


匿坂は冷静に答えた。


「高菜木に俺の異能力情報を教えたのは、お前だ。警察のデータベースへのアクセスログに、お前の記録が残っているのを確認した」


白井の笑みが一瞬揺らいだ。


「それに」


匿坂は一歩前に出た。


「お前は3年前に地方から東京に異動してきた。しかも俺が警察を辞めた直後だ。もし答えれるのなら聞きたいんだが、何をやるためにここに来たんだ?」


白井の表情が変わり始めた。


「…お前には弟がいたんだな。3年前に亡くなった。俺が担当した事件で」


匿坂は白井を見据えた。


「お前のやるべき事とは、俺への復讐だな…?」


白井の笑みが消えた。


「…ふふ」


白井は拍手をした。


「流石は現役探偵。見事な推理力ですね」

「…正解なのか?」


白井の目が冷たく光った。


「ええ、認めましょう。私がこの事件の黒幕です。高菜木に情報を与えすぎましたね」


白井が自嘲気味に笑う。


「あなたの名前、年齢、外見…そして異能力まで。今思えば、そこまで教える必要はなかった」

「油断したのか?」

「高菜木の空気操作なら、私が手を下さなくてもあなたを殺せると踏んでいたんですよ」


白井が一歩前に出る。


「自分の手を汚さず、復讐を完遂する。完璧な計画のはずでした」

「だが、高菜木は俺を殺さなかった」

「ええ。誤算でした」


白井の表情が歪む。


「あの男、娘のためとはいえ甘すぎる。結果、あなたは生き延び、私の正体まで暴いた」

「その誤算が命取りになったな」

「命取り?」


白井が冷たく笑った。


「いいえ、問題ありませんよ。ならば計画を変更するだけです。高菜木が殺せなかったのなら、私が直接手を下す。それだけのことです」


匿坂は黙って聞いてた。


「3年前、あなたが担当した異能力事故。もちろん覚えてますよね?」


匿坂の表情が凍りついた。


「あぁ…」

「すでにご存知でしょうが、あの事故で死んだのは私の弟です」


白井の声に憎悪がこもっていた。


「私と同じく弟も異能力者でした。国の役に立つために自ら研究に身を差し出すほどの。とても優しくて思いやりのある子だった」


白井が一歩前に出る。


「なのにあなたは、そばにいたのに守れずに見殺しにした」

「待て、あの事故は」

「言い訳は聞きません」


白井が右手を床につけた瞬間、足元のコンクリートが粉々に砕けた。


「まさか」


匿坂は後ろに跳び下がった。


「手で触れたものを分子レベルで操作できる。便利な能力でしょう?」


白井が駐車場の柱に手を触れると、柱の表面が砂のように崩れ落ちた。


「…さくらちゃんはどこにいる」

「教える義理はありません。あの子は餌です。あなたをおびき出すための」


白井が近くの車に手を触れると、ボディが瞬時に液体化した。

ドロドロと溶けた金属が、白井の意思で空中を這う。


「凄いでしょう?液体なら、自由に形を変えられます」


液体金属が槍のように鋭く形を変え、匿坂に向かって飛んでくる。


「溶かすまでだ」


匿坂は腕を振り、溶解液を槍に浴びせた。


だが——。


槍は溶解液を突き抜けて、匿坂の肩を貫いた。


「ぐああっ!」


鮮血が飛び散る。

匿坂は膝をつき、肩の傷を押さえた。


対する白井も、驚いた表情を見せていた。


「牽制のつもりだったが…」


白井は自分の手を見た。


「私の分子操作で変化させた物質が、あなたの溶解液で溶けなかった…」


白井の目が細くなる。


「…ふふふ、自分でも驚いていますよ」


白井が匿坂を見つめた。


「分子操作と溶解液…どこか似ているのかもしれません。似た性質を持つ異能力同士では、想定外の現象が起きる。そういうことでしょうか?」


匿坂の顔が青ざめた。


(似た異能力の干渉…?だから溶かせないのか?)


