6-3:夜行進撃
大洲は滴を背負いながら、慎重に山道を下りていた。足音を殺し、木々の陰を縫うようにして進む。背中の滴は意識を取り戻していたが、まだ歩くのは困難な状態だった。
「大洲さん、重くないですか?」
「心配するな。お前は軽い」
「でも…」
「それより、あいつの様子はどうだ?」
滴が振り返って崖の方角を見つめた。月明かりに照らされた山肌は静寂に包まれ、何の音も聞こえない。
「静かですね。本当に落ちたんでしょうか」
「ああ、確実に落ちた。だが…」
その時だった。
山の奥から、薄紫色の光が立ち上がった。まるで巨大な紫の炎が夜空を焦がすように、不気味に明滅している。光は次第に強くなり、周囲の木々や岩肌を紫に染め上げていった。
「…動き始めたな」
大洲の表情が険しくなった。あの光は間違いなく忌憚の夜エネルギーだ。崖から落ちてもなお、あの化け物は健在だった。
「大洲さん、あの光…」
「忌憚だ。コンクリートから脱出したらしい」
紫色の光は徐々に移動を始めた。山の斜面を這うように下降してくる。明らかにこちらに向かっている。
「追ってきますね」
「当然だろう。俺たちを見逃すような奴じゃない」
大洲は足を速めた。しかし滴を背負っている以上、限界がある。このままでは追いつかれるのは時間の問題だった。
「大洲さん、私を置いて逃げてください」
「馬鹿を言うな」
「足手まといになってます。一人なら…」
「滴」
大洲が立ち止まり、夜空を見上げた。
「俺がお前を見捨てると思うか?」
「でも…」
「二人で生き残る。それ以外のことは考えるな」
滴が小さく頷いた。その時、遠くからヘリコプターの音が聞こえてきた。
「ヘリ?」
空を見上げると、複数の光点が近づいてくる。軍用ヘリコプターだった。サーチライトが山肌を照らし、拡声器から声が響く。
『こちら陸上自衛隊第4師団。山中にいる民間人は直ちに指定避難所へ向かってください。繰り返します…』
「自衛隊が来たのか」
「忌憚の件で出動したんでしょうね」
ヘリコプターは山の上空を旋回しながら、紫色の光源に向かって飛んでいく。その直後、空から光線が降り注いだ。
(ドドドドド!)
機関砲の音が夜空に響く。しかし紫色の光は消えることなく、むしろ一層激しく明滅し始めた。
「どうだ?あれでくたばってくれれば…」
すると、山の向こうから巨大な紫色の衝撃波が放たれた。
(ドゴォォォン!)
ヘリコプターの一機が衝撃波に巻き込まれ、くるくると回転しながら墜落していく。爆発音が山に響いた。
大洲の願いは叶わずに散った。
「くそ、あの化け物…」
「大洲さん、下の方に明かりが見えます」
山の麓に向かって、大きな照明が設置されているのが見えた。テントも複数張られ、車両も多数配備されている。
「自衛隊の前線基地か」
「あそこまで行けば安全でしょうか?」
「どうかな。忌憚相手にどこまで通用するか…」
再び山の上から紫色の光が激しく明滅した。今度は複数のヘリコプターが同時に攻撃を仕掛けているようだった。機関砲の音が連続して響く。
しかし、その全てが無意味であることを大洲は知っていた。通常兵器では忌憚の夜エネルギーを破ることはできない。
「急ぐぞ、滴」
「はい」
大洲は滴を背負い直し、山麓の自衛隊基地に向かって駆け下りた。背後では戦闘が激化している。爆発音と機関砲の音、そして時折響く忌憚の咆哮。
夜明けまで、まだ時間がある。
この長い夜が終わるまで、果たして何人が生き残れるのだろうか。
ーーー陸上自衛隊第4師団前線指揮所。
「報告します!」
