3-2:解かれる記憶
その夜、匿坂は新宿のネットカフェで、白井のメッセージについて考えていた。
『俺は操られていた』
あの文字が、頭の奥にこびりついて離れない。
もし本当なら、白井の復讐劇も何者かの意図によって、仕組まれたことになる。
「でも誰が?何のために?」
考え続けるうちに、意識がだんだんと霞んでいく。
椅子に座ったまま、匿坂は眠りに落ちた。
そのとき、脳裏に奇妙な映像が流れ込んでくる。
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警察署の一室。
大きな机の向こうに、男の影が座っていた。
「匿坂君、君はあまりにも多くを知りすぎた」
机の上には書類が広げられている。
手書きのレポートだ。
『異能力者人体実験』
『政府機関』
『被験者リスト』
そこには、匿坂自身の筆跡があった。
「君のレポートは処分される」
書類が炎に包まれ、証拠が灰になっていく。
「そして、君の記憶は封印される」
背後に何者かの気配を感じる。
頭に激痛が走る。視界が暗転した。
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「…うわっ!」
匿坂は飛び起きた。
額には冷や汗が滲み、息が荒くなっていた。
「今のは、夢か?」
だが、それにしては生々しすぎた。
(まるで、実際の記憶を見ていたような……)
「人体実験……レポート……?」
混乱が頭を支配する。
(俺が、何かを調べていたのか?)
ポケットからスマホを取り出し、急いでメッセージを打ち込む。
『綿花、起きてるか?少し聞きたいことがある』
数分後、返信が届いた。
『起きてます。電話しますか?』
匿坂は通話ボタンを押す。
「先輩?どうしたんですか?」
「綿花。俺が警察を辞める前、何か独自に調べていなかったか?」
「独自に、ですか?」
少し戸惑った声。
「そう言われてみると、夜遅くまで調べものをしていたような…そんな気がします」
「何についてか、分かるか?」
「それが、はっきりとは思い出せないんです」
綿花の声が少し震えた。
「でも、先輩が危険なことをしていたのは覚えてます」
「危険?」
「はい。『近づくな。巻き込みたくない』って、先輩が言ってました」
匿坂の胸に、不安が広がる。
「他に、覚えていないか」
「一度だけ、夜に資料室で先輩を見たことがあります」
「資料室?」
「はい。書類を届けに行ったら、先輩が何かを調べていて、すごく真剣な顔をしてました。声をかけようとしたんですけど、怖くてやめたんです」
「それで?」
「そっと覗いたら、手書きのレポートみたいなものを広げていて…」
「内容は?」
「詳しくは見えませんでした。でも『異能力』とか『実験』とか、そんな単語が見えた気がして」
「気がして?」
「はい。もう三年も前ですし、チラッと見ただけですから…」
「そのあと、俺は?」
「先輩が気づいて、『これは見なかったことにしてくれ』って言いました」
「そうか」
「それからすぐに、先輩は警察を辞めました」
匿坂は頭を抱えた。
(覚えていない、そんな記憶ないぞ)
「明日、直接会って話したい」
「分かりました。でも、先輩、大丈夫ですか?声が少し…」
「平気だ、少し疲れてるだけだ。夜遅くに悪かったな」
通話を切ると、匿坂は深く息を吐いた。
頭の奥が、妙にざわついている。
(何か忘れている。いや、忘れさせられた?)
「俺に、何があった?」
◇
翌日の午後。
匿坂は新宿の喫茶店で、綿花を待っていた。
「先輩、お待たせしました」
「昨日は遅くにすまなかったな」
「いえ。それより昨夜、記憶をたどってみたんです。先輩が辞める少し前のことを」
「何か思い出したか」
「曖昧なんです、もう三年も前ですし。それに、距離を置くように言われてたので…」
匿坂は小さく頷いた。
「そうか、まぁそうだよな」
その瞬間、頭に鋭い痛みが走った。
「…ッ!」
「先輩!?」
「大丈夫だ、ちょっと頭が…っ」
霞のように、記憶の断片が浮かぶ。
深夜の資料室。
誰もいない警察署。
コピー機の白い光。
(そこから先が、見えない)
「先輩、具合悪いんですよね?無理しないでください」
綿花が差し出した水を、匿坂は一気に飲み干した。
深呼吸をして落ち着きを取り戻す。
そのとき、綿花が小声で言った。
「先輩。気のせいかもしれませんが、監視されています」
「気づいたか」
「えっ?」
「喫茶店に入る前から、黒いスーツの男がつけてきた。向かいの歩道に立ってるやつだ」
綿花が窓の外を見る。
道路の向こう、不自然に立ち尽くす男がいた。
「たまにあるんだ。ああいう監視。辞めた後から時々な」
「どうして…?」
「理由は分からない。ただ、今日は少し違う。わざと目立つように監視してる」
その時、スマホが震えた。知らない番号だった。
「匿坂だ」
『久しぶりだな、匿坂』
男の声。
どこか懐かしい響きだった。
(誰だ…?)
「どちら様ですか」
『忘れたのか。君の元上司の内海だ。今は出世して上層部にいる』
「元上司…内海?」
『それよりも、勘の鋭い君なら気づいてるだろう?監視のことに』
「監視?…ああ、あれのことか」
『上は、辞めたあとも君に監視をつけていた。今ついてるのは公安の人間だ』
「公安だと?」
思わず息を呑む。
『普通なら気づけないだろうが、君は元刑事だ。何かしら察していたはずだ』
「なぜ公安が」
『それを話したい。今夜、会ってくれないか』
「どこで」
『港だ。午後十時。人気のない倉庫の一角だ』
「1人で行ったほうがいいか?」
『そうだな、そう警戒するな。君の安全は保証する』
短い沈黙。
『それと、白井君のことも話そう。彼が死んだのは…俺の責任でもある』
匿坂の表情が変わった。
「全部話してくれるのか?」
『ああ』
「分かった。行く」
通話が切れた。
静まり返った喫茶店。
綿花が不安そうに囁いた。
「先輩?大丈夫ですか」
匿坂は窓の外の監視者を見据える。
「分からない」
そして、ゆっくりと呟いた。
「だが、むこうも情報を出してきたんだ。真偽は別として、行く価値はある」
(…しかし、上司の顔が思い出せない)
匿坂は改めて昔を思い出そうとする。
同僚や上司、そういった一部の記憶が霞んでいる。
「記憶…か」
匿坂は額を押さえた。
「なんでこうも、思い出せない」
まるで、重要な記憶だけが、意図的に隠されたかのように。




