2-3:足跡(イラスト有り)
灰汁抜 蓮子
「先輩、コーヒーがシャツに」
綿花は匿坂を見て呆れていた。せっかく買った新しいシャツに、ケチャップに続いて今度はコーヒーのシミが付いている。
「気づかなかった」
匿坂は自分の胸元を見下ろした。確かに茶色いシミが広がっている。カップの蓋がちゃんと閉まっていなかったらしい。
「ケチャップの次はコーヒーですか…」
「すまん」
匿坂は素直に謝った。新しい服もすぐダメにしてしまう。我ながら情けない。
「とりあえず、捜査の方を進めましょう」
綿花は資料を広げた。被害者は灰汁抜蓮子17歳女性。生き埋め事件から一夜明け、二人は本格的な捜査を開始していた。
「あの子が助かったのは奇跡だった」
「ええ、たまたま持ってたスマホと建物の監視カメラを接続して私達の動きを見れてたんですよね」
「それがあったから、的確な暗号が出せてたんだろう」
一歩間違えれば若い命が消えていた。
匿坂と綿花は犯人に対して強い怒りを覚えていた。
「実は一昨日の晩、監視カメラに不審者が映っていました。その人物の着ていた制服の背中には田中工業と刺繍が入ってたみたいで、田沼さんは予定表を確認しましたが業者を呼ぶような話は聞いてなかったとのことで…確認のためにさっき田中工業について調べましたが県内に一箇所同じ名前の会社がありました。ですが一年前に倒産していました」
「なるほどな」
「これが建物内の防犯カメラに映っている作業員の姿です」
「不法に侵入したのか?」
「おそらく。田沼さんは通した覚えも、見た覚えもないとのことで侵入経路は不明です」
綿花がタブレットで映像を見せた。作業服を着た人物が建物内で彷徨いてる様子が映っている。
「これは男性に見えるな…被害者は犯人は女性って言ってなかったか?」
「はい。でも顔は帽子で隠れていて、体格も作業服で分からないんです。女性が男装している可能性も」
匿坂は映像を注意深く見た。
「他の角度の映像は?」
「これだけです。犯人は防犯カメラの位置を把握していたようで、ほとんど回避してます」
「計画的だな」
その時、匿坂の携帯が鳴った。
「匿坂です」
「あ、田沼です。お伝えしたいことが」
昨日の建物管理者からだった。
「どうしましたか」
「事件が起きる少し前、近所の商店で不審な女性の目撃情報があったそうです」
匿坂は姿勢を正した。
「詳しく教えてくれ」
「赤いコートを着た若い女性が、うろついていたと。商店の店主が覚えているそうです」
「その商店の場所は?」
「うちの建物から少し先にある山田商店です」
「分かりました。ご協力ありがとうございます」
匿坂は電話を切ると立ち上がった。
「行くぞ」
山田商店は昔ながらの個人商店だった。70代の店主、山田さんが二人を迎えてくれた。
「ああ、あの赤いコートの女性ね。印象的だったから覚えてるよ」
「どんな様子でしたか?」
綿花が質問する。
「昼頃かな。商店街を何度も行ったり来たりしてたんだ。まるで時間が経つのを待ってるみたいに」
「服装は?」
「真っ赤なトレンチコート。それとブーツ。目の辺りにも何かつけてたな。とにかく派手だったよ」
「昼間っからよく歩けるな、そんな格好で…」
匿坂が呆れたように呟く。
「年齢はどのくらいでした?」
「20歳前後だと思う。背はそれほど高くなかったかな」
「他に気づいたことは?」
「手袋をしてたね。暖かい日だったのに」
山田さんは思い出すように顔をしかめた。
「あと、お釣りを手渡ししようとしたら、触らないでって凄く怒られたのよ。だからカウンターに置いたよ」
「触らないで?」
「そう。最近の若い子は潔癖症なのかねぇ?」
違う。別の理由があると匿坂は推測した。
異能力者は、日本の中だけでも人口の約2%と言われている。50人に1人。街中を歩けば、すれ違ってるかもしれないレベルだ。だが見た目では判別できない。
