2-2:地下からの暗号
雨の中、匿坂と綿花は渋谷の商業ビルに向かった。傘を持っていなかった二人は、到着する頃にはずぶ濡れになっていた。
「また服が…」
匿坂は自分のシャツを見下ろした。ケチャップのシミに加えて、今度は雨でびしょ濡れだ。
「濡れるの承知で先輩が出たんですよ」
綿花も髪から雨水を滴らせながら、ビルの入り口に駆け込んだ。
「匿坂さんですね。お待ちしていました」
ビルの管理事務所で、中年の男性が二人を迎えた。管理会社の田沼という人物だった。
「現象が始まったのは今朝からです」
田沼は困惑した表情で説明を始めた。
「エレベーターが誰も呼んでいないのに、特定の階で止まるんです」
「特定の階?」
匿坂が質問する。
「はい。5階で止まったまま動かなくて。最初は故障かと思って電気業者を呼んだんですが、『機械に異常があるが、うちでは手に負えない』と言われまして」
「それで警察に?」
「はい。警察の方に相談したところ、『そういう特殊な現象でしたら』と匿坂さんをご紹介いただいたんです」
綿花がメモを取りながら聞いている。
「他には何か異常ありますか?」
「5階の照明が勝手に点いたり消えたりします。これも一定のパターンがあるようで」
田沼は監視カメラの映像を見せた。確かに誰もいない廊下で、蛍光灯が規則的に点滅している。
「防犯カメラには不審者は映っていませんか?」
綿花が尋ねる。
「一切映っていません。まるで幽霊の仕業のようで…従業員も怖がって」
匿坂は映像を食い入るように見つめていた。
「実際に現場を見せてもらえるか」
匿坂はとりあえず現場を見ようと立ち上がった。
非常階段を使って5階へ向かう。
「これか」
確かにエレベーターが止まっていた。
中には誰も乗っておらず、扉を閉めようとボタンを押すが反応しない。
「先輩、どう見ても故障に見えませんか?」
綿花が小声で尋ねる。
「俺には機械の専門知識がないからなんとも言えないが…異能力を感じる。異能力者しか感じない、特殊な空気のピリつきがある」
匿坂は天井を見上げた。
「機械操作系の異能力者の仕業だろう。問題は、なぜこんなことをしているかだ」
その時、5階の照明が点滅を始めた。短い点滅、長い点滅、短い点滅…。
「これは」
匿坂の目が鋭くなった。
「モールス信号だ」
「先輩、読めるんですか?」
「警察時代に訓練で習った。スマホで確認しながら解読する」
綿花は慌ててモールス信号を記録し始める。
短-短-短、長-長-長、短-短-短…。
「S-O-S」
「SOS…?」
匿坂と綿花は顔を見合わせた。
「助けを求めている」
「でも…どこから?」
匿坂は田沼に電話をかけた。
「田沼さん、監視カメラで地下1階の様子を確認してもらえますか」
「地下1階ですか?少々お待ちください…あ、階段の照明が激しく点滅しています!」
「やはりな。地下だ。行くぞ」
匿坂は即座に地下階へ向かおうとする。
「階段で行くしかなさそうですね…」
「運動になるな…」
二人は非常階段を駆け下りる。
地下1階は駐車場になっていた。薄暗い空間に車が数台停まっている。
「ここに誰かいるのでしょうか?」
綿花が辺りを見回す。
その時、駐車場の照明が再び点滅を始めた。今度はより複雑なパターンだ。
長-短-短-短、短-短-長、短-長-短、短-短、短、長-短-短…。
「メモしますか?」
「いや、俺が直接解読しよう」
匿坂は照明を見つめる。瞬きすら忘れて解読に没頭していた。
「B-U-R-I-E-D…」
匿坂が解読していく。
「BURIED…埋められている」
「埋葬って意味もありますね」
「この場合はどっちだろうな…」
続いて別の照明が点滅する。
長-短-短、短、短、短-長-長-短。
「D-E-E-P」
「DEEP…深く」
匿坂の表情が険しくなった。
「誰かが地中深くに埋められているということか」
その時、駐車場の奥の照明が順番に点いていく。まるで道筋を示すように。
「あの方向か」
匿坂は照明が指し示す方向へ向かった。駐車場の奥、建物の北東角だ。
「でも、ここは地下1階です。さらに深くに埋められているということですか?」
「そういうことだろうな…」
匿坂は床に耳を当てた。
「さすがに音は聞こえないか」
その時、匿坂の携帯が鳴った。田沼からだ。