「これは…予想外ですが」


白井が再び車に触れ、さらに金属を液体化していく。


「あなたにとっては、絶望的な状況ですね」


それが次々と槍に形を変え、匿坂に向かって飛んでくる。


匿坂は横に跳んで回避した。


「くそ!復讐のために罪のない子供を使うのか」

「罪のない?」


白井の顔が歪んだ。


「あなたに罪のあるなしを、語る資格があるんですか?私の弟だって善良な市民だったんですよ」


匿坂は黙り込んだ。

3年前の事件。

匿坂はあの日の出来事を今でも後悔している。


「でも安心してください。すぐあの子に会えますから」


白井が匿坂に向かって歩いてくる。


「あの世で永遠に、謝罪してきてください」


駐車場に、静寂が落ちた。


白井が匿坂に向かって一歩踏み出した瞬間、匿坂は全身から黒い溶解液を分泌した。


「待て、話を聞け」

「話すことなど何もありません」


白井が駐車場の床に手を触れると、コンクリートが砂のように崩れ始めた。

匿坂の足場が不安定になる。


「お前の弟のことは…」

「黙れ、喋るな」


白井が両手を床につけると、駐車場全体のコンクリートが波紋状に分解されていく。

床、壁が次々と砂になっていく。


匿坂は足裏から溶解液を分泌し、崩れる床を溶かして新たな足場を作り出そうとした。


だが白井の分解速度が速すぎる。

作った足場もすぐに分解されてしまう。


匿坂は柱を掴んで体を支えるが、白井がその柱に触れると柱も砂に変わった。


「くそっ!」


匿坂は逃げる事で精一杯だった。辛うじて車の陰に隠れる。


白井が周囲の車を次々と分解していく。

車が砂のように細かくなり、最終的には目に見えないほどの微粒子になった。


「見えますか?これが分子レベルまで分解した物質です」


白井が手を振ると、無数の微粒子が匿坂に向かって飛んでくる。


匿坂は溶解液で防ごうとしたが、粒子が細かすぎて防ぎきれない。

皮膚に無数の針が刺さるような痛みが走る。


「ぐああああ!」


服が裂け、皮膚が削られていく。

匿坂は膝をついた。

血が床に滴る。


白井が床に手をつくと、床の分子結合が一斉に解除された。


(ドガァァァン!)


結合エネルギーが解放され、爆発的な衝撃波が発生する。

匿坂は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。


「げほっ…」


匿坂は咳き込みながら立ち上がろうとするが、体が動かない。

全身から血が滲んでいる。


白井が匿坂に近づいてくる。


「終わりです」


その時、駐車場の入口から声が響いた。


「先輩!」


騒ぎを聞きつけた綿花が、駆け込んできた。


「綿花!危ない、逃げろ!」


白井が綿花に向けて手を伸ばそうとした瞬間、駐車場の入口から足音が聞こえた。


「何事だ!」


警察官たちが駆け下りてくる。


「チッ」


白井は舌打ちすると、駐車場の奥へと走り去った。


「待て!」


匿坂が追おうとするが、綿花が腕を掴んだ。


「先輩待って、怪我が!血が止まってません!」

「構わない」


匿坂は綿花を振りほどき、白井の後を追った。


駐車場から飛び出すと、白井は黒いセダンに乗り込んで走り去っていく。

テールランプが夜の闇に消えていく。


「逃がすか!」


匿坂は近くに停めてあったパトカーに駆け寄った。

ドアに手をかけ、鍵穴の周囲に溶解液を分泌する。

ジュウッという音と共に鍵が溶け、ドアが開いた。


「先輩!それ警察の車ですよ!」


綿花が追いついてくる。


「緊急事態だ」


匿坂は運転席に乗り込むと、ステアリングコラムの下に潜り込んだ。

ダッシュボードの下にあるプラスチックカバーを、溶解液で溶かして外す。


中から複数のワイヤーが露出した。


「赤と黄色…これだ」


匿坂は赤いイグニッションワイヤーと黄色のスターターワイヤーを引き抜く。

両方の先端の被覆を剥き、慎重に接触させた。


バチッ


火花が散り、エンジンが唸りを上げた。


「綿花、警察と待機してくれ」

「先輩はどうするんですか!?」

「白井を追う。奴を捕まえれば、さくらちゃんの居場所が分かる」


匿坂は血が滲む肩を押さえながら言った。


「すべてを終わらせる」


綿花は心配そうな顔をしたが、頷いた。


「無茶しないでください」

「ああ」


匿坂はアクセルを踏み込み、車を発進させた。


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