犯人が触れるだけで能力を盗むタイプなら、街中で不用意に人に触れるわけにはいかない。役に立たない異能力まで盗んでしまうからだ。だから手袋をし、人との接触を避けているのだろう。
「教えていただき、ありがとうございました」
二人は礼を伝えると、商店を後にした。
「先輩、蓮子さんを襲った犯人で間違いないですね」
歩きながら綿花が言う。
「ああ、時系列を整理すると。蓮子と接触し能力が奪えず監禁、そのあと商店街で時間をつぶして、夜になると例の建物に蓮子を埋めに行ったと考えるのが妥当だろう」
「辻褄はあってますね」
「それに、触れることを極端に避けている」
匿坂は商店で買ったラムネを飲みながら考えていた。
「能力盗取の条件は『直接的な肌の接触』の可能性が高い」
「だから手袋をしているんですかね」
「ああ。それに犯人は標的を選んでいる。街中の一般人の能力を盗んでも意味がないからな」
その時、匿坂が街灯に軽くぶつかった。考え事をしながら歩いてたので、完全な不注意だった。
「いってて」
「先輩、大丈夫ですか?」
「問題ない」
匿坂はシャツを確認した。幸い、ラムネは溢れておらずシャツは無事だった。
「他に調べるべきことはありますかね?」
「過去の類似事件だ」
匿坂は歩きながら答えた。
「能力コレクターなら、今回が初犯ではないはずだ」
二人は警視庁に戻った。
「綿花、過去の異能力事件を調べてくれ」
「はい!」
綿花は警視庁のシステムにログインした。
「先輩、これを見てください」
綿花がパソコンの画面を指差した。
「2ヶ月前、品川区で男性が行方不明になっています」
「詳細は?」
「被害者は25歳の会社員。親族の証言では、火を操る能力を持っていたそうです」
匿坂は記録を読んでいく。
「目撃者は?」
「最後に目撃されたのは、自宅近くのコンビニ。その際、赤いコートの女性と一緒にいたと目撃情報があります」
「絶対アイツだな。他に服持ってないのか…?」
正体を隠す気がない犯人に、匿坂は半分呆れていた。
「まだあります」
綿花がさらにファイルを開く。
「1ヶ月前、新宿区で電気を操る能力者の女性が失踪。その直前に赤いコートの女性と、交戦してたと通行人から何件か通報が入ってます」
匿坂は立ち上がった。
「皆、それぞれ違う能力を持っていた。火、電気、機械操作…」
「本当に異能力を集めてるみたいですね」
「問題は、失踪した人がどうなったかだ」
匿坂は窓の外を見た。
「異能力を奪われた後、生きているのか…」
沈黙が下りる。
「先輩」
綿花が不安そうに呟く。
「犯人は次の標的を探しているかもしれません」
「だろうな」
匿坂は振り返った。
「俺も狙われる可能性がある」
その時、匿坂の携帯に着信があった。
非通知だった。
「もしもし、誰だ」
「はじめまして」
女性の声だった。若く、どこか楽しそうな響きがある。
「昨日はよくも邪魔してくれたわね。でも、おかげで素晴らしいものも見れたわ」
匿坂の表情が険しくなった。
「お前が犯人か」
「犯人だなんて人聞きの悪い。私はただのコレクターよ。それにしても、あの溶解液での救出作業…見事だったわ」
「見ていたのか?」
「ええ、すぐそばで。素晴らしい救出劇だったわ」
女性の声のトーンが上り、嬉しそうなのが伝わる。
「その異能、ぜひコレクションに加えたいわ」
匿坂は綿花を見た。綿花も緊張した表情で通話を聞いている。
「断る。お前みたいな変態が使いこなせる力じゃない」
「あら、やってみなきゃ分からないでしょ」
女性は笑った。
「今夜、迎えに行くから楽しみにしていて」
通話が切れた。
匿坂と綿花は顔を見合わせた。
「宣戦布告ですね」
「ああ。余程の自信家だ」
匿坂は携帯をしまった。
「今夜、決着をつけることになりそうだ」
外はもう夕方になっていた。変態コレクターとの対決が、間もなく始まることを匿坂は予感していた。