「匿坂さん、エレベーターが動き始めました!5階から2階で止まって、すぐ1階に降りています」
「2階と1階?」
匿坂は考え込んだ。
「これもメッセージだな。深度を伝えている」
「深度?」
「2と1…21メートルか、それとも12メートルか」
綿花が不安そうに匿坂を見る。
「どっちですか?」
「分からない。だが一刻を争う」
匿坂は田沼に電話をかけ直した。
「田沼さん、緊急事態だ。すぐに掘削業者を呼んでくれ」
「掘削業者ですか?」
「地下1階駐車場の北東角、床面の下に人が埋められている。深さは9メートルか18メートルのどちらかだ」
電話の向こうで田沼が驚く声が聞こえた。
「そ、そんな…本当ですか?」
「多分な。一刻を争う。酸素が持たないかもしれない」
匿坂は電話を切ると再び照明を見上げた。
点滅が弱々しくなり、助けてと言っているようだった。
数分後、匿坂の携帯に田沼から着信がくる。
「すみません…掘削業者に連絡したのですが、すぐには難しいとのことで。到着に1時間はかかるとのことです」
「1時間だと?そんなには待てない。キャンセルしてくれ。俺がなんとかする」
匿坂は電話を切った。
「待っている時間はない。やるぞ」
「え、先輩が?」
「溶解液で地面を溶かしていく」
「私も手伝います!」
「いや、お前は少し離れた場所で待機してくれ。溶解液が飛び散る可能性がある」
「でも…」
「頼む。万が一の時、救助を呼ぶのはお前の役目だ」
綿花は頷いて、数メートル離れた場所に移動した。
「12メートルか21メートルか分からないが、まずは12メートル地点まで慎重に掘る。もし間違えて21メートルまで一気に掘ったら、12メートルにいた場合に溶かしてしまう」
匿坂は駐車場の北東角、照明が示した場所で床面に向かって黒い溶解液を放出し始めた。
「これで掘れるんですか?」
綿花が離れた場所から声をかける。
「やってみるしかない」
匿坂は濃度を調整し、コンクリート、土、岩を溶かしていく。ジュウジュウという音と共に、床面に穴が開いていく。
「すごい…」
綿花が見守る中、穴はどんどん深くなっていく。
5メートル、8メートル…。
「もうすぐ12メートルだ」
匿坂は溶解液の放出を弱め、慎重に掘り進める。
「12メートルに到達しました」
綿花が深さを測る。
「何かありますか?」
「いや…何もない」
匿坂の表情が険しくなった。
「12メートルじゃなかったか。21メートルだ」
「埋められてからもう何時間も…酸素が心配です」
「ああ。だからこそ急ぐ」
匿坂は再び溶解液を放出し始めた。
15メートル、18メートル…。
「もうすぐだ」
18メートル地点で、匿坂の溶解液が何かに触れた。
「固い物に当たった!」
「箱ですか?」
「ああ…21メートルの読みが正しかった」
匿坂は慎重に溶解液の濃度を下げ、周囲の土だけを溶かしていく。やがて、金属製の箱が姿を現した。
「あった」
箱の蓋を溶解液で慎重に溶かすと、中から少女が現れた。
「大丈夫か?」
少女の唇は紫色に変わり、呼吸はかすかで、体は震えていた。目に光が戻ったのは、匿坂の声を聞いたからだった。
「助け…来た」
か細い声で呟く。
「ずっと…暗号を送り続けて…もう力が…」
「無理に話すな。綿花、救急車を呼んでくれ」
「はい先輩!」
彼女は必死に言葉を絞り出そうとする。
「犯人が…盗もうとしたけど…失敗して…」
「失敗?」
「私の異能力が…うまく盗めなくて…怒って…埋められた…」
「犯人の特徴は覚えているか?」
匿坂が優しく問いかける。
「女性…若い…マスクつけてて…」
「マスク?」
「目元を隠す…赤い服…」
か細い声で言葉を絞り出す。
「楽しそうだった…異能力を…集めるのが…」
彼女の証言から、犯人は能力収集を楽しんでいるコレクターのような存在だと分かった。しかも堂々とした格好で、顔を隠している。
匿坂は状況を理解した。犯人は彼女の機械操作能力を盗もうとしたが、何らかの理由で失敗。怒った犯人が報復として地中に埋めたのだ。
「まだ近くに…いるかも…気をつけて…」
「分かった。また後で詳しく聞かせてもらう。今は休んでくれ」
救急車のサイレンが近づいてくる。
こうして彼女は無事救助されたが、異能力を盗む謎の犯人の行方は不明。新たな脅威が匿坂の前に立ちはだかろうとしていた。




