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8-4:消えた予算

匿坂が大海原家で過ごすようになって一週間が経った。頭の手術痕は完全に回復し、骨の具合や体調も良好だった。記憶は相変わらず戻らないが、この家での生活にも慣れてきている。

この日の夕方も、匿坂は離れの部屋で読書をしていた。レジェンが図書館から借りてきてくれた推理小説の続きだ。集中して読んでいると、玄関の方から声が聞こえた。


「ただいま」

レジェンの声だが、いつもより元気がない。

匿坂は本を閉じて立ち上がろうとした瞬間、読みかけの本が膝から滑り落ちる。慌てて拾おうとして、今度は近くに置いてあった湯呑みを肘で押してしまった。


「あ、危ない」

湯呑みが畳に転がるが、幸い中身は空だった。我ながら情けない。記憶を失ったうえに、こうした不注意も多いので匿坂は心配になっていた。記憶がなくなる前もこんな感じだったのだろうかと。


「…まぁいいか」

匿坂は苦笑いしながら居間に向かった。レジェンがカバンを置きながら、困った表情を浮かべている。


「おかえり。どうした?何か嫌なことでもあったのか?」

「お兄さん…実は、ちょっと困ったことが起きてるんだ」

レジェンは椅子に座り、頭を抱えた。


「俺の高校でさ、変な事件というか…盗難事件が起きたんだ」

「盗難?」

「うん。俺、去年まではバスケ部にいたんだけど、今は帰宅部なのは知ってるよね?」

匿坂は頷いた。レジェンが兄を亡くしてから部活を辞めたことは聞いている。


「それで今日、バスケ部の先輩から相談されたんだ。部活の予算が消えたって」

「いくらぐらいだ?」

「5万円。部費と学校からの補助金で貯めたお金なんだ」

匿坂は興味深そうに身を乗り出した。


「どこから消えたんだ?」

「部室の金庫から。それも鍵がかかったままで、誰も金庫を壊した形跡はない」

「金庫の鍵は誰が管理してるんだ?」

「顧問の佐藤先生と、部長の田中先輩だけ」

匿坂は考え込んだ。密室からの盗難事件。興味深い。


「部室を見たことはあるか?本当に密室なのか?」

「もちろん、入部してたから何度も行ったことがある。誰がどう見ても密室だよ。…でも金庫の中身は見たことないな」

「警察には届けたのか?」

「それが…まだなんだ。学校側が内々で済ませたがってる」

レジェンは困ったように続けた。


「田中先輩はすごく責任感の強い人で、自分が管理していた金が消えたって、かなり落ち込んでるんだ。それに…」

「それに?」

「あの人の家、あまり裕福じゃないんだ。進路のことでも悩んでて、親に迷惑かけられないってこの前も悩んでた。もし弁償なんてことになったら…」

匿坂はレジェンの心配そうな表情を見た。優しい少年だ。困っている先輩を放っておけないのだろう。それに学生からしたら5万なんて想像もできないほどの大金だ。不安で仕方ないに決まっている。


「分かった。明日、学校を見に行ってみよう」

「本当?でも、お兄さんは部外者だし…」

「レジェンが案内してくれれば大丈夫だろう。それに、謎は解かれるために存在するものだ。俺が解かないで誰が解くんだ?」

レジェンの表情が明るくなった。


「ふふっ、ありがとうお兄さん!」



ーーー翌日の放課後、匿坂はレジェンと一緒に高校を訪れた。名古屋市内にある公立高校で、築30年ほどの校舎が立っている。


「こっちです」

レジェンが体育館の裏にある部室棟に案内した。匿坂は歩きながら、何となく靴に違和感を覚えた。足元を見ると、左右で靴下の色が微妙に違っている。片方は紺色、もう片方は濃いグレーだ。