迷彩服に身を包んだ通信兵が敬礼した。指揮所内は緊張に満ちており、複数のモニターには山の状況がリアルタイムで映し出されている。
「どうした」
師団長の久我山一等陸佐が振り返った。50代半ばの厳格な軍人で、数々の危機を乗り越えてきた歴戦の指揮官だった。
「ヘリ部隊第1小隊、1機撃墜されました。パイロットの安否は不明です」
「くそ…相手は一体何者だ?」
モニターには山中で激しく明滅する紫色の光が映っていた。その周囲を飛び回るヘリコプターが機関砲を撃ち続けているが、全く効果が見られない。
「正体不明の異能力者です。30分前、東山トンネルで護送車を襲撃し、警官隊30名を全滅させました」
「30名を一人で?」
「はい。生存者の証言によると、身長2メートル超の巨漢で、紫色のエネルギーを操るとのことです」
久我山が眉をひそめた。異能力者の存在は一般に認知されているが、これほどの戦闘力を持つ個体は滅多にいない。
「現在の戦力は?」
「ヘリ部隊6機、地上部隊300名、戦車小隊3個小隊が待機中です。それと、特殊作戦群の音速使いが1名」
「音速使い?」
「鳴神二等陸尉です。異能力者部隊のエースで、音速移動と音速抜刀術が専門です」
久我山の表情が変わった。鳴神の名前は軍内でも有名だった。
「分かった。まずは戦車を投入し、効果がなければ鳴神を投入しろ」
「了解しました」
通信兵が無線機に向かって指示を出す。しばらくして、山の麓から戦車の隊列が動き出した。キャタピラの音が夜に響く。
「距離800!目標確認!」
「射撃開始!」
(ドォォォン!ドォォォン!)
120mm滑腔砲が火を噴いた。砲弾が山肌に着弾し、巨大な爆発が起こる。しかし紫色の光は消えることなく、むしろ一層激しく輝き始めた。
「効果なし!目標は健在です!」
「馬鹿な…戦車砲が効かないだと?」
その時、山の中腹から巨大な紫色の衝撃波が放たれた。まるで津波のように山肌を駆け下り、戦車隊を襲う。
(ドゴォォォォン!)
最前列の90式戦車が衝撃波を受け、60トンの車体が軽々と宙に舞い上がった。後方の74式戦車も次々と横転し、爆発炎上する。
「戦車小隊全滅!繰り返す、戦車小隊全滅!」
「鳴神を呼べ!出撃させる」
久我山の呼び出しから数分後、一人の自衛官が現れた。小柄な体格で、腰に日本刀を帯びている。鳴神二等陸尉だった。
「師団長、鳴神二等陸尉、出撃準備完了しました」
「おお待ってたぞ鳴神!頼む、あいつを止めてくれ」
「了解」
鳴神が山に向かって走り始めた。その瞬間、姿がぼやけて見えなくなる。音速移動だった。
山の中腹で忌憚と鳴神が対峙するのは、そう時間がかからなかった。
「ほう、直接来るやつがいたか」
「お前はここで止める」
鳴神が刀の柄に手をかけた。
(シュイイイイイン!ドォォォン!)
音速で抜かれた刀がソニックブームを発生させながら忌憚に向かった。空気を切り裂く巨大な斬撃波が飛ぶ。
「面白い技だ…だが」
忌憚の夜エネルギーがそれを弾いた。斬撃波は明後日の方向に飛んでいき、大木や岩を両断していった。
「何ぃ!?」
「相手が悪かったな」
忌憚がノーモーションで衝撃波を放つ。鳴神は音速移動で回避したが、衝撃波の範囲が広すぎて完全には避けきれない。
「ぐはっ」
鳴神が血を吐きながら吹き飛ばされた。立ち上がろうとするが、忌憚の追撃が迫る。
「夜爪斬!」
巨大な斬撃が鳴神を襲う。今度は避けきれなかった。
(ズバァァァン!)
鳴神の身体が深く切り裂かれ、地面に倒れた。ピクリとも動かない。
「同じ異能者でもこの程度か。つまらん」
忌憚が再び基地に向かって歩き始めた。