「あー、またやった」

朝、薄暗い部屋で適当に履いた結果がこれだ。ろくに確認せず気が付かぬまま、匿坂はこの時間まで過ごしていた。


「お兄さん、どうしました?」

「いや、靴下が左右違うなと思って」

レジェンがちらりと見て、くすりと笑った。


「お兄さんらしいですね。」

「らしいのか、これが俺らしいのか」

「ウチに来てからもう4回はやってますよ。言っていいのか迷ってました」

「…次から教えてくれ、頼む」

匿坂は我ながら情けないという表情でトボトボ歩く。

向かってる先はバスケ部の部室。2階の奥にあるとレジェンが言う。


「田中先輩、連れてきました」

部室の扉を開けると、中には困り果てた表情の男子高校生がいた。身長は高めで、バスケ部らしい体格をしている。


「こんにちは。レジェンから話は聞いています」

匿坂が挨拶すると、田中と名乗る部長が慌てて頭を下げた。


「すみません、お忙しいところ…田中と申します」

「よろしく、暇だから気にしないで。それより事情を詳しく聞かせてもらえるかな?」

田中は事件の経緯を説明した。


「3日前の月曜日、部活後に金庫を確認したときは確実にありました。昨日の水曜日に大会のエントリー費を払おうとして金庫を開けたら、お金が全部なくなっていたんです」

「金庫に異常はなかったかい?」

「はい、鍵もかかったままでしたし、壊された様子もありません」

匿坂は金庫を見せてもらった。小型のダイヤル式金庫で、机の下に置かれている。しゃがんで金庫を調べようとした瞬間、バランスを崩して机の角に軽く頭をぶつけた。


「痛ってぇぇ…」

「大丈夫ですか?」

田中が心配そうに声をかけた。


「…ああ、大丈夫だ。狭いところは苦手でな」

匿坂は苦笑いしながら頭をさすった。


「金庫の暗証番号を把握してるのは誰だい?」

「僕と佐藤先生だけが知っています。部の創立年の1987です」

「なるほど。部室が施錠時に入室可能な人は?」

「部室の鍵は僕と佐藤先生、それと用務員の鈴木さんがマスターキーを持ってるので自由に入れます」

匿坂は部室を見回した。ここは2階で外から侵入は困難。ドアは一つだけで、廊下からよく見える位置にある。


「防犯カメラは?」

「部室棟の入り口に一台だけあります。でも、そこに映っている人たちは全員この学校の関係者で、しかも皆さんアリバイがはっきりしています」

その時、部室のドアがノックされた。


「失礼します」

中年の男性が入ってきた。どうやらバスケ部の顧問らしく、少し疲れた表情をしている。


「田中、どうだった?見つかったか?」

「佐藤先生…すみません、まだ…」

佐藤と呼ばれた教師は匿坂に気づいた。


「あ、えっと?どちら様でしょうか?」

「レジェンの知り合いの匿坂と申します。少しお話を聞かせていただけませんか?」

佐藤先生は事情を説明してくれた。


「本当に困っているんです。学校に報告はしましたが、警察沙汰にはしたくないと校長先生が仰ってるので動こうにも動けなくて。でも、5万円は大金ですからねぇ…どうしたものか」

「先生が最後に金庫を確認されたのはいつですか?」

「月曜日の夕方ですね。部活の後で、田中と一緒に確認しました。確実にありましたね。なぁ田中?」

「はい、間違いないです」

「火曜日と水曜日はいかがでしたか?」

「火曜日は見ていません。水曜日に田中が確認して発覚しました」

匿坂は考えた。月曜日の夕方から水曜日の夕方まで、約48時間の間に金が消えた。


「他の部員の方にも話を聞けますか?」

田中が後輩らしき男の子を呼んできた。小柄で人懐っこそうな少年だ。


「西野です。よろしくお願いします」

「君は火曜日の部活の時、何か変わったことはなかった?」

「特には…いつも通りでした。あ、でも」

「でも?」

「火曜日だけ、井坂さんが部室棟の清掃に来てました」

佐藤先生が説明した。


「井坂さんは用務員さんで、普段は金曜日に部室棟を清掃するんです。でも今週は火曜日に特別清掃があったんですよ」

匿坂は興味を示した。


「井坂さんにお話を聞くことはできますか?」


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